追及
窓際の席は陽光が差し込んでくる。
向かい合って座る篠前さんは柔らかな日の光に淡く包まれていた。顎に手を当て思案する篠前さんは、その美しさと静かな店内とが相まって、絵画のように静止された美しさを醸し出している。
駅前では珍妙に映ったコートや帽子も、この瞬間に限れば最高の衣装となっていた。
店内に入ってから約十分。現在時刻は三時半。僕は自らの身に起こった事件、いや、事件未満のなにかである、『猫の飼い主探し』について説明を終えている。ほとんどが絵見神社で語った内容と同じであり、二度目ということもあって、今回はスムーズに語ることができた。
僕が語り終えてから、篠前さんはずっと深刻そうに考え続けている。沈黙がしばらく流れた後、ようやく篠前さんが口を開いた。
「……木嶋さんは猫ちゃんが嫌いなんですか?」
「……は?」
二つの意味で理解不能な質問だった。
今の話を聞いて、最初に浮かぶ疑問はそれなのか?
僕が猫を嫌いって、どう聞いたらそうとれるんだ?
「あの、ちゃんと話を聞いてくれていましたか? 僕は猫が大好きですよ」
軽い疑いとともに尋ねると、僕の反応を予想していたかのように頷いた。
「そうですよね。私もそう思います」
「そう思いますって……だったら、どうして聞いたんですか」
「木嶋さんの話し方にちょっとした違和感を覚えたもので。まあ、それに関してはもう大丈夫ですよ。確認は終わりました」
「はぁ」
確認が終わった。それは意味が分からないととても恐ろしく思える言葉だ。意味が分かったからといって、必ずしも恐怖が薄れるというわけでもないが。
「ふむふむ、ということは、これがあーして、あーなって……じゃあ、ここがこうなるから……」
なにかを空中に指で書き連ねながら、篠前さんは思案を続ける。僕には理解不能な指の動きは次第に緩慢になっていき、最後にピリオドを打つような仕草をして制止した。
「……なるほど。そういうことでしたか」
「な、何かわかったんですか?」
僕の問いかけにすぐ答えることはせず、彼女は目の前に置かれたコーヒーを口にした。白い喉が小さく波打ち、カップは元の位置に戻される。
取り入れたコーヒーの熱を吐き出すように、ほぅと小さくため息を吐いたのち、神妙な顔つきで僕の方を見つめてきた。
「木嶋さん……今回の事件ですが……」
「……はい」
ごくりと、僕の喉が鳴る。
彼女が提示する真実はいかようなものなのか。期待と不安が入り混じり、思わず背筋が伸びてしまう。
そんな緊張感の中、やがて彼女は口を開いた。
「……さっぱり、わかりません」
「………………は?」
一瞬、頭の中が空白になった。
え、今、わからないって言ったか?
あんな、すべてがわかっているような態度をしておきながら?
困惑の最中の僕に、篠前さんはさらに畳みかける。
「……飼い主がどちらの方なのか、見当もつかないです。本当にごめんなさい」
「えぇ……見当もつかないって……えぇ……」
いや本当になんだったのだ、あの指の動きは。あれはなんの計算だったんだ。僕に猫の好き嫌いを尋ねたのも、どういう意味があったんだよ。
「『なるほど、そういうことでしたか』とか言ってませんでした? わかってないなら、あれは何だったんですか?」
「ちょっと、格好つけたくて……最近、事件解決の仕事も依頼をしてくるお客さんもなかったものですから、ついテンションが暴走して……」
篠前さんは申し訳なさそうに背筋を丸めて縮こまる。その姿には、先程までは確かに存在していた神秘的な雰囲気などみじんも感じられなかった。
だが、よくよく考えてみれば、これは当然のことだろう。
篠前唄という人物は、与野前さんの変装した姿であることは明白なのだから、彼女の本職は探偵ではなく、絵見神社の巫女だ。
巫女に推理力は必要ない。探偵を名乗り、探偵として協力してくれるとは言え、中身が巫女では一般人と同じ。
そんな事実に今更ながら気が付いた僕は、思わず落胆の溜め息を吐いてしまう。
なんとも微妙な空気が僕と篠前さんとの間に横たわっていた。それを断ち切るため、僕は口を開いた。
「……とりあえず、あと三十分ほどすれば、佐山さんが駅に来ますから、その時に話を聞いてみましょう。何か新しいことがわかるかもしれませんし。篠前さんも同席しますよね?」
「もちろんです。このまま引き下がっては探偵の名折れ。一度引き受けた依頼は、必ず解決してみせます」
決意を新たにした様子の篠前さんだったが、僕には不安しか浮かんでこない。神社で祈祷してもらった時は、頼りがいのある大人の女性という印象を受けたのに。今では隙だらけでどこか抜けている印象が拭えない。
やはり、土地や服装の雰囲気補正というは、人間の印象を大きく左右するようだ。
まあ、篠前さんの場合は、実際の行動が原因という気もするが。
「あのー木嶋さん」
「何ですか?」
「三十分じっと座っているだけというのも暇ですし、しりとりでもしませんか?」
……こういう、なんだかちょこちょこ子供っぽいことをするのも原因だろうな。別に悪いとは言わないけれど。
「構いませんよ」
「そうですか? それではしりとりの『り』から始めましょう」
こうして三十分間、佐山さんから駅前に到着したという電話が来るまで、僕らはしりとりをしていたのだった。
……こんなことで、ちゃんと本当の飼い主がわかるのだろうか。不安だ。
* * *
「木嶋さん、よろしいですか? 私は先程『鼻血』という単語で木嶋さんに手番を回しました。それに対しての木嶋さんの返答は『地吹雪』です。この時点でもうおかしいんですよ。いいでしょうか? 『鼻血』の最後の文字はちに濁点の『ぢ』なんです。しに濁点の『じ』ではありません。この時点で木嶋さんはしりとりに敗北しているんです」
「でも、気づかずに進めていって最終的に『幣殿』って、最後に『ん』のつく単語を言ったのは篠前さんですよね? 一度見逃した時点で『じ』と『ぢ』は同じ文字として扱うってことでしょう。負けた後に蒸し返してくるのは都合が良いって――」
「ねえ! いつまでしりとりの話をしているのよ! さっさと本題に入ってくれないかしら!」
白熱しすぎたしりとり議論は佐山さんが来ても終わることがなく、痺れを切らした佐山さんが声を上げるまで止まることはなかった。普段はしりとりでこんなに熱くなることはないのだが、妙にスイッチが入ってしまった。自分にこんな側面があるなんて、少し意外だ。
ともあれ現在、僕らがいるのは先程の店。暑い屋外では話をするのも大変なので、佐山さんにも入ってきてもらったのだ。
「あ、ごめんなさい。木嶋さんがどうにも強情だったものですから……」
「すみません。ここまで篠前さんが負けず嫌いだとは思ってなくて……」
お互いに相手のせいにしながら、僕らは佐山さんの方を向き直る。人数が増えたので席替えをしており、僕と篠前さんが隣り合い、佐山さんが対面にいる形だ。猫に関しては通路側の床にキャリーバッグごと置いている。
とりあえず、話をする体勢が整ったことを確認した佐山さんは、ため息を吐いた。
佐山さんは二十代半ばといった具合の女性だった。休日だというのにパリッとしたスーツを着て、体に軸でも入っているかのように背筋をまっすぐ伸ばして座っている。
センターで分けられたシンプルなショートヘアは、まさしくキャリアウーマンといった雰囲気だ。
首を左右に傾けて、手櫛で髪を整える。すらりと伸びた指の間を、細い髪が流れていくのに目を取られていると、佐山さんは口を開いた。
「それで? 木嶋さん、だったかしら。あなたがうちの木曾ちゃんを拾ってくれたのよね?」
「あ、はい。そういうことになりますね」
厳密に言えば拾ったのはつむじであって、僕はあいつから引き継いだだけなのだが、それを言って話をややこしくする必要もないだろう。
さて、気分を切り替えないといけない。僕らはこれから、この猫の本当の飼い主を見つけないといけないのだから。
そんなことを考えていると、佐山さんが小さく頭を下げた。
「本当にありがとうね。ずっと気が気でなかったのよ」
「……大切に飼っていたんですね」
「まあね。飼い始めてからまだ一か月くらいしか経ってないけど、もう家族も同然。あの子がいない生活なんて考えられないわ」
彼女ははにかんだような笑顔をした。
「これ、少ないけどお礼よ」
優し気な笑顔とともに茶色い封筒を差し出してくる。中身がなんなのかは、見なくてもわかってしまう。
「い、いえ、お礼なんてそんな……大したことはしてないのに」
「気にしなくていいのよ。私にとって木曾ちゃんはそれくらい大切な子なんだから」
鋭い目つきが鳴りを潜め、慈愛に満ちた表情が零れる。それは演技などではなく、明らかに安堵と喜びが込められていた。
やはり佐山さんは本当の飼い主なのだろうか。ということは必然的に――
「それで、そっちの方はどなたなのかしら?」
佐山さんは首を傾げながら、篠前さんの方を手で示す。そういえば篠前さんについて説明をしていなかったっけ。
「ああ、こちらの方は――」
「待ってください、木嶋さん」
事情を話そうとすると、篠前さんが手で制してきた。
どうしたのかと様子を窺うと彼女は不敵に笑って帽子の鍔に手を伸ばす。
「私は探偵の篠前唄です。今回、木嶋さんから依頼を受けて、この場に同席しています」
「探偵? 依頼?」
眉間にしわを寄せ、はっきりと怪訝な表情が佐山さんの顔に浮かぶ。当然だ。佐山さんにとって、今日はただ猫を受け取るだけの日のはずだ。そこに探偵が来ているとなれば、不可解に思うだろう。
「はい、探偵です。私、篠前唄は木嶋さんの依頼に従い、あなたが本当にこの猫ちゃんの飼い主なのかを見極めさせてもらいます」
ビシッと効果音でも聞こえてきそうな勢いで、篠前さんは佐山さんを指差した。半ば挑発のようにも取れる発言と態度に、佐山さんは余計に眉間にしわを寄せる。
今度のは不可解からくる表情の変化ではない。紛れもなく、怒りに満ちたものだ。
「……へえ、木嶋さんは、私が飼い主じゃないって思っているのね。じゃあ、あれかしら。電話で言っていた、ゆうかとかいう女の子が飼い主だと?」
不機嫌さを隠そうともせずに、僕を問い詰めてくる。
「いえ、別にそう言うわけじゃないんですが……ただ、僕には、二人のどちらが本当の飼い主か見当もつかなかったので、探偵にお願いしたんです」
まあ、その探偵も見当がつかないと言っていたが。
「……あんまり愉快な話じゃないわね。結局は私を疑っているってことじゃない」
「疑っているわけじゃなくて、僕はただ……」
否定の言葉を口にしようとしたが、しかしそれ以上が続かない。確かに言ってしまえば、僕は佐山さんを疑っているということになるのだから。
「言い訳しないで頂戴。私を怪しいと思うから、探偵を連れてきたんでしょう? 全くそんな――」
「まあまあ、落ち着いてくださいよ。私たちと違って、木嶋さんは大学生の子供なんですから」
割って入った篠前さんが宥めにかかる。しかし、佐山さんは言葉を止めない。
「大学生だって、もう立派な大人でしょう。それにあなただって、いい歳して何をコスプレみたいな格好してるのよ。探偵って言ったって、スーツとかを着るべきじゃないの」
「こ、コスプレ、いい歳……ぐふぅ」
よっぽどショックだったのか、篠前さんはテーブルにうつ伏せた。ご丁寧にコーヒーは被害を受けない位置へずらしてある。店に入っても外さなかった鹿撃ち帽が取れて、綺麗な黒髪が扇の如く広がっていた。
僕と佐山さんはその様子に少し驚きはしたが、些事だと決めて本来の話に戻る。
「とにかく、私が疑われているのは納得できないわ。そもそも、その猫は知り合いにもらったのよ」
「……え? 拾ったんじゃなくて、知り合いにもらったんですか?」
「そうよ。会社の上司からもらったの。私が飼い主じゃないとしてこんな嘘つくと思う? なんなら電話でもしてみる?」
「……いえ」
知り合いからもらった。もしそれが事実なら疑う余地もなく飼い主だろう。そして、知り合いからもらったと嘘を吐くにはリスクも大きい。会わせてくれ、電話させてくれと言われたら詰みになってしまうのだから。
今の言葉が真実である可能性は高い。
「でもゆうかちゃんも、嘘を吐いているようには……」
「なら、私が嘘を吐いているって? ねえ、前に電話した時から思っていたけど、あなた、そのゆうかちゃんって子を贔屓目に見すぎじゃないかしら? 小さい子には優しくすべきだっていう気持ちはわかるけども、今回はどう考えてもその子が嘘を吐いているでしょう」
その通りだ。言い返す余地もない。順当に考えれば、子供が猫欲しさに嘘を吐いたというのが真実だ。
でも、あの子が嘘を吐いているようには思えなかった。少なくとも、自分が飼い主であるという言葉に関しては。
二か月前、拾った。その言葉を無視することは僕にはできなかった。
「…………」
「黙っちゃうのは良くないと思うわよ」
「そう、ですね。すみません……」
「別に謝ってほしいわけでもないけど……ねえ、どうせならそのゆうかちゃんって子も、ここに呼んでみたらどうかしら。探偵もいることだし、あなたの納得のいく答えが出てくるかも」
いまだ伏せたままの篠前さんを指差して、佐山さんは言う。もうその言葉に憤慨は込められていない。
さすが大人というべきか、感情の切り替えが早い。いや、不甲斐ない僕を見て怒る気が削がれただけかもしれないが。というか、篠前さんはいつまで倒れているつもりなんだ。
まさか寝ているんじゃないだろうな。
……まあ、とにかく、ゆうかちゃんをここに呼ぶという提案は、悪くないようにも思えた。やはり飼い主を判別するには両者から話を聞くべきだし、何より佐山さんとゆうかちゃんが会えば新しい情報がわかるかもしれない。
ただ、問題が一つ。
前回の電話から今日に至るまで、折り返しの電話が全くないのだ。両親と話をしてまた電話をかけてくるように言ったはずなのだが、これはどう捉えればいいのだろう。
両親にまだ話していないのか、あるいは……
とはいえ、悩んでも仕方がない。
「……そうですね。少し電話してみます。ちょっと失礼しますね」
そう言って、電話をかけるとワンコールですぐに繋がった。
しばらく話をして事情を話すと、両親に電話を代わってくれることはなかったが、この店に両親とともに来てくれるということに決定した。
優香ちゃんとの通話はほとんど「うん」と「わかった」だけで構成されていたが、それでも何とか約束を取り付けられたことに安堵する。
さて、ここからが本番となるだろう。
飼い主候補が二人そろって、これでどちらが飼い主なのかがはっきりするはずだ。
不安と期待を交えながら、僕らは優香ちゃんが来るのを待った。