魔王「その剣、ちょーだい」9
「何、結局やるってこと?」
「いえいえ、そんな訳ないじゃないですか。だって勇者様に勝てる訳ないですもの」
調停者は軽やかな調子でそう言いあげた。
にも関わらず、彼女は剣を私に向けたまま降ろそうとはしない。
だから、私も聖剣を抜いた。
「言ってることとやってることが矛盾してるわよ、調停者様」
「うふふ、その調停者様って言い方が侮蔑的で好きですわね」
パリン……パリン……と映像靄が割れていく音が段々とこちらに近づいてくる。
この空間が、もうすぐ終わろうとしているのかもしれない。
「貴方に剣を向けているのは、”保険”の為です……流石に聖剣を使われてしまうと、私や”次元の狭間”が無事では済まなそうなので」
「逆効果なんじゃないの?あんたが剣を向けなかったら、私だって抜かなかったわよ」
「そうですね、それは何だか私、失敗でしたね……えへへ」
調停者は頭の後ろに手を当てて、照れた様子を見せた。
私は不覚にも可愛いと思ってしまったが、そんな様子は微塵も顔に出さない様に気を付けた。
そして、少し……ほんの少しだけ目の前の彼女のことが気になった。
「あんた、名前はなんて言うの?」
「あら、私にご興味が?」
「煩いと斬るわよ」
「あら、怖いのね」
人非ざる者、――調停者――。
何故に彼女らは、人であることを捨ててまで、世界の調停に務めるのか。
その理由は彼女から教えられていない。
そして彼女のせいで、私が求める”魔王討伐”という目的は、チープで意味の無いものに思えてしまう。
何故なら、彼女らは ”私の先” を既に見ているから。
つまり、”魔王討伐”なんてものはきっと無くて良かったのだ。
彼女が私に時代を超えて干渉してくる――それは、私と魔王様の戦いの先に良くない結末があるということに他ならない。
だから彼女はその結末を変える為に、私と魔王様を閉鎖時空に押し込めるという選択を取ったのだ。
私に、魔王を殺させない為に。
「私の名前……ですか。そうですね、貴女には教えてもいいかもしれませんね」
調停者は剣先を少しだけ下げた。
「私の名前は、ナノハ=イルミナス。22番のナンバーを与えられた調停者です」
「ナノハか……いい名前だね」
私は正直に思ったことを伝えた。
すると、彼女は少し驚いた表情を浮かべた後に、哀しそうにほほ笑んだ。
「昔そう言ってくれた友人が居てくれたことを覚えています……もう名前も思い出せないのですが」
「あんた……ナノハでもそんな表情することがあるんだね」
「いきなり呼び捨てとは……距離を詰めてきますね」
「やっぱ、斬ろうかな。あんた」
「辞めてください、目が冗談っぽくないので」
ようやく、この調停者とも打ち解けてきた気がする。
恐らく魔王様と過ごした2年あまりの日々が、私の性格を丸くしたんだろう。
でなければ、彼女に自ら関わろうだなんてことは思わなかったから。きっと。
「もうすぐ終わってしまうんだね、この仮想の日々も」
「ええ、ここから貴女は大変ですよ。頑張ってくださいね」
「何だか、他人事みたいだね。ナノハさん」
「ナノハ、でいいですよ。さっきは少しフザけただけです」
空中に浮かぶ残りの映像靄は数えるほどになってきた。
その一つ一つに私と魔王様との思い出が刻まれていて――壊れる度に、それが失われていくような哀しさがあった。
「他人事なんですよ。私には結局何もしてあげられませんから」
「あんたにすごく長いこと閉じ込められてたけどね、私」
ナノハは首を横に振った。
「いえ、それだって別に何をしたという訳ではありません。閉鎖時空に居た記憶は恐らく現実に戻ったら10分も持続しないでしょうし」
「何それ。初耳な上に、凄い重要な情報じゃない」
「ええ、だから言ったでしょう。私がしてることに意味なんかほとんどないって」
「言ったっけ、そんなこと」
「言いましたよ。貴方と彼女を閉鎖時空に連れていく前に」
思い返してみると、そんなことを言われた気もする。
ただ、あの時は戦闘を邪魔された怒りに溢れていて、そんなことを気にしている余裕はなかった。
お喋りをしている間に、気づけば映像靄は最後の一つとなってしまっていた。
ナノハはそれに気づくと、すかさず剣から青い光線を走らせる。
青い光線に当たった最後の映像靄は崩壊を止め、壊れかけた状態を維持した。
「少し、お喋りが過ぎましたね。ここからは貴女に伝えるべきことだけを伝えます」
「ああ、聞いてあげるよ」
時空の狭間は小さく音を立てて揺れ始めていた。
「まず、貴女がこれから戻るのは貴女の体感で764日前。貴女と彼女の戦闘の最中です」
「ああ、それは閉じ込められる前にも聞いたね」
「ええ、そして先にも言いましたが、閉鎖時空内での記憶は10分程度しか持ちません。それをご注意ください」
「はいはい、さっき聞いたよ」
「それから……」
ナノハは言いよどんでいる。
彼女には恐らく沢山の制約があるのだろう。
だから、何か一言伝えるにも沢山考えなければならない。
正直に言って、彼女が何をしようとしているのか、それはよく分かっていない。
でも、彼女がその余裕を見せた微笑みの下に、幾重の悲しみを持っている。
それだけは、何故だか感じてしまう。
幼い頃から大きな宿命に縛られて、そこから逃げ出すことが出来なかった。
そんな私と同じ気配が、彼女からもするのだ。
「あの……その……」
「言えないんだったら、無理して言わなくてもいいんだよ」
「いえ、大丈夫です……その忘れないんで欲しいんです。貴女と彼女が過ごした764日間のことを」
「いや、あんた忘れちゃうって言ったじゃない。矛盾してるわよ」
「そうなんです……でも、それしか出来なくて。私に言えることなんて……」
ナノハは俯いている。
「なんだか、あんたがいい奴に見えてきたわ」
「いい奴ですよ、私は元々」
「自分で言っちゃうんだね」
私がそう言うとナノハは少し笑った。
最後の映像靄はピキピキと音を立て始めた。
ナノハの食い止めも限界を迎えるようだ。
「私は、別に私たち調停者が望む先に行って欲しいとは思っていない。ただ、幸せになってほしい。少しでも」
「まるで、幸せじゃないみたいじゃない。私たち」
「幸せなの……?」
「全然」
私は、きっぱりと言い放った。
こんな人生が幸せなはずがない。
こんな人生が。
ナノハが両手で剣を持つ。青い光線は太くなり、少しだけ崩壊のスピードが遅くなる。
「くっ……」
ナノハが呪力を大きく使って、崩壊を食い止めている。
「もういいんじゃないの……私も、もう覚悟は決まってるし」
「いえ、ここで今頑張ってるのは私の為なんです」
「ナノハの為?」
「はい、なんだかいつも腹が立つんですよね。私の手に負えない何かが、私を動かしてくるから。だから、せめて……ただの腹いせです」
ナノハは全力で食い止めようとしている。それが何の意味の無い事を知って。
「手伝おうか?」
「いえ、貴女はこんなとこで呪力を使ってる場合じゃないです」
「それはナノハもでしょうよ」
「私はいいんです。最近全然呪力使う機会が無くて……商人の振りして貴女達の邪魔するくらいしかしてなかったですから」
「あの偶に来てた商人あんただったのか。斬っとくべきだったわ」
「また、そんなことを……くっ」
ナノハの健闘も虚しく、もう映像靄は崩壊間際だった。
辺りを包む崩壊の音と振動は段々と大きくなっていく。
「もう限界みたいです。いつ終わってもおかしくありません。どうかご準備を」
「はいよ、任せな」
私は魔王様のことを思った。
体感としては一時間くらい前まではずっと魔王様の傍に居て、一緒に生活をしていた。
……何だか変な気分だ。
(聴こえてないだろうけど、ちょっと恥ずかしいことも言っちゃったしな)
うわ、何だか会うのが緊張してきたぞ。
「終わります。無理です」
ナノハの青い光線が段々と細くなっていく。
私はその間にナノハの傍まで歩いた。
「な、なんですか?急に近寄って」
「いや、一つ言っときたくてさ」
「な、なんでしょう?」
「ナノハも――」
そこでパリンと音が鳴って、視界は暗転した。
私は暗い落とし穴に落ちていく感覚と共に、言いそびれた言葉を空に投げた。
――ナノハ、どうかあんたも幸せに。幸せになれますように――
魔王「その剣、ちょーだい」9 -終-