scene .12 世界有数の縫製師
もちろんその正体はヴィオレッタである。
濡れた髪をタオルで乾かしながら、さも当たり前かのようにバスタオル一枚を体に巻き付け部屋に入ってくる彼女は、まさか全員の不安要素の対象が自分だとは微塵にも思っていないだろう。
「あら、皆集まってるのね」
案の定、ヴィオレッタは自分に集まる視線の意味を考えることも無く、全員が集まっているということだけに驚いたような表情を浮かべた。そして、それを特に気にとめる訳でもなくキッチンで昼食の片づけをしていた宿の主に飲み物を要望する。
「ヴィ、ヴィオレッタ様すみません、いくら他のお客様がいないからと言いましてもそんな姿で歩き回られては……」
ジャデイは、焦った口調でそうは言いつつ、体が勝手に、と言わんばかりの手際の良さでコップに水を注いだ。
ヴィオレッタはそのコップを受け取りながら、
「だってどうせすぐに着替えるんだもの。メンドウだわ」
そう言って手をひらひらと振る。
それにしても全員が集まっている部屋より奥にある浴場へどうやって入ったのだろうか。ヴィオレッタは、そんなことを考えるロルフの方……ではなく、そのすぐそばの椅子に腰かけロルフの衣装の最終調整をしていたマダムリンデの方へと歩み寄った。
そして、マダムリンデは近づいてきたヴィオレッタの方を見るでもなく、はぁ、と一つ溜息をつくと、
「まったく、ほんとアンタは変わんないねぇ。そこに置いてある。さっさと着てきな」
そう言って顎でヴィオレッタの衣装が置いてある方向を示した。
「ありがと、ママ」
褒められた訳ではないと思うのだが、ヴィオレッタはどこか嬉しそうに衣装を手に取り、今朝までマダムリンデが作業をしていた部屋へと消えていく。
そんなヴィオレッタを一瞬だけ見やると、マダムリンデは「成長したんだかしてないんだか」そう独り言ちながらロルフの方へ手直しをしていたジャケットを突き出した。
「ほれ、これでどうだい?」
ロルフは直し終えられたジャケットを受け取ると、袖を通した。
ベースはスタンダードなデザインだが、裏地やボタンなどに拘りを感じるタキシードだ。襟はしっかりしたロルフの雰囲気に合わせてか、かっちりめのピークドラペルタイプである。
普段着ているスーツはシャツもベストもジャケットも青が入っているものの全て黒を選んでいるため、シャツが白いのに違和感を……というより、最初に着た時にシャルロッテに「なんか変な感じ!」と言われてしまったのを少し気にしている。普段からもう少し色々な色に挑戦するべきなのかもしれない。
「うん、いいね。バッチリだ」
直した袖の長さを確認すると、マダムリンデは満足そうにニカっと笑った。
と、タイミングよく着替えを終えたヴィオレッタが姿を現す。
袖がなく、デコルテと背中が大きく開いたいわゆるイブニングドレスというやつだ。体のラインが強調されるようなシルエットのそのドレスは、胸元の少しピンクがかった紫色が、裾に向かうにつれ黒に程近い濃い紫色にグラデーションしている。そして全体的に施されているラメのお陰で、ヴィオレッタの動きに合わせて上品に煌めきとても美しい。
「……ほう? アンタやっぱり少し太ったのかい」
「んなっ」
ロルフたちから見ると通常通りのヴィオレッタに見えたが、幼少の頃から見ているマダムリンデには少し無理しているのがお見通しだったらしい。
マダムリンデの指摘にヴィオレッタは思わず足を止めると、慌ててマダムリンデの方へと駆け寄りチラチラとクロンの方を見ながら「そういうことココで言わないで!」そう耳打ちした。
「ふん、別にそんなこと気にする質でもないだろう? それに随分やせっぽっちだったからね、むしろよくなったってことさ」
恐らく、マダムリンデが言うように普段であれば誰が居ようと気にしない質だろう。だが、恋というものは人の心を容易く変えてしまうものなのである。
「測り違えたかと思ったが合ってたってこった」そう小さく呟きながら、マダムリンデは少しむすっとしたヴィオレッタの脇腹あたりに手際よく印をつけていく。そして、ものの数分もしない内に印をつけ終えたのか、
「ちょっと脱いできな」
マダムリンデはそう言ってヴィオレッタの腰をトン、と押した。
先程と同じ部屋に入り再びバスタオルを巻いて出てきたヴィオレッタからドレスを受け取ったマダムリンデは、先程印をつけた箇所を裁ちばさみでざくざくと切り始めた。
「どうして切っちゃうの?」
「このままじゃぁ引きちぎれちまうかもしれないからね、そうならんように予め穴を開けとくのさ」
テーブルに身を乗り出すようにして自分の作業を見つめるシャルロッテの方にちらりと視線を向けると、マダムリンデはそう言って笑う。
そんなマダムリンデの言葉に再びムッとしたヴィオレッタであったが、彼女が再びバスタオル一枚で戻ってくることを察したクロンは席を外していたため杞憂に済んだようだ。ウエスト云々の前に気にするべき箇所があるのだと突っ込みを入れたいところだが、人前に立ち過ぎてそのあたりの感覚が麻痺しているのかもしれない。