scene .22 脱出
無空間は、魔術によって作り出されたものが強制的に消滅させられた際に現れる空間である。魔術と魔術がぶつかり合う事などでも発生し、その空間に飲み込まれたモノは存在が消えるとされている。つまり、“無”へと還って行くことからそう呼ばれるようになった。
「ロロ、クロン! こっちに寄れるか?」
ロルフはシャルロッテを抱きかかえながら、ロロとクロンに声をかける。
ロロはクロンに支えられながら何とか立ち上がるとロルフのいる方へと歩を進めた。クロンもまだかなり顔色が悪いが、ロロに至っては小さな揺れですら足をもつれさせている。一人で歩くことは難しそうだ。無空間によって八方塞がりになる前に出来れば全員で扉を探したい状況だが、そうはいかないらしい。
「ふわぁ……」
「シャル!」
と、状況に似つかわない呑気なあくびと共にシャルロッテが目を覚ました。
ロルフはそんなシャルロッテに、今の状況を簡単に――と言っても相手はシャルロッテなので、難しい事は省いて早言に説明する。
説明を聞いているのか聞き流しているのかわからないぼんやりとした様子で眠たげに目をこすりながら、
「とびらぁ? あれのこと?」
そう言ってシャルロッテが指をさしたのは、天井だった。
成人男性が手を伸ばして思い切り跳ねてもギリギリ届かなさそうな高さの天井。こちらも例外なく徐々に溶け、所々無空間が発生している。そんな天井の、丁度ロルフとシャルロッテが立っている位置の真上。泥の隙間から何やらノブのようなものが光を反射して光っていた。ほとんど形を捉えられないものの、扉の枠らしい部分もうっすらと見える。
「……っ!」
不幸中の幸いとはこういうことを言うのだろう。まさかこんな近く、それも全員が集まっている位置に扉があるとは思いもしていなかったロルフは驚きで一瞬思考を停止させた。だがすぐに冷静さを取り戻すと、シャルロッテに指示を出す。
「あの扉、開けられるか?」
「はーい」
相変わらず状況とは似つかわしくない間延びした返事をしたシャルロッテを、ロルフはぐっと上に持ち上げた。
シャルロッテは泥をかき分けるようにノブに指先をかける。だが、腕を流れ落ちてくる大量の泥に「うぇー!」そう言って思わず手を引っ込めた。
「シャル!」
「だってなんか汚いのがいっぱい……」
「今は泥なんて気にしている場合じゃないんだ、開けろシャル!」
いまいち事態を把握できていなさそうなシャルロッテに、ロルフは発破を掛ける。シャルロッテを持ち上げるために無理な体勢をしている上に片側のメガネに泥が落ちてきてしまったせいでよく見えないが、無空間がどんどん広がってきているのがわかる。
広い範囲連続した地面が少なくなったためか、エルラがロロを抱き、地面に横たえられていたランテもいつの間にかヴィオレッタに抱きかかえられていた。
「早くなさい!」
ヴィオレッタの言葉のおかげで全員が自分に真剣な眼差しを向けていることに気付いたのか、シャルロッテはノブを見つめる。そして、意を決したようにグイっとノブを引く。
「わぁあ!」
「お、おい、暴れるな!」
泥の重さも相まって、手前に開いた扉が勢いよくシャルロッテの頭上を通り抜けた。それに驚いたシャルロッテが体勢を崩すと、その重みに耐えられなくなったロルフもバランスを崩す。
大きく傾いたロルフからなんとか落ちまいと頭にしがみつくシャルロッテのせいで視界を失ったロルフが、倒れまいと数歩後ろに下がり無空間に足を踏み入れかけた瞬間――
「あがっ……!」
背中に大きな痛みが走った。
「今貴方に居なくなられると困ります」
「本当よ! ワタシが出るまで死ぬなんて許さないわ!」
シャルロッテを下に降ろしつつ後ろを見ると、どうやらヴィオレッタの足とエルラの鎌の柄に背中を強打されたようだ。
無空間に落ちることはなかったが、お陰で手足が大分痺れているし暫く仰向けで眠る事は出来なさそうである。そんなに強く叩かなくてもよかったのでは、そんな事を思いつつロルフは痛む背中をさすると、早くしろと言わんばかりに扉の下でこちらを見つめるヴィオレッタに手を向けた。
自身の力よりも大きな力を出せるとはいえ、ヒト二人を、しかも真上に持ち上げるというのはなかなかに難しい。何度かヴィオレッタに罵られながらもなんとか扉の外へ送り出すと、次にクロン、ロロを抱えたエルラ、シャルロッテを順々に送り出していく。そしてロルフは最後に自身を浮かせると、迫りくる無空間の波から逃げるように扉に手を掛け外へ飛び出した。