scene .22 兄の気持ち
「ふぅん……こんな板切れで船に乗れるのね」
ゴトゴトと眠気を誘う規則的なリズムの中、ロロが手形を見ながらそう言った。
「そうよ、ワタシが苦労して入手したのだから感謝しなさい?」
得意気にそう言うヴィオレッタに対して、ロロはそんな言葉は聞こえてないとでもいう様にふいっと横を向く。
ちなみに今は馬車で移動中である。昨日リェフ達との夕食の席で子供も一緒に行くという話をしたところ、リェフが手配してくれたのだ。屋敷までは予定通りヴェロベスティでの移動ではあったが、それからの移動は汽車と馬車。一番ホッとしているのがロルフであるのは言わずもがな、だ。
「とっても綺麗……」
モモが、暗闇の中離れていくモクポルトの街の明かりを眺めながらそう呟く。ロルフとヴィオレッタが屋敷を離れている間、一人で子供たちの世話をしていてくれたのだから無理もないだろう、その瞼は今にも閉じてしまいそうだ。
そんな中、御者台の方から聞き覚えのある声が飛んできた。
「大丈夫だとは思うけど、何かあったらすぐ言うんだぬ」
「はーい!」
「いい返事だぬ!」
返事をするシャルロッテに、御者の声はそう言う。
そう、手配した馬車の御者はウェネであった。というのも、先日出会った日から三日後、つまり今日で汽車の当番を終え帰宅しようとしていたところをリェフに引き留められたそうだった。本来であれば村への帰路方向でないと乗せないところ、ヴィオレッタの知り合いという事で乗せてくれることになったという。
「まさか本人も一緒だとは思わなかったぬ!」
「ワタシも驚いたわ、アナタ働き過ぎじゃない?」
二人は初めそんな会話をしていたが、今日は休んで明日の朝出発にしようというウェネの意見を押し切り夜通し走らせるよう言ったのはヴィオレッタであったりする。
「本当に昔から人使いが荒くて困る姫様だぬ……」
そんなことを言いながらもウェネの表情が楽しそうであったため、誰も反対しなかったのであった。
出発してどれほど経っただろう。乗車してすぐは元気にはしゃいでいたシャルロッテ達も、辺りの暗さと馬車の揺れに眠気を呼ばれたのかすっかり寝息を立て眠っている。
「何か悩み事か?」
ロルフは読んでいた本から目を離すと、眠る皆を起こさないよう小さな声で一人ぼぅっと空を眺め続けているクロンに声をかけた。
「……? あ、いえ……」
誰に掛けられた声であるかわからなかったのか、クロンは少しの間の後そう言った。その顔は普段以上に何かを思いつめているような表情をしている。
「リージアのこともあるしな、この先安全とも限らない。もしついて来るか決めかねているなら素直に言っていいんだからな」
その言葉に、クロンはロルフの隣ですやすやと眠る妹の顔をちらりと見る。
「ロロのことはまぁ、どうにかなるだろ」
「……はい」
クロンの苦笑いに合わせて自身も少し笑うと、ロルフは視線を本に戻した。
そして少しの沈黙の後、クロンがゆっくりと口を開いた。
「あの」
その声に、ロルフは再び視線を本からクロンに移す。
「ん、どうした?」
「あの……僕も、行きます。ロロが行くって言うから」
わざわざ、そう口に出して言う必要があったのだろうか。そう思ってしまうような台詞に、ロルフが少し目を丸くする。
「……そんな理由じゃだめですかね、僕は皆さんの足を引っ張ってしまうでしょうか」
俯きながらそう言うクロンは、膝の上で組んだ手の親指で、反対の手の親指をさすっている。
「あの日の、ロルフさん達について行くって言う前の日の夜、ロロはすごく悩んでました。あの時何を考えているのか、僕にはわからなかったんですけど……あんなに真剣に考えているロロを初めて見て」
ちらりとロロの方へ視線をやると、クロンは言葉を続けた。
「僕だって母が帰ってこない理由を知りたいとは思います。でも、僕にはロロみたいに決断する強さがないから」
そこで言葉を区切ると、クロンは不安そうにロルフを見つめた。
「そんな僕に、ついて行く資格なんてあるんでしょうか。もし母に会えたとして、僕には」
「な、クロン」
ロルフは本を脇へ置くと、真っ直ぐにクロンを見つめた。
「クロンは何のために付いて来ようと思ったんだ?」
「それは……」
答えを探し求めてか、視線を泳がせ続けるクロンにロルフは自身の考えを言い渡す。
「あの時ロロを行かせてやってくれってお父さんに頼んだだろ? その時点でクロン、お前もロロと同じだけの決断をしたって言っていいんじゃないかと思うんだ」
「でも……」
クロンは未だ納得いかない様子で俯いている。そこでロルフは、初めにクロンが口にした言葉を思い出す。クロンは不安なのだろう、ロロにとって自分が必要なのかどうかが。ロロにとって本当は自分が邪魔な存在なのではないかと。
クロンもロロも、お互いがかけがえのない存在であろうことは外側にいる者からすれば明らかであるが、当人たちには気づけないものなのかもしれない。
「これは俺の推測でしかないが」
あの夜にロロとした会話の内容を思い出しつつ、ロルフは怒られないであろう範囲で言葉を選ぶ。
「ロロはきっと、クロンが付いてきてくれると思ってあの決断を下したんじゃないか?」
その言葉を聞いて、クロンはハッとしたように前を向いた。そして、少しだけ考えるように視線を一度下げると、再びロルフの方に視線を向ける。
「父にお願いされたんです。妹を、ロロを頼んだって」
真っ直ぐとロルフを見つめるその瞳には、話し始めた頃の弱さや迷いは見えない。
どうやらクロンは気付いたようだ。「ロロが行くから自分も行く」それが立派な理由になるという事に。
「僕、頑張ります。ロロの事守れるように」
「ああ、よろしくな」
「はい!」
クロンはいつも通りの、いや、いつもよりも少し頼もしい表情ではにかんだ。