とある真実
「今回の件で重要になってくるのは、時系列です」
その場にいる三人の視線を受けて、探偵は叙説を始めた。
「順番に考えていきましょう。すべての発言を信じるとした場合、最初に起こったことは何か、わかりますか? 木嶋さん」
唐突に話を振られた。当然回答を用意しているはずもなく、しかし無視するわけにもいかず、僕は必死に答えを探す。
「えーと。確か、二か月前にゆうかちゃんが猫を拾った、というのが、最初だったと思います」
「正解です。二か月前に猫ちゃんを拾い、その後一か月間、一緒に過ごしたとゆうかちゃんは言っていました。出会いは二か月前なのに、過ごしたのは一か月間。これはつまり猫ちゃんがいなくなったのは一か月前、ということだと思うのですが、ゆうかちゃん、合っていますよね?」
「うん」
篠前さんの問いかけにゆうかちゃんは頷いた。
それを見て篠前さんは満足そうに笑みを浮かべ、叙説を再開する。
「さて、一か月前といえば、もう一つ何か起こっていましたよね? そうです。佐山さんが会社の上司さんから、猫ちゃんをもらっていました。これも一か月前に起こったことです。一か月前、曖昧な言い方ですね。佐山さんもゆうかちゃんも詳しい日付を覚えていないかもしれませんが、きっとそれは同じ日に起こっていると思いますよ。
さて、ここまでくればもう事件の真相は分かったんじゃないですか? どうです、木嶋さん? わかりましたか?」
「……どうして僕にばかり話を振るんですか」
「依頼主ですから。それに、佐山さんは既にわかってらっしゃいますからね。さあ、木嶋さん? 答えをどうぞ」
若干芝居がかった身振りで、篠前さんは僕に答えを促した。
ゆうかちゃんの元から猫が消えた日と、佐山さんが上司に猫をもらった日が、どちらも一か月前。
篠前さんの予想では、おそらく同じ日である。
……ここまで説明されたら、わからないはずがない。
「最初は、ゆうかちゃんがこの猫を飼っていて、一か月前に、佐山さんの手に渡ったってことですか? つまり、二人とも同じ猫の飼い主であり、違うのは飼っていた時期だった……」
「はい。完璧、大正解です。一応、根拠みたいなものは他にもありますが、まあ犯行を否定する犯人がいるわけでもありませんし、説明はいいですよね。『どちらかが飼い主』なのではなく『どちらも飼い主』が正解だった。ただそれだけの話ですから」
そうやって、話をまとめにかかろうとする篠前さんだったが、僕はまだ肝心なところを聞いていない。
「待ってください。どうやって、ゆうかちゃんから佐山さんへと猫が渡ったんですか? それにゆうかちゃんの両親の名前を聞いた理由もよくわからないんですが……」
「簡単なことです。佐山さんに猫ちゃんを渡した上司というのが、ゆうかちゃんのご両親のどちらかだったんです。それに関しては、私の憶測でしかありませんでしたので、名前を聞いて確認しようと思ったんです。そしたら案の上、反応がありましたので確信しました。佐山さん、合っていますよね」
「……ええ、その通り。早川智は私の上司。猫をくれたのもその人よ。全く、世間は狭いわね」
呆れたようにため息を吐く佐山さん。
その様子を見て、僕は驚愕を隠しきれなかった。
なんということだ。たったあれだけの情報で、ここまで正確に推理できるなんて。
……いや、待て。さすがにおかしい。
確かに推理はできるけど、それに確信が持てるほどの情報は出ていないはずだ。
他の可能性だって十分に考えられる。なのに、どうやって、この探偵はその推理が正しいと断定したんだ?
僕が悩んでいると、篠前さんが僕の手を引きながら立ち上がった。
「さて、木嶋さん。これから先、どうするかはお二人が決めることです。上司とあれば、佐山さんが連絡できるでしょうし、これ以上私たちに出番はありません。邪魔者は早々に退場しましょう」
「え? わ、ちょっと……」
ぐいぐいとひっぱりあげられて、僕は席を立つ。自分の頼んだコーヒー代をテーブルの上に置きながら、篠前さんは言う。
「それでは、佐山さん、ゆうかちゃん。謎を解くだけの探偵の仕事はここで終わりですけど、円満な解決を祈っていますね」
「えっと、あの……その猫、大切にしてやってください」
恭しく頭を下げる篠前さんにつられて、僕も頭を下げた。
再び顔を上げると、笑顔を浮かべた佐山さんと、不思議そうな顔をしたゆうかちゃんが目に入る。
「大丈夫よ。お互い猫好きとして、ちゃんと折り合いがつくように話し合うわ。それに猫を大切にするなんて当然じゃない」
「えっと……おにーちゃん、おねーちゃん、バイバイ」
その二人の言葉を聞いて、僕らはカフェを出た。
ドアを出る際に、二人に向けて手を振ると、佐山さんははにかみながら手を振って、ゆうかちゃんは小さく顔の前で手を揺らした。
そして、通路側。
キャリーバッグに入った、緑と青のオッドアイをした白猫が僕を見て小さく、ミャア、と鳴いた。
* * *
夕焼けが始まり、世界は茜色に染まっていく。
傾いた陽は美しさとともに寂寥を胸に抱かせる。
昼でも夜でもないこの時間は一日の中でもとても短く、変化と終わりが明確に見えるからこそ、そのような物悲しさのようなものを覚えるのだろう。
とはいえ、その時間帯に生きているものすべてが寂寥を抱くわけではない。当
然、一日の終わりにふさわしい満足感を持ちながら過ごす者もいる。
例えばここに二人。
夕陽で伸びた自分の影を追うように帰路につく僕らは、少なくとも僕には仄かな満足感が心の内にあった。
静寂の中、僕らは住宅街を歩く。
その静寂をもったいないと感じた僕は、何となく隣を歩く探偵に声をかけてみた。
「ところで、どうしてゆうかちゃんの両親は、佐山さんに猫を渡したんでしょうか」
「そうですね。それに関しては、また憶測になってしまいますけど、たぶん、ゆうかちゃんは軽度の猫アレルギーだったんですよ」
「猫アレルギー、ですか」
「ほら、カフェにいた時も時々くしゃみをしていましたし、それに鼻もグズグズさせていました。あんな感じの娘さんを見てしまえば、親としては楽にさせてあげたいと思うでしょうね。小学生に携帯を持たせるような、子煩悩な親なら尚更です」
「だから、ゆうかちゃんは両親に連絡したがらなかったのか……」
「まあ、先程も言いましたけど憶測ですからね」
念を押すようにそう言って、篠前さんはまた前を向いて歩きだす。
なんというか、抜け目のない観察眼だ。
本職は探偵ではなく巫女のはずなのに、ここまでできるなんて。
人物の素質と職業は必ずしも一致しないとは言うが、本当にその例を見るのは初めてだ。
観察眼によって裏付けされた推理。
ふと、僕は先刻浮かんだ疑問を思い出した。
「すみません、篠前さん。少しいいですか?」
「なんでしょう?」
「確かに、篠前さんの観察眼は素晴らしかったんですけど、あの情報だけじゃ、他の可能性を消しきれていないですよね? どうして二人が飼い主だったっていう仮定を一番に信じたんですか? どちらかが嘘を吐いている可能性もあったのに」
僕が尋ねると、篠前さんは笑って答えた。
「大した話じゃありませんよ。私の観察眼は木嶋さんが思っている以上に優秀なんです。それに――」
「それに?」
「お二人とも、良い人そうでしたから。誰も不幸にならなくて、誰も悪者にならなくていい、そんなこの推理を妄信していた、っていう面もありますね」
てへっ、と舌でも出しかねない勢いで、篠前さんははにかんだ。
「なるほど。だったら、やっぱり篠前さんに探偵は似合いませんね」
「えー! なんてことを言うんですか!」
憤慨する篠前さんだが、だって、そうだろう?
人の善意を信じて、その幸せを願い、不幸を否定する。
それは探偵ではなく、まさしく巫女のあるべき姿だ。
やはり、この人は巫女だ。骨の髄まで巫女なのだ。
「あ、そういえば、私も木嶋さんにお尋ねしたいことがあったんですよ」
ふと、歩みを止めて篠前さんが言う。
何の気なしに僕は聞き返した。
「はい。なんですかね。僕に答えられることだったら何でも答えますよ」
「何でもですか。ではカードの暗証番号と保管場所を――」
「さて、帰りますか」
「あー! 待ってください! 冗談ですから、ね? 次はちゃんと質問します」
そう言って、篠前さんは僕の方を見つめてきた。先程までのふざけた雰囲気は霧散し、真摯な瞳が僕を貫いた。
「――本当は木嶋さんも、あの猫の飼い主だったんじゃないですか?」
不意の言葉は僕の時間を止める。
急に世界から音が消え、自分と目の前の彼女の以外残っていないような気すらする。
真っ赤な夕陽は、まだ沈むことはない。




