scene .8 嵐の前の静けさ
ぼんやりとした意識の中、カチャカチャと金属やガラスがぶつかりあう音と何かに気を使うような小さな会話の声が聞こえる。
ロルフがゆっくりと目を開くと、少し遠くからこちらを見ていたロロと目が合った。
「ほ、ほら! シャルロッテがうるさくするからロルフが起きちゃったじゃない!」
ロロは慌てた様に視線を自分の食器へ戻すと、隣に座るシャルロッテに文句を言った。癖になっているのか、その声も小声だ。
「ほはほょ~!」
ロロの言葉にシャルロッテは視線をロルフの方へ向けると、何語かわからない挨拶の言葉を口にしながら、ピーンと頭上にあげて手を振る。ロルフはそれに小さく手をあげ答えようとするが、
「あぁっ、シャルちゃん!」
「ふあぁ!」
シャルロッテの頭上から何かが落ちてきたせいで挨拶どころではなくなってしまったようだ。上げた手に持っていたフォークに刺さった何かを口に入れるシャルロッテの横で、モモがせわしなくシャルロッテの世話を焼いている。
小さくため息をつきながらも、いつも通りの光景に安心したロルフは辺りを見回した。先日来たときと家具の配置が大分変わっているが、ゴルトの店の奥にある部屋の様だ。人数が多い為家具を移動させたのだろう。
「落ち着いた様じゃの。これをお飲み」
聞き慣れたはずの声に、ロルフの心臓が大きく飛び跳ねる。
その原因が、声が突然近くで発された為だけではないという事に気付くと、ロルフはそれを悟られないように前に差し出された小さなカップを受け取った。
「ありがとう、ゴルト」
「……お飲み」
「あ、あぁ……」
その言葉に急かされるように、ロルフはカップに口を付け少しずつ中身を飲む。
ゴルトはそれを確認すると、ゆっくりとロルフの隣に腰かけた。そして、ロルフがカップの中身を飲み干すとともに口を開いた。
「今は何のことやもわからぬじゃろうが、時が満ちればすべてを告げよう。じゃが今ではない」
ゴルトはどこか遠くを見るような視線で真っ直ぐと前を向いたまま、囁くようにそう言った。
わからぬじゃろうが、そう言われた通り、ロルフには何の事を言われているのかさっぱりわからなかった。鍵を触った瞬間に思い出した記憶、それを封じていたのがゴルトであるという事についてだろうか。
「……さ、そなたも食卓にお付き」
ゴルトはそう言ってロルフの手からカップをスッと取ると、部屋の奥にある簡易キッチンへと入っていった。
その様子を眺めながら、先程カップを持っていた手に違和感を感じたロルフは手を開く。そこに握られていたのは、先程ゴルトが差し出してきた古びた鍵だった。
渡された覚えもなく鍵を手に握っていたことも、先程まで記憶からすっぽりと抜けていた地下室の存在についても、目覚めた後ゴルトに感じた緊張感も、いつもであれば原因を追及する所であるが、ロルフはなぜかとそうしようとは思わなかった。なぜか、先程ゴルトに告げると伝えられた、“いつか明かされるであろう何らかの事実”それを知れば理解できる、そう感じたのだ。
「ほれ、何をしておる。さっさとお座り」
ぼうっと鍵を見ているロルフにゴルトはそう声をかけると、開いている席に皿を置いた。
その声に、「あぁ、悪い」ロルフはそう言って立ち上がりゴルトと視線を交わす。いつも通りのゴルトの様子に、先程感じた緊張感を再度感じることはなかった。
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――翌日。
ロルフが目を覚ますと、日はとっくに上り、他の同じ部屋で寝ていたクロンはすでにどこかへ出掛けた後の様だった。小さい頃にロルフが使っていた子供用の布団が、綺麗に畳まれて部屋の隅に積んである。
広めの間取りとはいえ、元々一人用の住まい兼店舗の為七人分の部屋も寝具もある訳がなく、ロルフは実験室の隣にある商談室の少し大きめのソファで眠っていた。そのせいもあってか、昨日は昼間にもよく眠ったにも関わらず昼前に目覚めたのだった。
眠りすぎで働く気の無くなった頭を無理やり稼働させると、ロルフは店舗の方へ顔を出す。
「やっと目を覚ましたか」
店舗のテーブルで呪物とフェティシュを並べ何やら実験をしているゴルトが、ロルフの方をちらりとも見ずにそう言った。
「……他の皆はどこ行ったんだ?」
「そなたがあまりにも遅いんで、とうに出掛けて行ったぞ」
「そうか」
昨日の夕飯時、ロロが中心になって、街を散策するとか何とか言っていたような気がする。
ヴィオレッタはさておき、この街は入り組んでいるため、初めて来たクロンとロロがはぐれた場合確実に迷子になってしまうだろう。まぁ、モモとヴィオレッタがいるから……いや、心配しかない。ここまで考えて、得も言われぬ危険を感じたロルフは店舗のドアノブに手を掛けた。
「昼には一度戻ると言っておったからの。そろそろ戻って来るのではないか」
その声にロルフが振り返ると、ゴルトが来いと言うように人差し指をちょいちょいと動かした。
確かに追いかけようと言ってもどこへ向かったかもわからない今、戻って来るのを待った方が良いのかもしれない。探しに行くのは帰りが遅かった時でもよいだろう。そう思いロルフがゴルトに近づくと、何かを手に握らされた。
「あまり広く握らぬでくれぬか? 熱変動で結果が変わってしまうかもしれぬじゃろうて」
握らされたものを見てみると、先程ゴルトが調合していたフェティシュの入った試験管だった。
そう言えばそうだったな……ロルフは呆れつつも、握っていた試験管を二本指に持ち替える。昔からゴルトには、不意を突かれて実験具を持たされ、何かにつけて実験に付き合わされていた。ここ数年はロルフ達は屋敷、ゴルトは店舗で離れて暮らしていたためすっかり油断していた。
「……なんじゃ、寂しいか」
「ん?」
突然の問いかけに、ロルフはフェティシュを手際よく調合しているゴルトに視線を向ける。
「そなたは賑やかなのが苦手じゃろうて」
「あぁ……まぁな」
確かに喧騒は苦手だ。だが、この数日彼等と共に過ごして、騒がしいと感じたことは有れど、煩わしい、邪魔だと感じたことは不思議となかった気がする。そんなことを思うロルフの手から、ゴルトは試験管を取ると、今程調合していた試験管の中身と混ぜ合わせ、更に呪物から抽出したらしい液を一滴垂らした。そしてそれを、割って使うための小瓶に移し替えると、栓をする。
「守っておやり。そなたにとって大切な存在となる」
優しく笑いかけながら、ゴルトは出来上がったばかりのフェティシュをロルフへと差し出した。その表情は、心なしか少し疲れているように見えた。