scene .1 小さな旅程(前編)
「……」
ロルフは音もなく唸っていた。作業机に並べた資料をにらみ続けているが、どうも肝心な情報が抜けている気がする。というより、そもそも全く足りていないのではないかとも思う。
先日のココット・アルクス襲撃事件の後、次に狙われる場所がどこなのか、奴らが何者であったのかなどを特定するため、動物の保護履歴や発見された場所、保護先などを調べていた。すると、非常に興味深い資料がいくつか見つかった。
元々、獣人世界ではどこからかやってくる動物達を受け入れ、共に暮らしていた。しかし二十五年前、とある小さな村で疫病が流行り村人達が全員死亡する事案が発生する。その疫病の発生源は動物に噛まれたことによるものだったそうだ。
しかしその情報の開示は、混乱を懸念した当時の支配者によって先延ばしにされ続け、遂に情報が公開されたのは事件の十五年後だった。それでもその情報は混乱を引き起こし、暴動などが起きたため、それを収めようと全ての動物を捕獲対象とする条例ができた。……そこまではロルフも知っていたことだが、条例ができると同時期に学者や色持ちなどの失踪事件が相次いでいたのだ。
色持ちの失踪については闇取引の人身売買が原因の可能性も高いため、全ての事象が関わっているとは限らないが、学者の失踪はフクロモモンガ達の狂暴化と関係があるようにも思える。だが、学者の失踪事件が起き始めたのは十年程前で、五年前には止まっている。――そもそも関係ないのか……?それに、ゴルトが見たというマントの男の正体も気になるな……あの日、モモが眠り草から睡眠ガスを噴射した後、眠り崩れ落ちそうになった女を連れ去った男がいたそうだ。
情報が多すぎるのか、少なすぎるのか、今ここで知り得る情報では点と点は結びつきそうにない。それに、そもそも本当に次の襲撃事件が起こるのか、そこから怪しい気すらする。
――コンコンコン。開け放しているはずのドアをノックする音がした。
「どうかしたか?」
「ご飯を作ったので一緒にどうですか?」
シャルロッテのつもりで机に向かったまま答えたロルフだったが、違う声がして慌てて振り返る。
「すまない、シャルかと……」
「大丈夫ですよ」
そう言いながらモモは「ふふ」と笑った。確かに、考えてみればシャルロッテがノックなどするはずがない。
「えっと……食事だったな。何から何まで助かるよ、モモがいるとシャルも嬉しそうだ」
「それは良かったです」
モモはあれから一日おき程度、ロルフ達の屋敷に来るようになった。基本的には特訓のためなのだが、暇を持て余したシャルロッテの相手をしたり、今日のように食事の支度をする事もある。ロルフが一人で研究などに没頭すると、シャルロッテが必ずと言ってもよい位に何かをやらかすので、それを止めてくれる人間がいるだけでとても助かるのだ。
「もー、ロルフおそーい! お腹すいちゃったよぉ」
フォークとナイフを各手に持ちながら、不満げに足をばたつかせて言うシャルロッテだったが、その表情を見れば楽しんでいるのはよくわかる。モモがいることで一番喜んでいるのはシャルロッテであろう。
食事を初めて数分後、シャルロッテが何かを思い出したかのように「そうだ!」と切り出す。
「ね、モモはにんじん、好き?」
「うん? そうね、好きだと思う」
「いっぱい食べたい?」
「かな?」
「じゃあこれからは、私の分あげるね!」
「げほっ」
シャルロッテの突然の宣言にロルフは思わずむせる。本など嫌いなシャルロッテが、昨日熱心に何を読んでるかと思えばそんなことを調べていたのか……嫌いなものを食べなくてよくなったとでも思っているのか、上機嫌なシャルロッテを叱るべく、ロルフが口を開こうとした時だった。
テーブルの上に置いてある連絡用の魔術水晶が怪しく光った。
「あ! ゴルトだ!」
シャルロッテはそう言うと、水晶をぽんっと触る。すると、程なくして水晶の中にゴルトの顔が浮かび上がった。
「ほぅ、おはようシャル。ロルフは居るかい?」
「うん、いるよー」
「どうかしたか?」
ロルフはそう言いながら水晶をくるりと回す。
「モモもいるみたいだねぇ」
回した際にモモが見えたのだろう。「モモ」という単語にモモはビクッとすると、
「あ、こんにちは、お邪魔してます。あの、えと、魔術水晶、お顔を見ながらお話できていいですね。初めて見ました」
とゴルトに挨拶をした。相変わらずのぎこちなさだ。
「そうであろうそうであろう、デンワなんかと違って騒々しくもないしの。……ではのうて。ロルフ、そろそろ手詰まったのではないか?」
会話の対象が早々に移り、ほっとした様子のモモを横目で見つつ、ロルフは答える。
「冷やかしの連絡なら切るぞ」
「ふっふ……図星かのぅて。そんなこと申してよいのか? ちょいといいものを入手しての」
そう言いながらゴルトは数枚の紙きれを指先に挟み、ひらひらとさせている。得意げな様子だ。
「もしかして……!」
「そう、世界図書館に通ずる船への乗船券じゃ。わしもそろそろ新しい呪物の研究資料が欲しくての」
「わぁ! 世界図書館なんて久しぶり!」
「そうであろ、そうであろ。最近は特に入手が難しくての……旧友に頼んでどうにか入手してもらったのじゃ」
「家にある資料も前回行ったときの情報で止まってるからな、助かるよ」
頭の上にいくつもの「?」が浮かんでいるモモを余所に、三人の会話は弾んでいった。