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事件の始まりはいつだって少女が運んでくる

 事の始まりは一週間前。よく晴れた土曜日のことだった。

 大学が夏休みのため、僕はアパートの自室で寝転がっていた。

 気温は三十五度を超す猛暑日。僕の住む安普請のボロアパートには、クーラーなどという文明の利器は存在しない。近くの電気屋で買った扇風機の風を浴びながら暑さを耐え忍ぶ。

 目を閉じて眠ろうとしてみても額を伝う汗が鬱陶しくて、眠気が欠片もやってこない。

 大学で講義を受けているときは、暑かろうが寒かろうが一瞬で寝られるというのに。あの眠気はどこへ行ったのだろう。早く帰って来て欲しい。

 いくら待っても全くやってこない眠気に期待するのをやめて、充電中のスマホに手を伸ばした。ネットで適当なサイトを見て回っていれば少しは暑さも紛れるはず。

 そんな期待も込めてスマホの電源を入れようとした時だった。


「おーい、木嶋(きじま)。ここを開けやがれー」


 ドンドンとドアを叩く音と僕を呼ぶ声が部屋に響いた。

 聞き覚えのある声にため息を吐いて玄関へ向かう。

 下手したらアパート中に聞こえているんじゃないかという不安もあり、若干駆け足で、それでも財布は忘れずに持っていく。

 ドアを開けるとそこには想像通り、一人の女の子が立っていた。


「……毎回言うんだけどさ。インターホンがあるんだからそれを使ってくれよ」

「毎回言うけどよ。インターホンを使うよりこっちの方が早いだろうが」


 現代文明を否定するかのような台詞を吐くこの娘は、同じアパートに住んでいるいわゆるお隣さんだ。

 名前は(つき)(づき)つむじ。女の子らしからぬ乱暴な言葉遣いが目を引く、いや、耳を引く、今を輝く女子校生である。


「てめえはインターホンだと居留守を使うだろ? んで、結局ドアをぶん殴る羽目になるんだから、どう考えても初めっからこうしたほうが楽なんだよ」


 随分とまあ、過激な発想をしている。最終的にはピッキングしたほうが早いとか言って、勝手に鍵を開けてきそうだ。


「もう少しおしとやかにしてくれたら、僕も居留守なんてせずに済むんだけど」

「はん。今時、おしとやかなんて女子がいるわけねえだろ。みんな腹の中はドロッドロさ。隠さない分だけ、私の方が有情だ」


 眉を片方だけ上げた、腹の立つ笑顔を浮かべながら、つむじは薄い胸を張る。薄いシャツ一枚と足のほとんどを曝け出すようなショートパンツという、なかなか目のやりどころに困るはずの服装をしているはずなのに、本人の体つきと性格が相まって全くそんな気にならない。

 顔立ちは悪くないんだけどね。性格って大切だ。


「大体な、私がおしとやかにしたって、てめえは居留守するだろうが。初めて会った時のこと、私は忘れてねえぞ」

「……ところで、つむじちゃんはどんな用事で僕の部屋に来たんだ?」

「話を逸らすな。つうか、ちゃん付けで呼ぶな。くそロリコンが」


 もともと鋭い目つきをさらに鋭く釣り上げて、つむじは僕を睨みつける。


「別に僕はロリコンじゃない。どっちかと言えば、年上の方が好きだし」


 そもそも、高校生はロリじゃないだろう。

 まあ彼女の身長から言えば、そう見えなくもないけども。僕も身長は高い方じゃないから、これ以上は言及しない。


「うるせえ、てめえの好みなんか知るか。黙ってロリコンしてろ」


 ロリコンをするって。

 この子の言っていることは時々よくわからない。これがジェネレーションギャップというやつなのだろうか。

 とはいえ、なんにせよ。どうやら話は逸れてくれたらしい。

 栗色の短い髪を掻きむしり、苛立った様子を見せる彼女は、何かを諦めたようにため息を吐いた。


「ちっ、てめえを相手してるとなんか調子が狂うんだよなあ……まあいいや。とりあえず本題に入るぞ。例のやつ、さっさと出しな」


 そう言って、つむじは僕に向かって手を差し出してきた。

 目一杯指を開いて何かを要求するような仕草だったが、僕には意図がよくわからない。

 視線を送っては見たものの、彼女の眼差しはその温度を下げていくばかりで何も教えてはくれない。

 困った困った。何を求められているのだろう。

 よくわからないなりに考えて、差し伸べられた彼女の手に自分の手をそっと重ねてみた。

 平手で顔を殴られた。


「犬かよ、てめえは」

「わんわん」


 グーで腹を殴られた。


「ち、ちょっと、グーはさすがに痛いんだけど……」

「顔じゃないだけマシと考えろ。そうじゃなくて、金だよ、金」

「金? 何のことかわからないな。女子高生と金銭を介した関係を築くような、後ろ暗い男になった覚えはないよ」


 こちら、清廉潔白な男子高校生なんでね。

 しらばっくれる僕を見て、つむじは小さく舌打ちをする。


「そんな当たり前のこと、決め顔で言ってもかっこよくねえぞ。しらばっくれんなよ。てめえが払うべきなのは依頼料と報酬だろ。依頼料一万円。報酬二万円だ。探偵に事件解決を頼んだんだから、わかるよな?」


 ……どうも、これ以上誤魔化すのは無理なようだ。

 実は目の前にいるこの女子高生、槻月つむじは探偵である。

 ちんちくりんな見た目と、粗暴な言葉遣いからは想像もつかないほどに卓越した頭脳を持ち、垂直思考と水平思考を巧みに操る、第一級の名探偵。

 軽犯罪から重犯罪まであらゆる事件を解決しており、警察から送られた感謝状も数知れず。今では飾る場所がないからと、時折遊びに来る妹の折り紙として使っているとか、いないとか。

 探偵として独り立ちするために、親元を離れてこのアパートに引っ越してきたという、そんな勇ましい彼女だが、意外なことに現状に不満があるらしい。

 なんでも、本当はペット探しや浮気調査などの体を張った仕事が好みらしいのだが、最近依頼されるのは小難しい事件ばかり。

 ロジカルよりもラテラルよりもフィジカルを愛する彼女にとって、確かにそれは退屈なのかもしれない(ちなみにつむじの運動神経は並くらいだ)。

 まあ、紹介はこれくらいにしよう。


 そんな名探偵である彼女に、僕は一か月ほど前、とある事件で着せられた濡れ衣を晴らしてもらったのだ。

 僕はあの事件のことを『ある夏の日の眼鏡事件』と呼んでいる。

 詳しく話すと長くなるから割愛するが、あの時、眼鏡をかけていなかったという理由だけで犯人にされかけていた僕のもとへ、つむじは流星の如く現れ味方をしてくれた。

 そして傍若無人な態度と言葉遣いで、流星よりも速く事件を解決し僕の濡れ衣を晴らしてくれたのだ。

 あれ以来、彼女とはこうして話す機会が増えている。

 主に依頼料と報酬の取り立てという用件で。


「……いや、払うよ? もちろん感謝もしてるし、払うつもりもあるんだけど……」

「けど、なんだよ」

「あの事件って、僕が頼む前に、つむじが勝手に解決しちゃったじゃん。純粋に僕からの依頼ってわけじゃないよね」


 話の流れがよくないほうへ向かっているのを察知して、つむじは顔を曇らせた。


「だから金は払わねえってか?」

「そうは言わない。ちゃんとお礼のお金は払うよ。でもさ、依頼料まで取るのは違うと思うんだ。あのままでも、もしかしたら、その場にいた誰かが事件の真相に気づいて、僕の濡れ衣は晴れていたかもしれない。そう考えると、僕が直接依頼したわけじゃないのに事件を解決して、依頼料と報酬を受け取ろうとするつむじは、まるで押し売りみたいだと思わないか?」

「お、押し売りって、てめえ……言っておくがな! あの事件は私以外に解決できたとは思えねえぞ! 凶器に使われた遮眼子にも! アリバイ崩しに必要なコンタクトレンズにも! トリックで重要だった猛暑日の眼鏡にも! 誰も気づいてなかったじゃねえか!」


 恩知らずな僕の言葉につむじは顔を真っ赤にしては叫ぶ。


「たまたま通りかかった私がいなけりゃ、今頃、てめえはブタ箱だぞ! 隣人のよしみで助けてやったって言うのに、冗談も大概にしやがれ!」

「うん。まあ、このくらいで冗談はやめておくよ」


 どうにもこの辺りが潮時みたいだ。

 激情が過ぎたのか、もはや泣き出しそうな勢いで喚くつむじの手に、僕は財布から取り出した四枚の諭吉を握らせる。


「ほら、それでいいだろ?」

「んだと、てめえ! 話を逸らしてんじゃ……って、おおぅ。な、なんだよ、ちゃんと払うのかよ。だったら初めからスッと……って! おい! 一枚多いぞ!」


 激怒、困惑、驚愕とスムーズに移り変わっていく表情に思わず感心する。

 相変わらず、子供みたいにわかりやすい性格だ。からかう分にはとても楽しい。

 リアクションも大きいし、なんというか、この娘は探偵よりも芸人のほうが向いているかもしれない。

 さすがに冗談だけど。


「それは僕からの気持ち。助けてもらったお礼はするって言ったろ? 言われた料金よりも少し多く払うくらいはするよ」

「本当か? もう返さねえぞ? 次の依頼で安くしたりしねえぞ? 体も売らねえぞ?」

「別にいいよ。っていうか、最後の発言は問題だからやめなさい」

「木嶋おにいちゃんって呼ぶくらいだったらしてもいいが……」

「いらないってば」


 僕に妹属性の趣味はない。さっきも言った通り、年上のお姉さんが好みなのだ。


「それでもう用件は終わりかな? だったら――」

「待てよ。誰も終わりだなんて言ってねえだろうが。もう一個、てめえに用事があんだよ」


 これ以上その手の話をしているとご近所さんに誤解されかねないので、早々に切り上げようとしたが、つむじの言葉でそれは遮られる。


「まあ、金を払ってもらった時点でメインの方は終わってるし、こっちに関しては用事ってほどのもんでもないんだが……ちょっと待ってろ」


 そう言って彼女は身をかがめた。


「ようし、そこを動くなよ……痛ってえ! てめえ! ひっかきやがったな! 小動物だから手加減してやってたのに、つけあがりやがって……!」


 僕の位置からだとドアと重なり、死角となっている場所に手を伸ばしたつむじが『なにか』と格闘を始めた。

 言葉の断片から判断すると、その『なにか』はどうも小動物らしい。

 随分激しい音が聞こえてくるが大丈夫だろうか。

 心配しすること十数秒。小さな格闘は終わりを告げた。


「……全く、手こずらせんなよ」


 ぼやきながら、ゆっくりと立ち上がる彼女。その腕にはいくつものひっかき傷がある。かわいそうに。あれじゃ二週間は消えないだろうな。

 その傷をたどるように、腕から手先までを順繰りに見て回る。すると、つむじが掴んでいる小動物が目に入った。

 僕は言葉を失った。


「つ、つむじ……お前、それ……」

「なんだ、見覚えがあるのか? 実はよ、ちょっと前から、てめえの部屋の前をうろうろしてんのを見かけてたんだ。だからちょっくら、てめえに訊きたいことが――」

「――滅茶苦茶かわいいな、その猫」

「…………あ?」


「新雪みたいに真っ白な毛をしているし、毛並みはサラサラだし、小さな鼻は愛らしいし、おまけに目は青と緑のオッドアイだし。パッと見た感じ、アメリカン・ショートヘアかな。この種類の毛の色で有名なのは、銀灰色のクラシックタビーなんだけど、黒とか茶とか、この子みたいに白色なのもいるんだよ。ところでつむじ、知ってる? オッドアイになる白猫って大体二十五%なんだってさ。思ってたより多いよな。それで、特に多いのは青と黄のオッドアイらしいから、片方が緑っていうのはそれなりに――」


「うっせえよ! てめえが気持ち悪いほど猫好きだってのはわかったから、もう話をやめろ!」


 僕の解説は、うんざりとした表情のつむじに遮られてしまった。


「ちっ、なんだよ。てめえの飼い猫じゃねえのかよ」

「残念ながら。このアパートがペット禁止じゃなかったら、飼っていたと思うけど」

「どの口が言うんだか。随分前、大家に内緒でこっそりペットを飼ってたくせに」


 痛いところを突かれ、僅かに背筋が冷える。

 実際に見せたことがあるわけじゃないから、わかってやっているわけではないんだろうけど。


「……まあ、あれは出来心だよ。すぐにバレて、さんざん怒られたし、今は反省してる」

「……つまんねえの。てめえの飼い猫だったら、大家にチクってここから追い出してやったのに」


 なかなか迷惑なことを考えていたようだ。僕を追放できず、本気で落胆しているつむじを見ると少しだけショックを覚える。

 僕は仲良くしているつもりなんだけどなぁ。


「ところで、どうしてその猫が誰かに飼われてるって思ったんだ?」

「はあ? てめえの目は節穴かよ。ほら、猫ばっかりじゃなくて、こいつの首をよく見ろ、首」

「……なるほど、首輪ね」

「ああ。野良猫は首輪なんかするわけねえし。ってことは飼い主がいるってことだ」


 まあ、首輪をしたまま捨てられた可能性もあるが。などと、不吉な言葉をつむじは続けた。


「それで? この猫はどうするよ?」

「どうするって……そりゃ、飼い主がいるなら、その人のところへ返してやるべきなんじゃない?」

「だよな。じゃあよろしく」

「……え、僕がやるの?」

「当たり前だろうが」

「当たり前ではないと思うけど……つむじ。そういうのは拾った人が最後まで責任を持つべきじゃないか?」

「そりゃその通り。どの口で言うんだって話だがな。だけど私はこれからちょいと忙しいんだ。忙しくて忙しくて、夜しか眠れず食事も一日三食しか喉を通らねぇ」

「健康的なことで」


 犬歯を見えるほど口元を釣り上げるつむじは、なんとも楽しそうな様子だ。

 ……なるほど。だからこのタイミングで僕の部屋に来たのか。

 拾った猫の世話を僕に押し付けるために。


「でもまた大家に見つかったら、ここから追い出されるんだけど」

「じゃあ、てめえはこの猫を見捨てるのか?」

「…………」


 ずるい言い方だ。そんな風に言われてしまっては断れない。


「……わかったよ。僕が飼い主を探しておく」


 僕がつむじの言葉に頷くと、彼女は目を細め満足そうに笑う。

 まるで初めからこうなることがわかっていたかのように。


「へへ、さんきゅう。優しい男は好きだぜ? 木嶋おにいちゃん」


 そんな愚にもつかない冗談を一つ添えながら、彼女は僕の部屋から去っていったのだった。



 ***



「なるほど。つまり依頼の内容は、その猫ちゃんの飼い主を見つけることでしょうか?」

「大体はそんな感じです」


 僕の話がひと段落したのを受けて、与野前さんはそう尋ねてきた。

 社務所の中はイグサの香りがほのかに漂い、心の底に懐かしさを呼び起こす。畳の匂いだ。それに漆塗りの座卓しか置いていないような小さな部屋ではあるが、逆にその質素さが趣を醸し出していた。

 用意された二つのグラスに麦茶を注ぎながら、与野前さんは話を続ける。


「私としては『あの夏の日の眼鏡事件』の方も少し気になりますね……」

「だったら説明しましょうか? 少し長くなりますけど」


 あの事件はその場にいれば簡単に理解できるのだが、口で説明するとなると少々骨が折れる。どんな風に説明するべきか、脳内で精査していると、与野前さんは首を横に振った。


「いえ、それはまた機会があった時にしておきます。今は木嶋さんの依頼が優先ですからね」

「それは……はい。お願いします」


 猫の件は一刻を争うというものでもないが、急いでくれるというのなら、それに越したことはない。


「ええ、任せてください。うちの神社で祈祷していけば、大抵の事件は解決できます。わざわざこんな片田舎まで、うちの神社を頼ってお越しくださったのですから、それはもう全力で祈らせていただきます。そうすれば三日もしないうちに猫ちゃんの飼い主から電話がかかって来て――」


 そこで僕は、はたと与野前さんの勘違いに気が付いた。


「あ、いや、与野前さん。一応、もう既に飼い主を名乗る人から電話が来ているんです」

「……? えっと、それはもう、飼い主が誰なのかわかっているということでしょうか?」

「いえ、そういうわけではなくて……むしろ電話があったせいで訳がわからなくなったというか……」

「…………?」


 与野前さんは不思議そうに頭を傾げる。

 わかりやすく話を伝えるというのはどうにも難しい。ちょっとだけ考えて、もういっそのこと全部話してしまうのが早いと結論付けた。


「つまりですね、飼い主を名乗る人からの電話は確かにあったんですよ。問題はその電話が二回あった(・・・・・・・・・・)ということで――」

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