scene .3 ヴィオレッタ様
床に落ちた本は、先程光ったように見えた辺りのページが開いて、表紙と裏表紙が上を向いていた。
ロロとクロンも興味津々と言ったようにこちらを覗き込んでくる。
「何が……書いてあるんだろ」
ライザが生唾を飲み込む音を聞きながら、ロルフは本を拾い上げた。
そして、その内容を見た全員が目を瞬く。
「え……白紙……?」
本の紙面は真っ白で、何も書かれていなかった。
見ていたロロとクロンからもため息が聞こえてきそうだ。
「やっぱりひい爺の集めたガラクタだったのかぁ~してやられたぜ~!」
そう言いながらライザはドサっと椅子に座る。
他のページを開こうとするも、先程と同様びくともしなかった。炙り出しなどの手法も頭をよぎったが、どんな本なのかを知らない今、これ以上の詮索をする意味は無いだろう。そう思ったロルフは本を閉じると、ゴルトへ届けるため魔道ポーチへとしまった。
「ハハ! まぁ俺は最初からそうだと思ってたけどな!」
そこへ、ピッチャーの水を補充したらしいリェフがキッチンから戻ってきた。
「そういや、シャルロッテとうさぎのねーちゃんが外に出てったけど追わなくていいのか?」
それを聞いたロルフは二人の座っていた席の方を見る。そう言えば確かに少し前から二人を目にしていない。
シャルロッテはこの村に慣れており、はぐれてしまっても最悪一人で帰ってくることも出来そうだが、初めてこの村に来たモモはそうはいかないだろう。この人混みでは尚更だ。
「追いかけます」
ロルフはそう言うと、店の外へと出て行った。
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「ね、シャルちゃん。勝手に出て来ちゃって大丈夫だったの?」
ロルフ達が本に気を取られている頃、先に外へ出掛けたシャルロッテとモモはサーカスのテントがある方へ向かって歩いていた。
「大丈夫大丈夫~! こんなシトラディオ・パラド初めてだもん! ライザのとこにいたらもったいないよ!」
「本なんて興味ないし……」最後にボソッと呟かれた言葉にモモは苦笑する。本当は、本が開くのか開かないのか見届けたかったモモであったが、早く行こうとシャルロッテに腕を引っ張られてしまったのだ。
「でもあまり遠くに行っちゃったら戻れなくなっちゃったりするんじゃない?」
「昔から来てるところだから多分平気!」
まだお店までの道順を覚えている間に戻っておきたかったがための質問なのだが、そんな気持ちはこの少女に伝わる訳もなく、どの質問にも自信満々に返されてしまう。
そう言えば来た時に、シャルロッテはリェフの店にまだ着かないのか何度も確認していたような気がする。――本当に大丈夫かな……。モモがそう思った時だった。
「ひゃっ」
モモの肩に、ドンッと何かがぶつかった。と共に、爽やかそうなキツネ族の青年が、バランスを崩し倒れかけたモモをさっと支える。
「大丈夫かい? お嬢さん」
「は、はい」
目の前に突然現れた瞳に、青年の顔が端正なこともあってか、モモは全身が緊張するのを感じた。
そして、時間としては数秒だったのであろうが、長い間見つめられ続けていることに耐え切れなくなったモモが口を開く。
「あ、あのっ」
「あぁ、いけない。驚いた君があまりにも可愛らしいから立たせてあげるのをすっかり忘れてしまったよ。……それにしても悪い奴がいるもんだ。女性にぶつかっておきながら謝りもしないなんて」
青年はモモを立たせると、モモの肩にぶつかった人物が去っていったのであろう方向を見た。そして、
「気を付けてね、お嬢さん」
そう言いながら爽やかに立ち去ろうとした。が、次の瞬間、青年の身体は一体の獣型モンスターによって地面に押し付けられていた。
「ぐぁ……どうしてこんなところに……モンスターが……?」
突然現れたモンスターに辺りは騒然とする。それと同時に、円を描くように人々が捌けていく。
ゆったりとした時間の流れの中で生活してきたモモにとって、短時間に色々な出来事が起こり過ぎた様だ。目まぐるしく変わっていく状況を把握できないでいると、
「返しなさい?」
頭の上から女性の声が聞こえてきた。すると、その声を聞いた辺りの人々のざわめきが、恐怖のものから興奮のものへとに変わっていく。
そこへ一人の女性が屋根の上から音もなく降りてくると、モンスターの横に立ち、その頭をそっと撫でた。女性の登場に、どこからともなく「ヴィオレッタ様だわ!」「さすがヴィオレッタ様!」という声が響く。
そんな人々の声に応えるかのように女性は小さく振り返りひらひらと手を振ると、そのままその手を倒れている青年の方へ差し出した。そして、
「返しなさい」
先程よりも厳しい声色でそう繰り返した。
女性を見た青年は、諦めたように上着の内ポケットをまさぐると、可愛らしい花の刺繍がされた入れ物を取り出す。
「あ、れ、私の……?」
モモはそう呟くと自身の身体をぽんぽんと叩く。女性はそんなモモに近づき、
「アナタ人混みに慣れていないわね?」
そう言って取り返したモモのポーチを差し出した。
モモがお礼を言いながら受け取ると、小さく頷きながらニコッと笑う。
「これだけの人が集まっているの。皆がいい人って訳ではないわ。それにいつでも助けてもらえる訳じゃない。くれぐれも気を付けなさいね」
女性はそう告げると、固唾を飲んで事の運びを見つめていた周りの人々に笑顔を振りまきながら、壁や柱、積まれた荷物を足場にするすると屋根に上っていった。
「きゃーヴィオレッタ様素敵ー!」
「見た見た? 今の華麗な身のこなし!」
「あの子うらやましい~私も助けてもらいたいっ」
そんな騒ぎの中、ロルフと後ろからロロ、クロン、ライザが人混みを掻き分けながらモモ達の方へやってきた。
「何かあったのか?」
騒ぎの中心にいたモモを心配したロルフだったが、彼女は返事もせず目をぱちくりさせながら一点を見つめている。そんなモモの視線の先を追うと、そこには女性と、青年を取り押さえていたモンスターが立っていた。
「皆さん、本日開演のワタシ達のショー、どうぞお楽しみに!」
女性はそう言いながら手を上へあげると一礼し、モンスターに乗って颯爽と走り去っていった。
「ね、ねぇ! 今のヴィオレッタ様でしょ? 最後わたしたちの方見てなかった?」
恐らくモモの方を見たのであろう、途中振り返って投げキッスをした際の視線が自分達の方へ向いていたことに興奮したロロが、はしゃぎながらそう言う。だが、話しかけたつもりのロルフは、女性が走り去っていった方向をじっと見つめていた。
「ねぇ、ロルフ聞いてる?」
自分の発言に反応をしてくれないロルフの気を引こうと、ロロは彼の袖を引っ張る。
すると、ロルフはちらりとロロの方を見て、「あ、あぁ……」と答えたが、再度女性の消えて行った方向に視線を戻してしまった。
「しゃくぜんとしないわね……」
ロルフの態度に、ロロは打って変わって不機嫌そうな表情になると、腕を組んでそっぽを向いた。