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めい探偵、篠前唄

 日曜日だというのに坂折駅は静かなものだった。

 閑散とした広場には、僕とスーツを着た数人の男性しか存在しない。普段利用しないから知らなかったが、田舎の駅というのはこんなものなのだろうか。静寂というのは嫌いではないけれど、ここまで廃れていると少しだけ寂しくなってくる。

 景観を飾ろうと、空しく水を吹き出し続ける噴水から目を逸らして、僕は時計を見た。

 現在の時刻は午後二時五分。一日の中で最も暑くなる時間帯だけあって滝のように汗が流れてくる。一応、日陰にはいるのだが日差しを避けられる以上の効果を実感できない。


 与野前さんに言われた通り、集合時間の一時間前かつ猫とともに集合場所へとやって来たのだが、さっそく後悔してきている。ここに来たのは大体十分前だが、待っていてもなにも起こる気配がない。

 与野前さんを信じていないわけではないけれど、もしもなにも起こらず一時間このままなら僕も猫も熱中症でダウンしてしまう。

 僕の方はまだ大丈夫だが、猫にこの暑さは危険だ。もともと暑さに強い動物だとは言っても限度があるし、それは高音低湿の環境での話だ。猫には汗腺がなく、体を伸ばして体表面積を広くし体温を逃がしたり、毛繕いした時の気加熱を利用して体温調節をしている。

 しかしキャリーバッグの中では体を伸ばすことなんてできないし、気化熱を利用しようとしても、湿気の多い日本の夏では効果も薄い。保冷材でも入れてあげるべきだったのだったか――


「ふっふっふ、お困りのようですね。そこのお方」


 家に帰ることを検討し始めたそのタイミングで、唐突に背後から声をかけられる。反射的に振り返るその途中で、僕はその声に聞き覚えがあることに気が付いた。


 背後から声をかけてきた人物に、僕は言葉を失った。

 夏だというのに袖のあるブラウンのインバネスコート、頭には鹿撃ち帽を乗せ、口には火のついていないパイプを咥えている。

 シャーロックホームズのような姿と言えばわかりやすいだろう。典型的過ぎて、近頃は全く見なくなったクラシックな探偵の装い。どう考えても夏にする格好ではないし、間違いなく駅前でするような格好ではない。

 そんな違和感のある格好だが、それだけだったら熱狂的なシャーロキアンとして脳内処理ができたかもしれない。驚いて一瞬身動きが止まることはあっても、その後すぐに距離を取るなどの対応をしただろう。


 だけど、ただ一つの事実が僕の言葉を奪い、思考を停止させていた。

 振り返った先。目の前にいたクラシックな探偵姿の人物。

 透き通るような雪肌と艶やかな黒髪が夏の日差しを浴びて、一層美しく輝いている。時代に取り残されたような探偵の装いですら、見事にその人物を引き立て、外見的魅力に拍車をかけていた。

 吐いたきり、吸うことを忘れていた呼吸を思い出し、ようやく言葉を取り戻した僕は目の前の人物に問いかける。


「……よ、与野前さん? あなた、何をしてるんですか?」


 探偵は――与野前いろはだったのだ。

 正直、目の前の光景が信じられない。

 巫女服を着たあの人は清楚でおしとやかで、大和撫子を体現したような人だった。

 間違ってもこんなコスプレみたいな恰好をして、街を練り歩いたりしないはず。いやまあ、こうして実際に練り歩いているわけだから、僕の認識のほうが間違っていたってことなんだろうけど。

 昨日は意外性に満ちた人、なんて思ったけれど、これはさすがに意外性に満ち溢れすぎだ。というかそもそも、なんで探偵みたいな恰好をしているんだ?

 疑問しか浮かばないこの状況。混乱の中にいるのは僕のはずなのに、なぜだか与野前さんも首を傾げていた。


「与野前さん……? それは誰のことですか? 謎ですね……」

「誰って……あなたは与野前さんですよね? 絵見神社の巫女をやっていて、ほら、昨日だって神社で会いましたし」

「……謎は解けました、あなたは新手のナンパです!」

「声をかけてきたのはそっちなんですが」

「む、確かにそうですね」


 こっちが真面目に考えているのに、茶々を入れないで欲しい。

 大体なんで別人のふりをして誤魔化そうとしているんだろう。そりゃあ、プライベートな趣味を見られたら別人を装いたくなるのはわかるけど、さっきも言った通り、話しかけてきたのは与野前さんの方なのに。

 それとも本当に別人なのだろうか?


「本当に与野前さんじゃないんですか?」


 僕が尋ねると、肩にかかった髪をはらって、探偵姿の彼女は口を開いた。


「私の名前は、篠前いろ――じゃなくて、えっと……そうだ、唄です! 私の名前は篠前(しのまえ)(うた)です。与野前いろは、なんて人は知りません!」

「僕、与野前さんの名前まで言いましたっけ?」

「えっ? ……あ」


 良かった、この人は与野前さんだ。

 自分のミスに気が付いて、与野前さんはしまったという表情を浮かべた。こんなボロが出てしまえば、観念して誤魔化すのをやめるだろう。

 そう思っていたのだが。


「……い、言っていましたよ、ええ。三十秒くらい前に言っていました」


 どうやら意地でも他人のふりをするらしい。もうここまで強情だと、なんかしらの理由があるんじゃないかと思えてくる。

 探偵のコスプレをして、駅にいる知り合いに声をかけて、別人のふりをするのにふさわしい理由。

 なんだそれは。ちょっと状況が現実離れしていて想像できない。

 現実離れしているどころか、純然たる現実のはずなのだけど。


「……ああ、そうですね。やっぱり知り合いと間違えていたみたいです」

「で、ですよね! 私は与野前さんじゃないですし!」


 露骨に安心したような表情を浮かべる与野前さん――じゃなくて、篠前さん。

 理由はわからないけれど、与野前さんは無意味にこんな変なことをする人でもないだろう。そう考えた僕は、与野前さんの演技に騙されてみることにした。まあ、少し話せばこんなことをしている理由もわかるかもしれない。わからなくても、それはそれで損があるわけでもないのだし。

 騙されたと思って、信じてくださいって昨日言われたけど、まさか本当にそうなるとは思わなかったなぁ。


「それで篠前さんはどうして僕に話しかけたんですか?」

「ふふっ、よくぞ聞いてくださいました」


 そう言うと篠前さんは、人差し指で帽子の鍔を上げ、不敵な笑みを浮かべた。


「実は私は――探偵、なんですよ」


 ウインクでもするかのように片目を閉じた決め顔は、なかなか様になっていたが僕の口からは、


「はあ、そうなんですか」


 と、力ない同調の言葉しか出てこなかった。


「反応薄いですね。探偵ですよ、探偵。もっと驚いて欲しいです」


 不満げに頬を膨らます篠前さん。

 そう言われても、そんな恰好をしているのは探偵かコスプレイヤーの二択しかない。

 というか、そもそもあなたは巫女だろうに。


「それで、探偵さんが僕に何の用事なんですか?」

「あ、そうでした」


 膨らませていた頬をすぐにしぼめ、滔々と語り始める。


「実はですね、私、たまたまここを通りかかったんですよ。特にすることもなく、暇だったので散歩をしていたんですね。散歩ついでに事件でもないかなと辺りに目を光らせていたんですが、そしたら、何やら木嶋さんが困ったような表情を浮かべて立ち尽くしているじゃありませんか。しかもその手にはキャリーバッグに入った白い猫。これは事件の匂いがするぞと思い、話しかけさせてもらった次第です。さあ、木嶋さん。どのような件でお困りですか? 探偵であるこのわたくし、篠前唄が見事解決してみせましょう」


 鼻息荒く語り切った彼女は、両手を広げ、さあさあ、と催促してくる。

 そんな彼女を手で制して、僕は一つ尋ねた。


「あの、どうして僕の名前を知っているんですか? まだあなたに名乗った覚えがないんですけど……」

「あ、えっと、それはですね……」


 だらだらと冷や汗を流しながら、篠前さんは弁明の言葉を探す。ちなみに僕はその問いに答えられる。目の前の女性は与野前さんだからだ。

 さっきからちょくちょくボロを出しすぎだ。他人のふりをするのならもう少しうまくやって欲しい。


「えっとぉ……そのぅ……」

「……わーすごいですねー。探偵っていうのは、少し話しただけで相手の名前まで推測できるのかー」

「……! そ、そうなんですよ。探偵っていうのはすごいんです。木嶋さんの名前も、会話の中に隠されたヒントから簡単に推理できてしまいます」


 さすがに見ていられず、思わず出した助け舟に嬉々として乗り込んできた。どうして僕を騙そうとしている人を援護してあげなければいけないんだろう。


「名前ついでに、私がもう一つ言い当ててあげましょう」

「はいはい、なんですか。今度は僕の知り合いの名前ですか」

「保冷剤、欲しいんじゃありませんか?」


 その言葉に、僕は息を呑む。それは確かに先程まで考えていたことだ。全く期待していなかったため、完全に意表を突かれた。


「……確かに、欲しいですけど。どうしてわかったんですか?」


 自らの推理が当たったことが嬉しいのか、篠前さんは軽く胸を張り得意げに説明を開始する。


「初歩的なことですよ。暑い日に、日陰とはいえ屋外で立ち尽くしている。その手には猫の入ったキャリーバッグがあり、あなたは心配そうにそれを眺めていた。ここまでの条件が揃えば探偵でなくとも推測はできます」


 言いながら彼女はコートの内側へ手を伸ばした。ごそごそと何かを探すようにしばらくまさぐった後、ゆっくりと手を戻す。

 その手には保冷剤が握られていた。


「一つ差し上げます」

「あ、ありがとうございます」

「いえいえ、これくらい大したことじゃありませんよ。私はいっぱい持っていますからね」

「いっぱい?」

「はい。暑い日はいっぱい仕込んでおかないと、この格好では熱中症になってしまいますからね」


 夏の暑い日にコートを着ているとか、どれだけ感覚が狂っているんだと思っていたが、なるほど、そういう仕組みだったのか。道理で汗一つ流さないわけである。


「そこまでするくらいなら、いっそ脱いじゃえばいいじゃないですか」

「こ、公衆の面前で脱げとか、木嶋さんは大胆なことをおっしゃりますね」

「そういう意味じゃないことぐらい、探偵ならわかりますよね?」


 無駄に顔を赤らめる篠前さんに僕は思わず眉を顰める。

 この人、わかっていてそういう反応をしているのか。


「あはは、わかっていますよ。冗談です。まあ、脱がない理由としては、そうですね、探偵のアイデンティティーだからですかね」

「アイデンティティーって、ずいぶん大きく出ましたね」

「事実、そうですから。これを着なければ探偵のそれらしさがなくなってしまいます」

「そういうものですか」

「そういうものなんですよ。例えるなら、火事現場がどれほどあつくても、消防士が防火服を脱がない同じですね」

「絶対に同じじゃないですね」


 というか、『あつい』の文字すら違う。火事現場は『暑い』じゃなくて、『熱い』だ。コスプレの理由と同じにされては、消防士もかなわないだろう。


「あれは脱いだら死ぬから脱がないんです」

「探偵だって似たようなものですよ。ミステリー小説では探偵みたいな格好していないと殺されちゃう可能性があります。事件を解決する探偵は物語上、死ぬことはあり得ませんから、こうしてわかりやすく探偵だと示すことで殺されるのを避けているんです。逆にこうやってわかりやすくしておかないと、頭の切れる一般人枠に入れられちゃうんですよ。確実に死ぬ枠ですからね、そこ」

「現実はミステリー小説じゃありませんって。というか、探偵が殺される小説って普通にありますよ」


 メジャーとまではいかないが、奇を衒う系のミステリーではそれなりに見かける題材だ。『最初に探偵が死んだ』なんて、ストレートな題名の本もある。ちなみにその本では本当に探偵が最初に死ぬ。


 その事実に心底驚いたようで、篠前さんは目を丸くした。


「そうなんですか? 私の知らないうちにいろんな本が増えたんですねぇ」


 また読まなきゃ、と呟く篠前さん。別に義務のように小説を読む必要はないと思うが、探偵の勉強として必要なのだろう。実際は巫女だけど。


「まあ、それはともかくとして、とりあえず保冷剤を入れておきますね」


 篠前さんはポケットからハンカチを出し、保冷剤を包んだ。

 そしてそのまま、キャリーバッグの入り口に手をかけ――


「ちょ、ちょっと待ってくださーー」

「きゃあ!?」


 静止は間に合わなかった。

 小さな悲鳴とともに篠前さんは手を引っ込めた。

 無警戒にキャリーバッグの中に手を突っ込んだため、彼女の右手の甲には二本のひっかき傷ができている。


「い、痛いです……」

「すみません、大丈夫ですか? この猫、餌をくれた人間以外はひっかくんですよ。僕も最初はやられました。ちょっと見せてください」


 手を取って、確認してみるとそこまで深い傷ではなさそうだった。ひとまずは安心だが、猫のひっかき傷は治りにくい上に病気をもたらす恐れもある。


「傷は浅いですけど、消毒をしたほうがいいですね。アルコールがあればいいんですが、僕は持ってないですし……すみません。ちょっとそこのコンビニまで買ってくるのでしばらくそのままでいてください」


 僕が駆け出そうとすると、篠前さんは僕の袖を掴んで制止させる。


「いえ、そこまでしていただかなくても大丈夫です。元はと言えば私が勝手な行動をしたのが原因ですから」

「でも……」

「それに私、自前の消毒を持っていますし。ほら」


 掲げられたのは確かに消毒液だった。ついでにガーゼとテープまで持っている。


「準備がいいんですね」

「探偵ですから」


 そんな一言で済ませられるほど、探偵は万能ではないような気がする。

 僕が知っているもう一人の探偵は、事件現場に着の身着のままで駆けつけるし。


「よしっ、これで大丈夫っと」


てきぱきと、篠前さんは慣れた手つきで処置を終えた。


「本当にすみませんでした。僕がもっと早く言っていれば……」

「謝らないでください。私は大丈夫ですし、さっきも言った通り原因は私ですから」

「でも、篠前さんが怪我をされたのは事実ですし」

「いや、ですから大丈夫ですって。強情な人ですね」


 困ったように眉を顰め、どうしようかと思案する様子の篠前さん。

 やがて何かいいことを思いついたように笑顔を浮かべこちらを向いた。


「それじゃあ、こうしましょう。木嶋さんの抱えているもう一つの悩みを私に話してくださいませんか? それを私が探偵として解決しますよ」

「それは別にいいですけど……僕が悩みを話したとして、篠前さんにどんなメリットがあるんですか?」


 今の提案には僕にとってのメリットしか提示されていない。それではお詫びにならないと言おうとしたが、篠前さんに指を突き付けられ、動きを止めてしまう。


「もちろん、依頼料は受け取ります。近頃だと探偵も不況ですからね、お仕事が欲しいんです。ああ、金額に関しては安心してください。格安で対応しますから。探偵っていうのは謎を与えられるだけで幸せな生き物なんですよね。さあ、あちらにペット同伴可のカフェがありますから、どうぞゆっくり話を聞かせてください」


 篠前さんはとある店をその手で示してみせた。確かにペット同伴可という文言が看板に書かれている。

 こちらは怪我をさせてしまった側である。断る権利もない。

 既に一度、篠前さんこと与野前さんには話しているはずなのに、もう一度聞きたがる理由はわからないが。


 ここまで、探偵の篠前唄という人物を演じる与野前さんに付き合ってきたが、彼女の目的は見えてこない。見えてはこないが、今更あなたは与野前さんですよねと指摘するメリットもないだろう。

このままいけば、探偵として協力してくれるというのだから渡りに船だ。だから僕は、このまま与野前さんを篠前唄として接し続ければいい。


「わかりました。むしろこちらからお願いしたいくらいで……ただ、あの、一つだけいいですか?」

「何でしょう?」

「どうして僕に、もう一つ悩みがあるって思ったんですか? そんな素振りを見せた覚えがないんですが……」


 篠前唄として接するのなら、当然浮かぶ疑問。

 少し困らせてやろうという悪戯気分で言ったのだが、篠前さんは片目を瞑り、ただ一言。


「探偵の勘、ですよ」


 僕の心情を見破ったかのように、得意げな笑顔を浮かべる。

 それは先程までとは違って、ボロを指摘された焦りを見せない完璧な笑みだった。


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