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二人の飼い主、答えは一つ

 猫の飼い主探しを始めて六日目。つまりは昨日のことである。

 写真付きの張り紙を作り、友人にも心当たりがないか尋ね、SNSで情報を公開したりもしたが、今日まで飼い主に繋がる情報は、全くと言っていいほど入ってこなかった。

 つむじが大家に話を通しておいてくれたため、しばらくは自室に猫を置いておけるが、それだってあまり長い間は難しいだろう。

 現在は午後八時。もうすっかり夜だ。このまま明日になれば、何の成果もなく一週間が経過したことになる。

 進展のない現状と明るくない未来に気分を落としていると、スマホがその身を揺らして着信を知らせた。

 画面に映るのは非通知の文字。僅かな希望をもって、僕は電話に出る。


「もしもし、木嶋ですが」

『さもんじ……いるの?』


 小学生か、あるいは中学生くらいの女の子だろうか。

 電話越しに聞こえる声は、想像していたよりもずっと幼いものだった。

 それにしても、さもんじ?


「……えっと、とりあえず、君の名前を教えてくれるかな」

『ゆーか』

「ゆうかちゃんね。どんな用事で電話をしてきたのかな」

『張り紙がさもんじだった。白くて、目が青と緑』

「張り紙……ああ、さもんじっていうのは猫の名前か」

『うん。二か月くらい前に拾った。かわいかったから』


 ようやく話が見えてきた。要するにこの子は、僕が数日間、待ち望んでいた猫の飼い主ということだ。

 思わず安堵の溜め息が漏れる。これでこの猫も安泰だろう。


『さもんじ、怪我してない?』


 心配するような、慈しむような声が電話越しに聞こえてくる。その声だけで、この子がこの猫を大切に飼っていたのだろうということがわかった。


「大丈夫、元気にしてるよ」

『よかった。急にいなくなったから、心配した』


 なるほど。どうやら、この子の家から脱走してきたようだ。脱走する猫というのは珍しくはないけれど、幼いゆうかちゃんからしてみれば、一大事だろう。心配で夜も眠れなかったに違いない。可愛がっていたなら尚更だ。


『もう、逃がさない』

「……それだけ聞くとヤンデレみたいだな」

『やんでれ?』

「いや、こっちの話」


 まさか、詳しく説明するわけにもいかない。純粋な少女が変な道に進んでしまったら困る。

 思わず零れた言葉を取り繕うように、僕は話を続けた。


「それじゃあ、とりあえずお父さんかお母さんに代わってもらえるかな?」

『…………』

「ゆうかちゃん? どうかした?」


 今まで拙い言葉ではあるが、はっきりと返事をしてきたゆうかちゃんだったが、ここへきて、急に黙り込んでしまった。


「おーい?」

『……おとーさんとおかーさんは、まだ仕事』

「あ、そうなんだ」


 ようやく返ってきた答えは、両親の不在。親がまだ帰っていないから、返事に困っていたのだろうか。


「それじゃあ、ゆうかちゃん。お父さん、お母さんとちゃんとお話しして、それからまた電話してくれるかな?」

『……うん』

「あと、お家の電話番号を教えてくれる? もしかしたらこっちからかけることもあるかもしれないし」

『……知らない人には教えちゃダメだって、おとーさんが言ってた』

「あー……」


 きちんと教育の行き届いた家庭のようだ。物騒な昨今、子供にもきちんと防犯意識を持たせないといけない。関心、関心。今は少しばかり困るけど。


『……でも、私のケータイの番号は、教えちゃだめって言われてない』


 前言撤回。詰めが甘い教育だ。いや、これを詰めが甘いと責めるのは酷だろうか。

 というか、最近の子供は自分の携帯なんて持っているんだ。なんというか、時代の流れを感じる。

ジェネレーションギャップにも似たショックを仄かに感じながら、念のためゆうかちゃんの電話番号を聞いて、僕は通話を終えた。


「とりあえずは、これで安心かな」


 猫の飼い主は見つかった。電話をかけてきたのが子供だったという点で、少しだけ心配だったが、まあ、最悪はこちらから電話して、両親に代わってもらえばよい。問題解決の糸口が見えた僕は気分を良くして、台所へ向かい、冷蔵庫から缶ビールとたこわさを取り出した。

 自分へのご褒美、少し遅い晩酌と洒落こもうと、プルタブに手を掛けたところで、座卓の上のスマホが震えた。

 ゆうかちゃんの両親から、折り返しの電話がきたのだろうか。それにしてはずいぶん早い気もするが。


「もしもし」

『夜分遅くにごめんなさい。猫を拾った、という張り紙を見て電話したのだけれど、この番号で合っているかしら』

「あ、はい。間違いないですけど……」


 今度の声も女性のものだった。言葉遣いは大人びていて、どことなく芯の強さを感じさせる。ゆうかちゃんのお母さんだろうかと、一瞬考えたが、しかしそれにしては声が若すぎるような気もする。お姉さんだろうか?

 それに、張り紙を見て電話したって、なんか引っかかる言い方だ。ゆうかちゃんから話を聞いたわけではないのか?


『私の名前は佐山(さやま)。あなたが拾ってくれた猫の飼い主なのだけれど』

「僕は木嶋って言います。えっと、佐山さんはゆうかちゃんのお姉さんですか?」


 気になったことは直接聞いてみるのが一番だ。それに佐山さんが本当はお母さんだったとしても、若く見られてうれしくない女性はいないだろう。

 そんな風に考えていたのだが、しかし、事態は僕の想定とは違う方向へと転がっていく。


『――ゆうかって、どなたかしら? 聞き覚えのない名前だわ』

「……え?」


 言っている言葉が想定外すぎて、思わず聞き返してしまった。。

 佐山さんの発言のニュアンス的に、ゆうかちゃんが妹ではないという意味の否定だけでなく、その人物を知らないという否定の意味も込められている。

 これにより、声の若いお母さんという可能性もなくなり、また姪やいとこといった親族内での『ゆうか』の非存在も確定される。


「あの、たぶん小学生か中学生くらいの女の子なんですけど、本当に知りませんか?」

『……記憶にないわね』


 少し間をおいて、佐山さんは否定の言葉を口にした。

 その言葉が本当であるならば、つまり、佐山さんとゆうかちゃんは赤の他人であり、この猫の飼い主が二人、現れたことになる。

 ……それは、変だろう。


『ねえ、どうしてそんなことを聞くのよ』

「その、実は少し前に女の子から電話がかかってきていて、その子も自分が飼い主だって言っていたんですよ」

『はぁ。でも、その猫はどう見ても私が飼っていた猫よ。白猫で青と緑のオッドアイなんでしょう?』

「ええ。そうですけど」

『やっぱり、私の猫で確定よ。オッドアイなんてわかりやすい特徴があるんだもの。違う猫と間違えるわけないじゃない』


 実際、その通りである。

 ここまで特徴的な猫を見間違えたりするはずがない。偶然の一致、という可能性もなくはないが、それは考えなくていいくらい低い可能性だろう。


『それに、写真に写ってたけど、その猫の首輪だって私が買ってあげたものと同じだし。これだけ揃っていて、違う猫ってことは考えられないわ。その猫は私の木曾(きそ)ちゃんよ』

「そう、ですか……」


 つけている名前さえ違ってしまった。ここまでくると、あまり愉快ではない可能性しか思い浮かばない。


『こう言うのもあんまり良くないかもしれないけど、その子は子供だったのでしょう? だったら悪戯とか、あるいは猫が欲しくて嘘を吐いているんじゃないのかしら』

「そう、なんですかね。電話した感じだと、あんまりそんな風には思えませんでしたけど……」


 少し前のゆうかちゃんとのやり取りを思い出す。あの子は確かにこの猫に愛情を持っていたように感じたのだが、それは僕の気のせいだったのだろうか。確かに不自然なところがないでもなかったが、だとしたら、とんだ大物子役だ。


『それじゃあ、次の日曜日くらいに受け取りに行きたいのだけれど、予定は空いているかしら』


 そんな僕の感慨を無視するように、佐山さんは受け取りの日時を決め始める。


「それは、はい。空いてますけど、でも――」

『なら決まりね。日曜の三時、場所は坂折駅で。張り紙も張ってあったし、あなたの家からでも遠くはないんでしょう?』

「確かにそうですね。でも、あの、少し待って――」

『ごめんなさい。私、今日の予定がまだあるのよ。申し訳ないけど、そろそろ切らせてもらうわ。拾ってくれてありがとね』


 そう言って、電話は切れた。強引に話をまとめられてしまった感じがあるが、しかし確かにあれ以上、佐山さんと話していても発展はなかっただろう。

 通話の切れたスマホをぼんやりと眺めた。もう一度佐山さんに電話をしようかと考えたところで、電話番号を聞きそびれたことに気が付いた。

 履歴を見ても、画面に映るのは非通知の三文字。落胆の溜め息が思わず零れた。

 とりあえず、晩酌はお預けだろう。僕は名残惜しさを感じながらも冷蔵庫にビールとたこわさを戻す。

よくわからない状況になってしまった。

 赤の他人である二人が、どちらも飼い主を名乗っている。

 一人は子供で一人は大人。佐山さんの言う通り、子供が悪戯したと考えるのが妥当なのはわかる。

 でも年齢だけで判断するのはどうなのだろう。

 例えば、そう。嘘を吐いているのがゆうかちゃんではなく、佐山さんという可能性だってある。佐山さんが言った猫の特徴はすべて張り紙から得られる情報だ。

 何なら、あの張り紙を初めて見た人でも同じことは言える。まあ、ゆうかちゃんの方もそうなのだけど。


 そんな可能性を考えてはみたが、大の大人が嘘を吐いてまでこの猫を欲しがる理由が思い当たらない。猫が欲しいのなら、買えば済む話だ。オッドアイの猫はそれなりに珍しくはあるが、それでも絶対に手に入らないというわけではない。

 この猫に、嘘を吐いてでも手に入れたくなるような秘密があれば話は違ってくるのだが――


「それはさすがに考えすぎか」


 いろいろ考えてはみたけれど、結局のところ、どちらが嘘を吐いているのか、僕には見当もつかないでいる。そもそも、しがない大学生である僕に頭脳労働は向いていない。

 それこそ、専門家の仕事だろう。


「専門家……そうか、探偵か」


 思い立った僕はスマホを操作してつむじへ電話をかけた。依頼料を払って借金のないまっさらな体になったばかりなのに、もう一度依頼するというのは少し抵抗があるが、それよりもこの猫のほうが大切だ。

 ワンコール、ツーコールとスマホは呼び出し音を鳴らす。

というか、そもそも拾ってきたのはつむじなのだから依頼料を取られるのはおかしくないか? 

 何やらマッチポンプの匂いがする。あの女子高生め、まさかここまでわかっていて、僕に猫を預けてきたのか。

 などと邪推してしまったのだが、しかし、電話が繋がった時点で、その推測が間違いであったと知る。


『この馬鹿野郎! なんつうタイミングで電話してきやがるんだ、てめえは!』


 開口一番。罵倒の声が電話口から響いた。


『私は仕事で忙しいって言っただろうが! 何の用で連絡してきたか知らねえが、てめえの相手してる暇はねえよ!』


 どうやら本当に忙しいようだ。暴言の中に焦りが見え隠れしている。つむじは僕の返答を待たずに、捲し立てるように暴言を続けた。


『どうしててめえはそんなに無能なんだ! なあよお! 忙しいって言ってた奴に電話しない配慮なんて中学生だってできるぞ! 大学生のくせに今までの人生を無為無策に過ごしてきたから、そんな単純なこともわからねえんだよ! 無駄に筋トレとかしてる場合じゃねえだろ!』

「ぐっ……つむじ、その言葉は結構僕の心に刺さるんだけど」

『事実だろうが、ボケ』


 事実だった。

 人生振り返ってみれば僕は要所要所で決断を先送りにして、大した決意も持たず、この年までただ生きていただけの……これ以上考えるのはやめよう。涙が出てきた。


『言い訳してんじゃねえ、このクズ!』

「……はい」

『カス!』

「……はい」

『ロリコン!』

「は――いやそれは違う」


 流れで思わず頷きそうなったが、かろうじて踏みとどまった。

 なんて意味のない誘導尋問なんだ。

 どうしてこの子は事あるごとに僕をロリコン認定してくるのだろう。今の会話にロリコン要素なんてなかっただろうに。

 僕がささやかな反論をすると、呆れかえったため息が電話口の向こうから返ってきた。忙しいと言っていたのは確かだし、今回は僕が悪いのだからその反応も仕方がない。


「ごめん。確かに僕の配慮が足りてなかった」

『ちっ、次からは気を付けやがれ……それで? 何の用事なんだよ』


 僕の謝罪で少しは怒りが収まったのか、つむじの言葉は少しだけ穏やかさを取り戻す。もともと彼女の穏やかさなんてあってないようなものではあるが。


「っていうか、話を聞いてくれるんだ」

『うるせえ、十秒で説明しろ。五秒で解決できる用事だったら、なんとかしてやる。いくぞ? いーち、にーい、さーん……』


 無理だ。十秒で説明し切れるわけないし、五秒で解決できるわけない。しかし、少しでも手を貸してもらえるように頭をフル回転させる。


「えっと――つむじが拾ったあの猫の飼い主が二人現れたんだけど、どっちが本物かわかる?」

『そんだけの情報でわかるか、ボケ』

「それは当然そうだろうけど、つむじが言うのはおかしいよね」


 理不尽、ここに極まれり。確かに情報は少なかったが、そうさせたのはつむじの方だろう。


『冗談だよ。もう私には全部わかってる。その猫の飼い主について、森羅万象、天上天下、天地万物、形而下二次元三次元四次元と、すべての可能性をわかってる。わかりすぎて、逆にわからないくらいだ』

「わかってないじゃん」

『わかってるっつーの、人の話をよく聞け。まあそんなわけで心得ちゃってる私だがなあ、残念なことにこのことをてめえにも理解できるように説明には、どうしても六秒は必要なんだな、これが。五秒で解決できる問題じゃないと引き受けないって言っちまったからなあ。五秒以上、無駄な時間を費やすわけにはいかない。悪いが私はその依頼を引き受けないぜ』


 以上が、六秒間に渡るつむじさんの有難いお言葉である。それ言っている間に説明できただろとか、言っても無駄だろう。言葉の端々から愉悦が漏れていた。明らかに僕が困っているのを楽しんでいる。


『ただまあ、このまま何にもせずに電話を切ったら探偵の名折れだ。この私を頼ってきた木嶋おにいちゃんに、軽い手助けをしてやろう』


 安心しな、これはロハだからよ。

 そんな言葉の後、つむじは冗談めかした口調で、冗談のような、あるいは他愛のない雑談のようなことを口にする。

 それは猫とはまるで関係のない一言だった。


『――木嶋おにいちゃんよお。てめえは、神様ってやつを信じるか?』


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