scene .1 古き縁
日が傾き始めてしばらくした頃、ロルフたちはたどり着いた街の入り口付近で食事処を探していた。時間としてはまだ少し早いのだが、理由は他でもない。鳴り始めると止まらないシャルロッテの「お腹空いた」である。
だが、近々祭りでもあるのか、街中は飾りつけやら大工仕事をする人々でそれなりに賑わっているものの、見つけた食事処や宿屋は軒並み準備中で忙しそうにしており話を聞かせてすら貰えなかった。
「どうしてみんな閉まってるの? こんなにお腹空いたのに!」
一件目二件目くらいは頬を膨らませながらも文句を言わずにいたシャルロッテであったが、七軒目ともなるとさすがに我慢が出来なかったらしい。
食事もそうだが、このまま宿が見つからないのは少し困るな。そう考えるロルフの腕をシャルロッテが大きく揺さぶる。そんなシャルロッテに冷たい視線を送りながら、ロロが口を開いた。
「んもう、シャルロッテがご飯ご飯って言うからわたしまでお腹空いてきちゃったじゃない」
「だってご飯より大事なものなんてないよぉ!」
シャルロッテがその言葉を発した瞬間だった。ロルフは背筋に嫌なものを感じその場で歩を止めた。それはロルフだけではなかったらしい。だだをこねていたシャルロッテも、そんなシャルロッテに文句を言おうとしたロロも他の四人も、口を噤みその場に立ち止まっている。
何かは分からない、だが、それまでロルフたちの存在を特に気にしてしなかった人々の視線が一気にこちらに向いた気がしたのだ。
「ちょいちょい、そこの余所者さん」
と、緊張が薄らいできたタイミングで近くの宿屋らしき建物の扉が小さく開いたかと思うと、その隙間から男性が少しだけ顔を覗かせた。その少し下で、手を招くように小さく合図をしている。
ロルフたちはそれに気づくと、残る視線を振り払うようにその扉に近づいた。扉には、他の宿屋と同じように準備中の札がかかっている。
「お入り」
声の主に腕を引かれ、半ば強引にロルフたちは宿屋の中へと身を滑り込ませた。室内はなぜか明かりがつけられておらず薄暗い。
最後の一人を引き入れると、男性は素早くガチャリと扉の鍵を閉めた。そして、
「しっ」
自分の口元に指を一本立てて扉に張り付くように耳をそばだてたかと思うと、暫くの後、安堵のため息をついた。
訳が分からないといった様子で男性に視線を送るロルフたちに、男性は廊下から奥の部屋へ入るように指示を出した。なぜかなるべく物音を立てないようにする男性につられ、ロルフたちも静かに移動する。
「よくやったね」
「どうなるかと思ったよ」
先に部屋に入って行った男性が、誰か、しゃがれた声の主とそうやり取りを交わす。
ヴィオレッタはその声が聞こえた瞬間、前を歩くシャルロッテたちの間を何かに急かされるように縫って前に出ると、「ママ!」そう嬉しそうに声をあげた。
「やっと来たね」
「やだ、どうしてどうしてこんな所に?」
大袈裟に手を広げたヴィオレッタに応えるように、老婆が椅子から立ち上がり手を広げた。ヴィオレッタは彼女の元へ軽やかに駆け寄ると二人は軽いハグを交わす。
ハグを終えた老婆は、椅子に立て掛けていた杖を手に取り椅子に腰かけた。そして、杖の先で男性の方をくいっと指し示す。
「せがれでね」
自分に視線が集まった男性は、その場でぺこりと頭を下げる。小柄ながらもその堂々とした風貌から存在感のある老婆とは真逆で、肉付きはそれなりによいものの物陰に潜まれたら数日は気付けなさそうな雰囲気だ。もしかすると存在感というものを母の腹の中に置いてきてしまったのかもしれない。
と、ヴィオレッタはここでやっとロルフたちの存在を思い出したかのように、あら、そう声を出さずに言うと老婆との関係を話し出した。
「えーとね、彼女はママ――マダムリンデと言えばわかるかしら? ワタシが団に入った頃に色々とお世話になった人でね」
マダムリンデ。その名前は業界の人間でなくても一度は聞いたことがあるであろう有名なデザイナーだ。
ヴィオレッタの言っている“私が団に入った頃”というのは、マダムリンデがスエーニョ・デ・エストレーラで専属デザイナーとして働いていた頃、つまり二十年程前のことを指しているのだろう。
「ほんになぁにも知らん子でね」
「んもう、ワタシの話はいいのよ」
いい、と言いながら昔話に花を咲かせる二人の会話から察するに、入団したてのヴィオレッタはただただ元気だけが取り柄の礼儀やマナーが全くなっていない子供だったそうだ。そんなヴィオレッタに行儀作法を一から全て叩き込んだのがマダムリンデだという。そんな母のような存在であったマダムリンデを、初めはふざけて呼び始めたママ、という呼称は、いつしかヴィオレッタにとって大切なものになり……マダムリンデがスエーニョ・デ・エストレーラを退団した今でも親しみを込めて呼び続けているとのことだ。
「ちょっと母さん」
「なんだい、アンタもママって呼びたいの?」
「いや、違うって。皆さん困ってるから」
男性の呼びかけによって弾み始めた会話を中断され、少し棘のあるトーンで返事をするマダムリンデであったが、さすがは息子。母の扱いをよく知っている。
軽くいなすようにそう指摘され冷静さを取り戻したマダムリンデは、
「うーん、そうだね。まずは夕食でも取りながら話そうか。思い出話はその後にでも」
少し名残惜しそうに、ロルフたちを客室へ案内するよう息子に指示を出した。