scene .30 夢の終わり
足元を見ると、土のひかれた地面のところどころに赤黒いシミが小屋に向かっていくつも出来ている。これは先程の男性の血液、だろう。だとすると、聞こえて来る弱った声もあの男性のものだろうか。
二人の会話に耳を傾けながら、ロルフは血痕を踏まぬように小屋に近づく。
すると、思っていた通り、血の気の引いた先程の男性が青い蝶羽を生やした女性の座るベッドにもたれかかるようにして近くの椅子に腰かけていた。
傍にゴルトがいることから、ゴルトがこの男性をここまで連れてきたのだろう。
『私が、君なんかに釣り合うはずも、なかったんだ……』
『いいえ、貴男のお陰で命の尊さを知ることができたのです』
だからどうか、そんなことを仰らないで。そう言う女性の目からはとめどなく涙が溢れ出している。
『貴男と出会ってから、それ以外にも本来知り得なかったたくさんのことを知れました。今、わたくしがこれほどに幸せでいられるのは貴男がいて下さったから』
いくつもの後悔を口にする男性を、女性は優しい声で宥め続ける。
痛々しく辛い情景であるはずなのに、ロルフは不思議な気持ちを抱いていた。この二人には会ったことはないはずである。だが、なぜか心地よく――懐かしい。
『私の、私たちの大切な宝よ……』
女性がずっと抱いていた布の塊を男性と共に覗き込む。中身が何かは見えないが、恐らく赤子だろう。
『ゴルト、この子を頼みました。力をほとんど失っているわたくしでは守り切れない。だから、どうか』
名残惜しそうに布の塊をぎゅっと抱き締め顔を近づけると、女性はその布をゴルトの方へ差し出した。
『私からも頼みます。ずっと迷惑をかけ続けてすまない。だがこれは私だけではなく君の親友の、ペルフェからの願いと思い受け取って欲しい』
そして男性は自分の首から薄い青色の宝石がつけられたロケットペンダントを外すと、その布の隙間にそっと置いた。
『このような些末な命一つのために、なんと愚かな』
ゴルトはそう言いながらも、赤子の包まれた布を優しく受け取る。そして、その布をじっと見つめると、
『わしは育てぬぞ。守りもせぬ』
そう言いながら先程男性が入れたペンダントを指で挟むようにして掴むと、ふぅ、と息を吹きかけた。すると、青色の宝石の近くにそれよりも少し大きい赤色の宝石が現れる。
ロルフはそれを見て、自分の首にかかっているロケットペンダントを握った。
その宝石はシャルロッテを獣人化した際にどちらもどこかへ無くなってしまったのだが、確かに覚えている。という事はあの二人はやはり――
『十分なお守りだわ。ありがとうゴルト』
『ふん、力を制御するのがちと難し……』
宝石の大きさを見てクスクスと笑う女性に、ゴルトが反論しようとした時だった。大きなサイレンの音と爆発音が近くで鳴り響く。
『行って、ゴルト。最後まで味方でいてくれて、親友でいてくれて、本当ありがとう』
その言葉を最後まで聞くか否か、三人とロルフがいる場所の間の壁が叩きつけられるように崩壊した。咄嗟の出来事に思わずつむってしまった目をロルフが開けると――そこは焚火の前だった。焚火が未だ燃え続けているのは、見回り担当の団員が薪を継ぎ足してくれたからなのだろう。辺りは白け始め、ぽつぽつと目を覚まし出した団員たちが小さな声で今日の作業について話し合っている。
「ロルフ、泣いてるの?」
と、直ぐ隣から、心配そうなシャルロッテの声がした。いつの間にかロルフが羽織っている毛布の中に潜り込んできていたらしい。
「ん、いや……大丈夫だ」
そう言ってロルフは眼鏡の隙間から手を入れ涙を拭う。突然近くでした声に驚いたロルフを余所に、シャルロッテは寝ぼけた様子で「そっかぁ」そう答えると、再び舟をこぎ始めゆっくりと夢の中へ戻って行った。
ロルフは毛布からはみ出しているシャルロッテをしっかりと毛布に入れると、夢の内容を思いだす。
あんな夢を見たのは、ヴィオレッタから家族の話を聞かされたからなのだろうか。はたまた、以前から続いている夢と一緒に、誰かに見せられた夢なのだろうか。
「んー……」
たまにもぞもぞと動くシャルロッテの頭を撫でつつ、ロルフは首を振った。考えた所で答えが出るものではないだろう。
ただ、目覚める直前、瓦礫の隙間から女性がこちらを向き何かを口にしたように見えたのは何だったのだろうか。それとも、話してみたい、そんな気持ちからそう見えただけなのだろうか。
――これも考えたって答えは出ない、な。ロルフは冷えた指先を温めるため、シャルロッテを撫でていた手を毛布の中にしまう。
それに、不思議な点がいくつもあるとは言え夢である事に変わりはない。ただの夢である可能性も十分にあるのだ。それでも。
次会った時にゴルトに聞くことくらい許されるだろう。そう思ったロルフは、過去を話したがらないゴルトにどのように話を切り出すべきか、まずはそこから考えることにした。