002 魔王様とお風呂
「魔王様、今夜の食事はいかがですか?」
「はんばーぐおいしい!」
「それは良かったです」
美味しそうに俺が作ったハンバーグを頬張る魔王様。
恐らくその中に刻んだピーマンが含まれているなどとは露にも思っていないのだろう。
こんなやり方では魔王様の好き嫌いを本当の意味で克服できているわけではないのだが、今回は魔王様の栄養バランスを維持することが出来たことを素直に喜ぶことにしよう。
それに今回のは草冠のお礼という名目もある。
魔王様が喜んでくれればそれでいい。
「ごちそうさま!」
あっという間に夕食を食べ終えた魔王様は満足そうに笑顔を浮かべると、今しがた空になった食器を片付け始める。
本来であれば魔王様の家来である俺が片付けるべきなのかもしれないが、こんなに小さいうちから上下関係などを知る必要はないだろう。
そういうのはもっと大人になってからゆっくり教えていこうという判断である。
因みに俺も既に夕食は食べ終えている。
もちろん魔王様と一緒に、だ。
そっちの方が一人で食べるよりも美味しいからである、異論は認めん。
「それでは魔王様、お風呂に入りましょうか」
「おふろ! きれいきれい!」
夕食を食べ終えたら次はお風呂だ。
今日は庭園でもいっぱい遊んだようだし、念入りに魔王様の身体を洗ってさしあげなければならない。
「ですといそいで!」
「ま、待ってください魔王様」
魔王様はお風呂がお気に入りだ。
身体が綺麗になっていく感覚が好きなのか、それともお湯につかるのが好きなのか。
聞いたことが無いので分からないが、魔王様は毎日こうして俺を急かす。
俺は自分と魔王様の分の着替えを急いで用意し、魔王様に手を引かれながら浴場へ向かう。
そして脱衣所で服を脱ぎ、浴場に入る。
さすが魔王城というべきか、二人で使うには明らかに大きすぎる浴場だ。
しかし魔王様が気に入っていることもあり、わざわざ改築したりする予定はない。
「魔王様、まずは身体を洗わなくてはいけませんよ」
浴場に入るや否や、そのままお湯にダイブしようとする魔王様を慌てて止める。
「ですとー、はやくあらってー」
「じゃあちゃんとじっとしてないと洗えませんよ」
「むぅー」
まずは魔王様の髪を洗わなくてはならない。
以前に比べてすっかり伸びてしまったその髪を優しく洗っていく。
「それじゃあ流しますから、目は瞑っていてくださいね」
「はーい!」
元気のいい返事をした魔王様の髪の泡を、お湯で洗い流していく。
もちろん泡が魔王様の目に入ってしまわぬよう細心の注意を払って、だ。
「次は身体を洗っていきますね」
髪を洗い終えた俺は、そのまま魔王様の身体を洗っていく。
布一枚を隔てた魔王様の柔肌の汚れがなくなるように丹念に泡立てる。
洗う途中で、くすぐったかったのか魔王様が身をよじるが俺は洗うのをやめない。
これも魔王様が常に綺麗で可愛くあるためだ。
「よし、もう大丈夫ですよ!」
「ふーっ!」
身体も洗い終わり、泡も流し終えると、魔王様は勢いよく浴槽にダイブする。
本当は咎めるべきなのかもしれないが、子供らしさということで大目に見よう。
俺はさっと自分の身体を洗うと、魔王様も入っている浴槽に浸かる。
温かなお湯は今日一日の疲れを癒してくれるようだ。
まあまだやることは残っているのだが。
魔王様は疲れを癒すとった気分はまだ分からないのか、浴室の中で何やら遊んでいる。
「くらえっ」
「っ……!?」
お湯につかりながら目を瞑っていると、突然魔王様がお湯をかけてくる。
何の用意もしていなかった俺はもろに顔に浴びてしまう。
「ま、魔王様ぁ」
「おこったー!」
「あ、待ちなさい!」
人が疲れを癒そうとしている時になんてことをするんだ。
しかし俺が魔王様を叱ろうとした時、既に魔王様は浴槽から出ている。
何とも逃げ足の速いことだ。
俺は魔王様を追いかけるため、泣く泣く浴槽から飛び出すのだった。
「ほら魔王様、そろそろお休みになってください」
「んぅー、あんまねむたくない」
「眠る前にあんなに走り回ったりするせいです」
着替える時間もあるのだから脱衣所では捕まえられるだろうと高を括っていたのだが、なんと魔王様は服を着ずに逃げ出すという暴挙を犯したのである。
産まれたままの姿で魔王城を走り回る姿は何と言い表したら良いか分からない。
ようやく捕まえた魔王様をそのまま寝室まで連れていき、ベッドに放りこんだのがちょうど今である。
「ねむたくなるまで、なにかおはなしして?」
「……はぁ、仕方ないですね」
どちらにせよ魔王様が眠ってくれないと、この後の仕事を安心して出来ない。
ベッドに横になりながら期待の眼差しを向けてくる魔王様。
そんな期待に応えられるかは分からないが、俺は一呼吸置くと、魔王様の頭を撫でながら一つの物語を話し始めた。
◇ ◇
昔々、あるところに悪逆非道の限りを尽くす者が一人おりました。
その者は「魔王」と呼ばれ、人々からは悪の体現者として畏れられていました。
しかし魔王が現れたのは初めてではなく、その更に昔にも魔王と呼ばれる存在は確かに存在していました。
そんな過去の魔王は「勇者」と呼ばれる存在に等しく滅ぼされ、世界が悪に包まれることはなかったと言います。
ですが今回の魔王は過去の魔王たちとは違いました。
魔王には仲間がいなかったのです。
これまでの魔王たちは幾万にも及ぶ配下たちを従えていました。
雑兵に始まり、四天王と呼ばれる屈強な配下たちは幾度となく勇者たちの前に立ちはだかり、最終的に魔王を討ちとるために相当な時間を要したと言います。
そんな邪魔な魔王の配下たちが一人もいないことを知って、皆は喜びました。
今回の魔王討伐は簡単だ、と。
しかし彼らの予想は大きく裏切られました。
時の勇者たちを筆頭に構成された数万にも及ぶ魔王軍討伐隊は、たったの数刻で壊滅させられました。
魔王は強かったのです、それも圧倒的なまでに。
たった一人の魔王を前に、世界は未曽有の危機に瀕しました。
勇者が力尽き、その仲間たちもほとんどが再起不能の状態に陥ったのです。
混沌が溢れる世界で、魔王はその歩みを止めません。
魔王は手始めに国を一つ滅ぼしました。
果敢にも立ち向かう兵士たちの抵抗むなしく、長きにわたって続いた国が滅ぼされるのに一日は必要ありませんでした。
そこで世界は悟ったのです。
魔王にはどう足掻いても敵わない、と。
魔王の怒りを買えば命はない、と。
そして魔王は世界を手に入れました。
魔王に支配される世界には戦争が絶えず、平和はあり得ませんでした。
しかしある日突然、魔王はその姿を消しました。
何かを言い残すでもなく、現れた時と同様にふらっと消えてしまったのです。
世界は歓喜に包まれました。
魔王の支配から解放された世界には平和が訪れ、人々の生活には笑顔が戻ったのです。
でも、魔王は一体どこへ消えてしまったのでしょうか。
もうとっくに死んでしまっている、という説が有力な中で最近ではこんな噂が流れているそうです。
魔王は最果ての城で今も尚生きている、と。
◇ ◇
「さいはてのしろ?」
話を終えた俺に、魔王様が不思議そうに聞いてくる。
「世界の果てと呼ばれる場所にぽつんと建っているみたいですよ」
「いってみたい!」
「……もっと魔王様が大きくなったら連れていってあげますよ」
「ほんとっ!? いつ!?」
そんなに楽しみなのかと思ってしまうほど、目をきらきら輝かせる魔王様の髪を優しく撫でる。
「いつかは分かりませんが、とりあえずは早く眠らないと大きくなれませんよ」
「も、もうねるもん! おやすみなさいっ!」
「はい、魔王様。おやすみなさい」
そう言って頭から布団をかぶる魔王様。
この様子ならあとは一人でも大人しく眠ってくれるだろう。
俺は手に残る魔王様の髪の感触を名残惜しく思いながらも、残った仕事をやり終えるために寝室を出た。
デ「魔王様! 今日はお一人で遊んでいてもらえますか?」
魔「むう? ですとはどこかにいくの?」
デ「え、えぇ。ちょっと用事がありまして」
魔「ずるい! わらわもいきたい!」
デ「だめです! 魔王様を連れていくなんてそんなこと……!」
魔「なにしにいくの?」
デ「小さな女の子のお風呂を覗いた不届きな者たちを成敗しに行ってきます!」
魔「めんどくさそーだからいいや。がんばって」
デ「はい魔王様! 行ってきます!」