scene .11 長いまどろみ
『――! 助けて!』
崖から落ちかけている茶髪の少年に、黒髪の少年が手を伸ばしている。
『嫌だよ! 怖いよ‼』
『今っ……助けるからっ……!』
二人はお互いの手を掴もうと必死に手を伸ばしているが、茶髪の少年は一段下の岩場までずり落ちてしまっており、手と手の隙間は少年たちがいくら頑張ろうと届くとは思えなかった。その上、落ちかけた少年がどうにか掴んでいる木の根らしき茶色い蔦は、少年の体重に耐え切れず、今にも千切れてしまいそうだ。
『僕、死にたくないよ‼ 助けてっ――!』
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「はぁ……はぁ……」
勢いよく起き上がったロルフの額には、脂汗が浮かんでいた。嫌な夢を見ていた気がする。
「こんなところで午睡とは良い趣味を持ったもんじゃの」
頭の上から、皮肉交じりの聞き覚えのある声がした。――そういえば……俺は……。
「シャルは⁉ モモは⁉…………っく」
思考が少しずつ巡り始めると共に、強いめまいと吐き気がした。先ほどの眠り草から噴射された煙を吸い続けたせいだろうか。
「……二人ならそなたと同じ様に午睡中のようじゃが」
ゴルトの言葉に、ロルフは辺りを見わたす。確かにシャルロッテもモモも、地べたに横たわり気持ちよさそうに寝息を立てて眠っている。
そして、モモを取り巻いていた眠り草の球体はすっかり姿を消していた。あれは一体何だったんだろうか。
「ふむ、何かあったようだの。じゃが大事には至らなかった、そんなところか」
複雑な表情で考え込み始めたロルフを見て、ゴルトは的確に状況を察知した。二十数年、一緒に生活してきただけのことはある。
――そう言えば、どうしてゴルトがここにいるんだ……? 最近、ゴルトは自身の店に入り浸っているため、屋敷に戻ってくるのは珍しい。
「ゴルトがこっちに来るなんて、何か俺達に用でもあったんじゃないか?」
すると、この屋敷の家主は少しムッとした後、思い出したという表情をして口を開いた。
「そうじゃった。――モモの故郷はココット・アルクスだと申したな?」
「あぁ……それがどうかしたのか?」
「襲撃されているようなのじゃ」
「襲撃?」
ロルフは聞きなれない言葉に眉をひそめた。
金持ちが集まるような大きな街を賊が襲うことがあっても、小さな村が襲撃されることなど聞いたことがない。
それに、こう言ったらなんだが、ココット・アルクスは特に襲撃の対象となる理由のなさそうな、言わば田舎の村だ。村に伝わる宝があるなどという話も聞いたことがない。コンメル・フェルシュタットならともかく、なぜココット・アルクスが襲撃されるのか、ロルフにはさっぱり見当がつかなかった。
だがしかし、ゴルトの情報網は確かだ。そのゴルトが言うのだから、間違いないのであろう。
「うむ、なぜ、と言いたげだの。それはわしにも解せぬのだが……言えるのは、襲撃者がフクロモモンガということだの」
「フクロモモンガ?」
フクロモモンガ――先日、体調不良のモモをコンメル・フェルシュタットに連れていく際、少年を襲っていた動物だ。
元々群れで生活しており、別の群れと遭遇すると攻撃的になることがあるものの、基本的には臆病な性格をしているため、村を襲撃するなどということは考えにくい。そもそも、裏側の世界からこの世界に迷い込んできた動物は、十年程前から捕獲対象となっているはずだ。村を襲撃できる程の数が自然に生息している、そのこと自体がおかしいのだ。
――ということは、誰かが意図的に……?
そこまで考えて、ロルフは思考を止めた。悠長なゴルトの調子に流されてしまっていたが、モモの故郷が襲撃されている、ならばすぐに向かうべきだ。
「こんなところで考えに耽ってる場合じゃないな、二人を起こしてすぐココット・アルクスへ向かおう」
ロルフは立ち上がると、シャルロッテの体をゆする。
「シャル、起きろ」
「んにゃ……パンケーキ……」
「……」
シャルロッテは、何とも幸せそうに口をもぐもぐさせている。そういえば三人はお昼ご飯を食べていない。今が何時であるのかはわからないが、辺りの暗さを見ると、もう日の暮れだろう。
しかし、昼食をとっている時間などない。――少しばかりかわいそうだが……。
「夕飯だぞ、シャル」
ロルフはシャルロッテの耳元で囁く。
「ふぁあ……ごはん! お腹すい……うぇえっ」
元気よく伸びをしたシャルロッテにも、ロルフと同様の吐き気が襲ったようだ。
「うぅ……ぐるぐるする……やな感じぃ……」
とりあえずシャルロッテを起こしたのでモモの方を見ると、ゴルトに起こされていたようだ。モモも吐き気に襲われたためか、うずくまっている。……垂れている耳を頭に押し付けているが、ゴルトのせいでないことを祈ろう。
そして、シャルロッテとモモの回復を待った後、事態を説明し、四人は急いでココット・アルクスへ向かった。