scene .19 解けない結び目
恐らくあの時、ランテが目を覚ますまでエルラはデェーテの思念が魂に留まり続けるように祈りを捧げていたのだ。その祈りを止めた時点でデェーテの魂は純な魂、すなわち、エルラ達の刈り取り対象であり新しい生命へと宿るためのまっさらな魂へと近づいてしまう。そんな不安定な状態でランテが悩みでもしたら、ひとつ言葉をかわすのも難しかったかもしれない。
ランテが最後にデェーテの温もりを感じることができたのは、エルラの迅速な行動のお陰、とも言えるのだ。
「怒ったりしてないよ。逆にすごくすごく感謝してる。ありがとね、エルラ」
「ランテ……!」
よかった、という気持ちが溢れんばかりのエルラの表情に、ランテは気まずさを感じ一瞬だけ視線を外す。
そして、ゆっくりと体を起こすと膝を折って座り姿勢を正した。
「ごめん!」
ランテの威勢の良い謝罪に、エルラはその場で目を丸くする。
ランテはというと、気持ちに従って勢いよく頭を下げ過ぎてしまったらしい。体を畳んだことで増した脇腹の傷の痛みに、必死に耐えていた。だが、ランテはそのままの姿勢で言葉を続ける。
「うち、自分のことでいっぱいいっぱいで、エルラの気持ちを考えずに傷つける事たくさん言ったよね。今となってはどうしてあんなに酷いことを言ったのか自分でもわからない。ほんとに、本当に、ごめん! ――もし……もし、エルラがよかったら、これからも仲良くしてくれないかな」
ランテは頭を下げたままの体勢でエルラの返事を待つが、一向に何の反応も無い。と、すぐ前に見えるエルラの膝の近くに、大きな雫が落ちる。
「え、エルラっ?」
驚いたランテが顔を上げると、エルラは瞳に大粒の涙を湛えていた。
「もちろんです!」
零れ落ちる涙を拭う事もなくそう言って笑うと、エルラはランテに覆いかぶさるように抱き着いた。
「い、い、痛ぁっ!」
「あ、ご、ごめんなさいっ」
そのまま倒れ込むようにして床に寝転がったランテの上げた大きな悲鳴に、エルラが慌てた様子で謝る。
だが、ランテは満足そうに笑った。
「これからもよろしくね、エルラ」
「はい」
奔放な性格のランテの考えは、思い悩んだ所で自分には理解できないだろう。それでもいつか考えている事や思いを共有できるようになれたら、エルラはそんな明るい未来を思い描きながら笑い返す。
「あ、そうでした」
何かを思い出したかのようにそう口にしたエルラを、寝ころんだままのランテは不思議そうな顔で見る。
そんなランテにお待ちください、そう言うと、エルラは部屋の隅に置いてある小さな金庫の金具を回し始めた。何事かと体を起こしたランテが立ち上がるよりも先にエルラは元の位置へと戻ってくると、金庫から取り出したのか、黄色い紐のようなものを二本、ランテに差し出した。
「これって……」
その紐は、ランテが髪留めに使っているリボンとよく似ていた。このリボンは元々デェーテの服についていた装飾だったそうだが、ランテを保護した際に気に入ったのかずっと離さなかったためおもちゃとして与えられたらしい。大きくなるにつれおもちゃとしては不要となったが、愛着がありずっと身につけるために髪留めとして使っていたのだ。
「大叔母様……おばあ様から、大人になるランテへのプレゼントだそうです」
ランテはデェーテからプレゼントを貰ったことなど一度も無かった。エルラと友達になってから初めて誕生日プレゼントをもらった時、そんな風習が世の中にはあるのかと衝撃を受けたくらいだ。
そんなデェーテがまさかプレゼントを用意しているなんて。デェーテからの初めての誕生日プレゼントに、ランテは目頭を熱くする。
「ばっちゃ……」
リボンを握りしめ涙をこらえるランテを、エルラは優しく抱き寄せた。
「おばあ様、初めてのプレゼントをご自分で渡せないことをとても悔やんで……でも、完成させられてよかったと。毎日少しずつ魔力を込めてランテの幸せを祈って編み込んだそうですよ」
『柄にもない事をするもんじゃないねぇ。いつも以上に肩が凝っちまったよ』エルラはランテが眠っている間に引き留めていたデェーテの魂が、そう言って笑ったのを思い出す。
「ランテはずっと、おばあ様と一緒です」
ありがとうと何度も口にするランテの気が済むまで、二人は静かな時を過ごした。
ちなみに、術の発動のために付けられた脇腹の傷は普通の傷とは異なるためフェティシュや魔術では治すことが出来ないらしく、ランテはしばらく不自由な生活を送る事となった。エルラも、衣装を持ちだしたことや仕事の放棄が母親に知られてしまったようで、ルウィによる擁護でかなり大目に見られたものの全くお咎めなしとはいかず、しばらくの外出を禁止されたらしい。
そして、この時にエルラが得たデェーテの秘密はもう一つあるのだが、それは今もエルラの心の中に仕舞われている。