scene .15 先には立たぬモノ
「……できません」
ランテの視線から逃げるように顔を後ろに背けながら、エルラはそう呟くように告げた。
あまりに大きな病に罹ったり、怪我を負うと器そのものが経過日数と関係なく小さくなることがあるが、それは病や怪我をそのまま放置した場合の命数に変異しているためであり、病や怪我が完治すれば基本的には元に戻る。だが、デェーテの器の縮み方は病によるものだとはとても思えなかった。
それに、器の大きさを変動させることのできる力をエルラは――いや、獣人は誰一人として持ち合わせていない。
「どうして……」
エルラの返答に、ランテは項垂れる様にその場に崩れ落ちた。
グズグズと鼻をすする音だけが小屋の中に響く。
「ランテ」
「どうしていつも……どうしていつもそうなの! 大事なことはいつもダンマリ!」
掛けるべき言葉が見つからずランテの前にしゃがみ込んだエルラを、ランテは後ろに突き飛ばした。
「そ、それはおばあ様が……」
「なに、それ」
動揺して思わず口走った言葉を隠すようにエルラは口元に手を当てる。
が、それが尚更ランテの怒りを煽ってしまったようだ。ランテは立ち上がるとエルラの前まで歩を進め、睨みつけるような視線を向けた。
「知ってたんだ。知ってて黙ってた。ほらまたそう! 何だってそう! うちがばっちゃをどれだけ……」
何かを思いついたようにハッとしたあと、ランテは怒りと哀しみが混ざったような表情を浮かべる。
「もしかしてずっと? 何だって教えてくれないのはそういう事? そうなんだ、初めて会った時からずっと。本当は心の中で笑ってたんだ。虐められてたのを助けたのもうちのことを馬鹿にするため」
「違います、ランテ」
「ちがくない! こんなのあまりにひどい! 酷すぎる!」
思いもしない方向へ思考を巡らせるランテを止めようと口を挟もうとするが、ランテの暴走は止まらない。
こうなってしまうと
「あんたが……あんたが私を庇うせいでどれだけ惨めな思いをしてきたか分かる⁉」
その言葉に、エルラは何も言い返せなかった。自分の存在がランテを更に追い詰めていた、そんな事を微塵も考えたことがなかったためだ。
エルラの表情がどんなものであったのか、ランテはしばらくエルラと目を合わせると少し落ち着きを取り戻した様子で「帰ってよ」そう呟くように口にした。そして、その場から動こうとしないエルラの手を取り立ち上がらせると、玄関へと押しやる。
「もう、来ないで」
その言葉と共に閉じていく扉の向こうに見えたデェーテの器が、またひと回り小さくなるのが見えた。
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****
***
翌朝。
本来なら、久しぶりにぐっすりと眠りすっきりと目を覚ますはずであった朝。
エルラはぼんやりとしたままベッドの上で体を起こした。なぜこうなってしまったのか、あの時こう言っていれば、などと考え続け一睡もできなかったはずだが、不思議と眠気は感じない。ただただ、ぼんやりと何か黒い靄に包まれたような気持ちだった。悲しいはずなのに涙は出ず、寄り添うよりも自分を正当化する為にする言い訳ばかりを考えて。それどころか仕事をせねば母に叱られる。そんなことまで考えてしまう自分に、私は本当に悪魔なのかもしれない、と思った時だった。
――コツコツコツ。
扉をノックする音が静かに部屋に響いた。
「失礼いたします」
返答がなかったため不在だと判断したのだろう、しばらくして良く聞く執事の声と扉の開く音が鳴る。
「ひょ、お、おじょさま!」
この執事は不測の事態に弱い。何とも間の抜けた声に、エルラは意味もなく壁紙の柄をなぞっていた視線をゆっくりと執事の方へと向けると、
「おはよう、ルウィ」
そう呟くように言った。
「お、おはようございます! どうされたんですかそのお顔……! お着替えもまだではないですか。メイドを呼んで参……」
ルウィが言うには顔がどうにかなっているらしい。だが支度くらいは自分で出来る。エルラはメイドを呼ぼうと身を翻したルウィの服の裾を引っ張り小さく首を振った。
「平気です」
「ですがお嬢様……いえ、わかりました。まずは汚れを落としましょう。お上がりになりましたら、こちらにお召し替え下さい。履物は……ひとまずはこちらを」
ひとまずとエルラに示した履物をベッドの下に用意すると、着替えを浴室の方へと運んでいく。普段は全くもって頼りにならなさそうなルウィだが、仕事となると手際が良い。
テキパキと動く彼の姿を眺めながら、エルラは一つ息を吐いた。昨日はランテに小屋を追い出されてからぼんやりとし過ぎて、国民たちの声かけにも一切反応せず帰ってきてしまった気がする。というよりそもそも、本当に自分の足で歩いて帰ってきたのか、それすらも記憶にない。
だが、ルウィのお陰で少しは正気を取り戻せてきたようだ。エルラは浴室から戻ってくるルウィにお礼を告げると、浴室へと入って行った。