scene .8 大きな後悔
「もぉう! だから、置いてくわよ! そんなに帰りたいなら早く帰っちゃいなさいよ!」
しゃがみ込んだまま、シャルロッテの持った羽根を見つめ固まってしまったロルフにしびれを切らしたロロがそう怒鳴ったが、ロルフの耳にはまるで入っていなかった。
――なぎ倒された木、焦げ付いた木や葉、抜け落ちた大きな羽根、そして白骨……仮説でしかないが、この森には“あいつ”がいるかもしれない。そう思ったロルフが、皆に声をかけるべく立ち上がった時だった。
「ロ、ロロ……ロロ!」
ロロの少し後ろを歩いていたクロンが突然、声を震わせながら叫ぶ。
「今度は何? クロンまでわたしの邪魔するつもり?」
そう言って振り返ったロロの目に、見たことのないモンスターが映った。
大きなライオンに似た身体。そしてその背には鷲のように立派な翼が生え、尻尾の先は鋭利な棘のようになっている。
「な……んなの……こいつ……」
ロロは振り向いたままの体制で固まると、目を見開き未知のモンスターを見つめた。
――くそ、遅かったか……! ロルフが先程思い浮かべたモンスター“マンティコア”が、すぐ目の前に存在していた。
マンティコアは獰猛な肉食モンスターだ。しかし、土地開発が進むと共に絶滅したと言われている。そんなモンスターが人々の生活圏近くの森に住み着いていると、誰が思ったであろうか。
普段なら、「かわいー!」などと言って近づいていきそうなシャルロッテでさえ、その場で硬直していた。奴はそれほど物凄まじく、近づきがたい空気を纏っている。
「グルルルル……」
マンティコアは鼻の周りをひくつかせながら瞳の動きだけで全員をゆっくりと見渡すと、ロロに視線を固定した。何か物音でも立てようものなら、今にも飛び掛かりそうな様子だ。
どうにかしてこの場を離れなければ、誰もがそう思っているであろうが、身動きを取ることすらままならず膠着状態が続く。
マンティコアの動きを止めることさえできれば……ロルフは必死に考えを巡らせていた。だが、どう足掻いても自分の今の力ではあの巨体を数秒すら食い止められる気がしない。
と、その時、シャルロッテの手から羽根がすり抜けた。
「グルァァァァアアアア!」
「いやぁぁぁあああ!」
「くそ!」
羽根が地面に到達すると共に、カサ……と小さな音が鳴った。それを皮切りに、マンティコアはロロとの距離を一気に詰め、右前足を振りかざす。それとほぼ同時にロルフは持ちうる限りの力を込めてマンティコアの重力を増加させると、間一髪ロロの腕を掴み自分の後ろへと引っ張った。
突然増加した重力に、何が起きたのかわからずマンティコアは小さく後ろに飛びのく。そして、
「グルル……」
と小さく唸った後、ロルフ達を睨みつけ森の奥へと走り去っていった。
捕まれていた腕を離され、辛うじて立っていたロロがぺたんとその場に崩れ落ちる。
「ロロ!」
クロンは放心状態のロロの元に駆け寄ると、「無事でよかった……」と呟いた。その目には涙が浮かんでいる。
ロルフはマンティコアが走り去った方向から視線を外し、大きく吸った息をゆっくりと吐きだすと、振り返ってクロンに問いかけた。
「クロン、ここはアルテトに向かう道じゃないんだな?」
「……はい。騙していてすみません」
少し間があった後、それどころではないと考えたクロンは素直に謝った。
ロルフは、その言葉に頷くと、すっかり立ち尽くしている二人に向かって声をかける。
「奴がいつ戻って来るやも知れない、早くこの森を出よう」
そしてロルフは歩き出そうと右足を踏み出した。――が、その身体がガクンと前に傾き、手をついて倒れ込んだ。
「――っ痛」
突然走った激痛に、ロルフは思わず顔を歪める。
黒いスラックスを履いていてもわかる程に、ロルフの太ももにはべったりと血がついていた。
「ロルフ! 血! 血が出てる……!」
「ほ、本当……! わ、私……回復薬位持ってくれば……!」
躱したかと思われたマンティコアの一撃だったが、長い爪がロルフの太ももを深くえぐっていたのだ。
ロルフは、慌てふためくシャルロッテとモモに掌を向けると、「大丈夫だ、これ位」そう言って立ち上がろうとした。しかし、うまく力が入らないのか、よろけて今度はしりもちをつく。そしてその太ももからは血が滴り、地面にいくつもの赤い斑点を浮かび上がらせた。
その様子を見ていたクロンは、依然として放心したままマンティコアの走り去っていった方向をぼんやり眺めているロロの身体を大きく揺らす。
「た、大変だ……ねぇ、ロロ。ロロったら」
いつまでも反応のないロロの顔を、今度は両手で挟み顔を近づけると、普段のクロンからは想像できない強い口調で言った。
「ロロ! しっかりして!」
その言葉にロロはハッとした表情をすると、クロンの手を振り払う。そして、
「ちょっと、何のつもり? わかってるわよ」
と腰に手を当て普段の強気な口調で言うと、素早く立ち上がり、ロルフの隣にしゃがみ込んだ。
「傷口はここね?」
ロロはそう尋ねると、答えを聞くまでもなくロルフの太ももに両手をあてがった。