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彼女の信じる答え

 息が止まった。

 返答する言葉を失い、僕はその場に立ち尽くす。

 クラクションに驚く仔猫のように僕は身動き一つとれない。

 咄嗟に誤魔化す機転も働かず、僕はただ真実を自白するだけだった。


「……どうして、それを?」

「違和感を覚えたのは、最初に木嶋さんからお話を伺った時です。いろいろとその時の状況を話してくださいましたが、ただ一つだけ、猫ちゃんのことに関してだけ、あなたは多くを語っていません。まるでその話題を避けるかのように、猫好きと思えないほど、あなたは猫ちゃんに関しての話をしなかったんです」


 静かに彼女は論証を始めていく。

 穏やかに淡々と語っていく。

 その観察眼で見つけた僕の失態を一つ一つ暴くかのように。


「これだけだったら違和感程度でしたけど、あなたの立ち振る舞いを見て、疑念が強まっていきました」

「立ち振る舞い……?」


 オウム返しに聞き返す。


「あなたは今日一日、猫ちゃんの方を努めて見ないようにしている風でした。意識的なのか、無意識的なのか、そこまではわかりませんが、少なくとも猫好きな人がとる行動ではありません。

 なら、木嶋さんは猫ちゃんが嫌いだったのか? それは違います。今日、あなたが一度だけ、真剣に猫ちゃんを見つめている姿を私は目撃しています。それは、そう。猫ちゃんの体調を気遣っていた、あの駅前の時ですよ。あれは猫嫌いの人のする行動ではありませんでした」


 そこで彼女はいったん言葉を切る。

 僕の反応を窺うように視線を向けてくるが、もはや今の僕は探偵の推理を聞くだけの傍聴人だ。手で話の続きを促した。


「人が矛盾した行動をするとき、それは自分の意志とは関係のない意図が関わっているときです。

 木嶋さんは言っていました。前にペット禁止のアパートでペットを飼ったことがあると。最初あった時に、自分も猫ちゃんに引っかかれたと。

 猫のひっかき傷は一週間やそこらでは完全に消えません。なのに、木嶋さんの手や腕にはその傷がない。ここまで来てしまえば、あとは自明の理です。情報を組み合わせるだけで答えは出ます」


 再び言葉を切り一息入れる。彼女は全貌を語るために口を開いた


「木嶋さんは、『あの猫ちゃんを飼っていた』ことがある。しかし『アパートの都合』で手放さなければならなくなった。そんな時、ひょんなことからの『猫ちゃんと再会』する。最初はうれしく思ったが、猫ちゃんに情を持ってしまうのを恐れた木嶋さんは『猫ちゃんを遠ざけるようにした』――こんな感じではないでしょうか?」


 僕は苦笑いするしかなかった。どうしてこの人は僕が猫を遠ざけていたという事実から、そこまでの発想ができるんだろう。


「篠前さんのおっしゃる通りですよ」


 追い詰められた犯人が自白するときはこんな気分なのだろうか、などと考えながら僕は答えた。


「あの猫は、確かに僕が飼っていた猫でした。そして、僕が自分勝手な都合で捨てたんです」


 猫好きだなんだと言いながら、結局僕は自分を優先したのだ。

 もはや名前を呼んでやることすらおこがましい。

 思い起こすのさえ辛くてなるべく考えようにいていたのに、見ている人は見ているものだ。


「猫ちゃんを捨てたのは、二か月前でしょうか? それなら、二か月前に猫を拾ったというゆうかちゃんの証言を、木嶋さんが盲目的なまでに信用した説明がつくのですが」


 推理を聞き、僕は思わず口元が綻んでしまった。

 まさか、そんな小さな出来事からそこまで正解を導き出すなんて。


「……さっきは似合わないとか言ってしまいましたけど、篠前さん。あなたは探偵でもやっていけるかもしれませんね」

「…………」


 追い詰められた犯人のような軽口を半ば本心で言ったが、篠前さんは無言でこちらを見つめるだけ。

 しばらくの時を静寂の中で過ごし、やがて彼女はゆっくりと口を開いた。


「……無理やり連れだしてしまった私が言うのもなんですけど、木嶋さんはこれで良かったんですか?」

「……いいんですよ。一度捨てた僕に、飼い主を名乗る資格なんてありません。たとえ無理に引き取ったところで、僕があのアパートにいる限り、また手放す羽目になります。そんな僕のところにいるよりも、大切にしてくれるあの二人のどちらかが引き取ったほうが、あの猫も幸せなはずです。それにきっと、あの猫も僕のことを恨んでいるでしょうしね」


 僕は力なく笑った。

 一度捨てた人間のことなんて嫌いにならないほうがおかしい。

 生き物を自分勝手な都合で捨てるなんて、最低な人間の誹りは免れないだろう。

 一緒に過ごした時間をたった一つの過ちですべて台無しにしてしまったのだ。


「……あの、たぶん、あの猫ちゃんは木嶋さんのことを恨んでいないと思います」


 そんな僕に、篠前さんは優しげな言葉をかけてくる。


「猫には帰巣本能があります。元々居た場所、住処に戻ってくる習性があるんです。あの日、木嶋さんの家にあの猫ちゃんが来たのは偶然なんかじゃありません。あの猫ちゃんは佐山さんの家を抜け出して、木嶋さんのところへ戻って来たんです。自分の帰るべき場所として、幸せだった場所に戻って来たんですよ」

「……猫の帰巣本能は、確実にあるって証明されたわけではないですよ」

「それでも私はそう信じます」


 とても優しく、芯の通った声で彼女はそう言った。

 ……どうにも、僕はこの人に敵わないようだ。

 子供みたいに楽観的で根拠のない、ただの気休め。

 その気休めで、僕の心はすっかり救われた気分になってしまっているのだから。

 じわりと視界が滲み、目頭が熱くなっていく。

 空を仰ぎ、零れ落ちそうな何かを必死で堪えた。


「……ありがとう、ございます」


 感謝の言葉は自然に零れる。

 沸き起こる情動が収まるのには、少しばかり時間がかかりそうだった。


 * * *


「すみません。お待たせしまし……た?」


 ひとしきり堪え切った僕は、待っていてくれたであろう篠前さんに詫びながらそちらを向いた。

 しかし、彼女の姿は見当たらない。

 残っていたのは、風で飛ばないように石で押さえられていたメモ用紙が一つ。

 拾い上げて読み上げるとそこにはこう書かれていた。


『謎を解決した探偵はクールに去ります。お代は結構ですよ。泣いている方から、お金を取るほど私は鬼じゃありませんので。それでは、またのご依頼をお待ちしています』

「……泣いてないし」


 誰に言うでもない強がりを口にしながら、僕は僅かばかりの寂しさを感じていた。

 なんともまあ、あっさりとしたものである。

 せめて別れの挨拶くらいさせて欲しかった。


 それに、またのご依頼って……僕は篠前さんの連絡先を知らないのだが。

 まあ、篠前さんは与野前さんと同一人物なのだから、そこに連絡すれば、一応会えるんだろうけど……しらばっくれられそうだなぁ。

 そんな風に考えていると、僕の中で、ある疑問が再燃した。

 どうして与野前さんは篠前唄という架空の探偵を装っていたのか。

 今更ながらに、結局そこの答えが出ていないことに気が付いた。


「……でも、あと少しでわかりそうなんだよな」


 僕は今日の出来事をゆっくりと思い出していく。

 まず、本当の猫の飼い主がわからず、悩んでいたところに探偵が現れた。

 しかも格安で依頼を受けてくれて、さらに相談にうってつけのカフェまであったのだ。 

 それはあまりにも出来すぎた展開だった。

 当然だろう。

 だって探偵は篠前唄ではなく、与野前いろはだったのだから。

 探偵が彼女ならこの状況を作ることは容易い。それどころか、そもそも集合場所に一時間早く来るように言ったのは与野前さんなのだ。


 そこまで考えて、僕はようやく合点がいった。

 与野前さんが篠前唄という別人を装っていた理由。

 そして僕の依頼を引き受けてくれた理由。

 それらはすべて、『祈祷探偵』という肩書きに起因する。

 祈りだけで、神様の力だけで事件を解決する。

 もしそれが本当にできるなら、あの神社の御利益は凄まじいものだ。その事実が広まれば神社は大盛況となるだろう。

 しかし、現実では祈るだけで事件が解決する、なんてことはない。

 だから与野前さんは別人を装って、こっそり事件を解決し、神社の名を上げようとしているのではないだろうか。

 だからこそ祈祷探偵という、偽りの探偵が必要なのだろう。

 良く言えば涙ぐましい営業努力、悪く言えば神の奇跡の自作自演といったところか。


「なんというか……思った以上に強かな人だったんだな」


 思わず零れた笑顔を堪えることもせず、僕は小さくため息を吐く。

 もちろん、お世話になったのだからこの事実を言いふらしたりはしない。

 むしろ祈祷探偵の噂の方を積極的に広めてしまおう。

 誰に言ってみようか。

 紺野とかはこういう話が好きそうだ。有働のやつもああ見えて、オカルトチックな話に興味津々だったし、ああ、篠目とかは単純に探偵を欲していそうだ。

 夕陽は未だ沈むことなく、しぶとく山際から世界を茜色に染め続けている。

 一つになった伸びる影を追いながら、確かな満足感とともに僕は歩き続けるのだった。

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