第十話 知らない奴
ある日、学校からの帰り道。突然の事だった。
「江崎っ!」
「いっ、だぁ⁈」
俺は篠田に蹴っ飛ばされて電柱に頭から突っ込んだ。
あまりにも突然で蹴られるような心当たりは無い。いや、もしかしたら今日の練習の時に構ってやらなかったからなのか? でも、それは今の状況が問題なのであって、俺のせいでは無いと思う。それに、この状況は篠田も原因の一部なのであって……。あ……そういえば、今日は東雲にくっ付き過ぎてたかなぁ。
「江崎、いつまで電柱に抱きついているつもりだ。これを見ろ」
「あ、ああ……これは……果たし状⁈」
——次の日 学校
「ふぅ……じゃあ十分休憩してから、次は由紀ヒロインで通し練習するからよろしくね〜」
練習のまとめ役である東雲が今から休憩に入る事と、次の練習内容をみんなに伝えた。
ヒロイン候補が四人もいるから俺と海斗は普通の四倍の練習量という事になる。海斗はともかく、俺はもうクタクタで立ち上がることが出来無い。まだ、篠田と東雲の練習が終わっただけだから、残りの斎藤さん、睦心と二回も通しで練習しなければならない……。
「江崎〜、バテバテだねぇ。はいっ、飲む?」
疲れて俯き加減で座っていると、突然頭のてっぺん辺りがヒヤッとした。
「へぇ? ありがとぉ。飲むよ……」
疲れ過ぎて変な声しか出なかった。当然、これを聞いた東雲は俺を見下ろして笑っている。
「なんて声出してんの。まあ、仕方無いよね。後二回頑張れ〜」
俺がペットボトルを受け取ると、タオルで汗を拭きながらハンディカメラを持った女子達の元へと向かって行った。
練習はカメラで撮影していて、すぐに見返して出来を確認することができる。俺は一日四回も見てられないから、個人的に良かったと思う回の映像を見返す事にしているが、あまり効果を実感出来ていない。
重い頭を上げて、黒板の上に掛けられている時計の針の位置を確認する。
「十一時五十分か……。あと十分で予告された時間……」
これから起こる事を考えると疲れている事なんて言っていられない。だが、あの矢に巻きつけられた果たし状には篠田に決闘を申し込むと書かれていた。もしも、篠田一人で来なければこの学校を破壊すると条件が付けられて……。
「どうしたぁ! まだバテるのは早いだろ?」
疲れている時にこのテンションで絡まれるとキツイ。
「暑いからちょっと離れろよ……。バテるなってお前みたいな身体してないんだから無理言うなって」
「ハハッ! 仕方無いなぁ〜。……結月はどうした?」
「さあな、どっかでサボってるんだろ? 心配しなくても学校にはいるだろ」
「ふーん……、そうか。お、そろそろ再開だなぁ、頑張れよ祥汰!」
「えっ、もう時間か。休んだ気がしないな……」
海斗に絡まれたというのもあるけど、篠田の事が心配だからだ。こんな状態では、これからの練習に身が入る気がしない。
————
「時間か……」
屋上の端からグラウンドを見下ろしているのにも飽きた。ようやくこの退屈な時間から解放される。
遠くから風を切る音が小さく聞こえ、それが段々と大きくなって消えた。次は屋上のアスファルトを砕く音が耳を刺し、現れたのは鎧武者。
どこから飛んで来たのか分からない、少なくとも私の目で見える範囲の外からであることは確かだ。
「新たに新造された奴だな。まだそんな金が残っていたか」
私が目視できる距離は最長で約一㎞。その外からの跳躍はボロのボマーやナルシストには不可能だ。
鎧は私の独り言が聞こえているはずだが、何の反応も無く腰に差した刀の柄を掴み引き抜いた。
「刀を抜くか。私もその方が良い」
今日は果たし状を叩きつけられ、戦いになる事がわかっていた。私もあらかじめ屋上に突き刺しておいた斬機を鞘から引き抜く。そして、私の首を飛ばさんとする刃を受け止める。
迫り合いの中でも息一つ乱さず……いや、これは呼吸をしているのか分からないが、鎧の隙間から空気が出入りする音が一定の間隔で聞こえてくる。
「ハハッ! 殺す前にその鎧の下が見て見たくなった!」
鎧を押し返し、相手に一度距離を取らせる。
だが、時間をやるつもりは無い。着地する瞬間を狙ってこちらから踏み込み、腹をめがけて横一閃に振り抜いた。
「これで終わりだ。呆気ないものだな……」
鎧は腹から上と下に分れて、いつものように私の足元に転がって……。
「何故……切れんっ!」
斬機で切れない? 馬鹿な事があるかっ!
理解が追いつかず、頭が体への指示を忘れている。
「クソがっ……」
頭が本来の役割を果たし始めたのは、鎧が動く予兆を感じた時だった。そして、振り下ろされた一撃は余裕を持ってかわす事ができたのだが流れは悪い。
鎧の動きはさっきまでの隙だらけな動きとは打って変わって、対応するだけでも精一杯な程機敏なものになった。屋上を縦横無尽に飛び回り、その中央にいる私へ四方八方から襲いかかる。
「このままでは……埒が明かないな……」
攻撃の手は休まる事なく私へと向けられて、剣戟の音、鎧の呼吸音、地を蹴る音、それらが延々と続いて感覚がおかしくなりそうだ。しかも、規則的に決まった順番の方向から攻撃を仕掛けて来ている。
サイボーグは基本的に疲れを知らない。私もこの程度でバテるようなやわな人間ではない。だが、機械ならば命令を出しているだけで延々と同じ作業が行えるだろうが、人間ではそうはいかない。必ずしも同じ動き、タイミングを続ける事ができるとは限らない。
そして、その時が来た。最小限の動きで受けようと構えたが、それがいけなかった。さっきまでとは違いやや力の抜けた構えに、変わらない威力の一撃。それでは受け止めきれるはずもなく、体勢を崩され片膝をついてしまった。
「くっ……! 躱すのは無理かぁ! 潰すっ!」
両手で柄を掴んで刀を振り上げているおかげでボディがガラ空きになっている。そこへ斬機ではなく、右の拳を全力で叩き込んだ。
「チィッ! 流石に硬いな……」
拳が胴に入った瞬間に鈍い音がしたが、手は無事だ、折れてはいない。
それはいい、問題は胴には何のダメージも見られない事だ。あれだけの力を叩き込んだのだから跡くらいは付くと思ったが……。押し返しただけか。いや……? 何か変わったか?
「この音……ハハッ! 効いてるのか!」
どれだけ動いても乱れなかった呼吸のリズム。私の感覚を狂わせ不快にしていたあの音が、乱れて波が起こっている。側の強度と釣り合うような中身を作る事は不可能なのだろう。このまま殴り続けて内側から破壊してやる。
まさか、斬機がありながら拳で戦う事になるとは思いもしなかった。それが有効ならそうするまでだが。
さっきのダメージでまだ息は荒く、飛び回るような動きは鳴りを潜めている。地蔵になったらただの硬い飾り物と変わらない。闇雲な攻撃をいなしながら、じわじわと端に追い詰めて甚振っていく。
「さあ、諦めろ。もう逃げ場は無い。首を出せ」
フェンスに背中が当たるほどまでに追い詰めた。私の勝ちだ。果たし状を叩き付けておいて逃げるなどという事は無いだろう。
「さっさと首を……どこを見ている……?」
刀を下ろして何も無い所、屋上の床を見ている。それが段々と上へと向かい、正面の私を見た。
「結月! 生きてるか⁈」
「馬鹿がっ! 何故だ⁈」
背後からの声だったが、振り返らなくても声の主が誰かは分かる。ここにやって来た理由も分かる。分からないのは何故江崎があのバカを引き止めなかったのかだ。
「江崎から聞いていないのか!」
「何をさ? それよりもさっさと片付けるぞ。先生達が向かって来てる」
「私がすぐに仕留められなかったから……」
「さっきから何言ってるんだ? とにかく、ここで暴れられるのは不味い。河川敷の方までコイツを引っ張るぞ」
作戦のような物を考えてももう無意味だ。
私以外の者がここへ来た時点で決闘は無効になり、この鎧の目的は私の命では無くなる。
「ウォアアァ!!」
海斗が現れてから呼吸音すら出さずに沈黙していた鎧は、突然呻き声に似たような叫び声を上げた。
「殺る気だなぁ! コイツぁ!」
指の関節を鳴らして殺気立つ海斗を尻目に私は敵の動きに全神経を傾ける。私と海斗には向かって来ない、何としても先に回り込んで叩き落とす。
「動いたっ!」
こちらを向いたまま大きく後ろへと飛んだ。背後の柵を飛び越えるつもりだろう。その方向には野球部のグラウンドがある。恐らく人がいる筈。私の不始末で被害が拡散するのは不愉快だ。
幸いな事に回り込めないスピードではなく、柵の向こうで待ち構えることができた。
「何やってる⁈ 落ちたら死ぬだろ!」
海斗も遅れて飛んだが、どちらにも追いつきそうにはない。
「落ちろっ!」
衝撃に弱いのなら、叩き落として中身をメチャクチャにしてやる。踏み込めない分、体がねじ切れそうなほどの捻りを入れて斬機を振り切った。
しかし、その一撃は軽々と弾かれ、反対にこちらが叩き落とされてしまった。
頭から真っ逆さま。四階ある校舎の屋上から落ちている。海斗は落ちたら死ぬなんて事を言っていたが、これくらいなら何度でも落ちた事がある。
「修理費は止む無しか……」
斬機はこの手にある。それを校舎の壁に突き刺しブレーキ代わりにして減速させ、何の衝撃も無く地上に降り立った。校舎の壁を見上げると深々とした傷跡が残っている。
「もうあんな所に……」
よそ見は一瞬のつもりだったが、鎧との間には百m以上は開いているだろうか。もうグラウンドに入り込もうとしている。練習場を囲んでいる金網を刀で切り裂き中へと消え、その直後に悲鳴が聞こえた。
「女の悲鳴……?」
何故野球部がいる筈のグラウンドから女の悲鳴しか聞こえないのか。
そんな事を考えながら急いでグラウンドへと入ってみると、そこには部員達が倒れていた。しかし、目に見えて大きな怪我はしていない。生徒の命を奪う事よりも学校の破壊が目的だからだろう。
鎧は手当たり次第に物を破壊していく。その姿は滑稽なもので、このような状況でなければ大笑いしていたかもしれない。
それを執拗に追い続ける海斗に対しては、私を叩き落とした時に振るったような一撃を何度も繰り返している。あいつがサイボーグで物扱いだからなのか、邪魔をされているからなのか……。
「少しは押さえられないのか! 追い付けんだろうが!」
私がどれだけ追いかけても転々とされて全く追いつく事ができない。そして、ホームベース側から始まった追いかけっこは、バックスクリーンの上にまでやって来てしまった。
「刀がありゃいいんだけどな!」
そう言いながらも剣戟をかわして頭へと蹴りを打ち込んでいるが、効果があるようには見えない。頭への打撃は効果が無いようだ。胴の中に重要な部分が内蔵されているという事か。
「頭じゃない! 胴を殴れ!」
「蹴りじゃ駄目なのか?」
ふざける余裕があるならさっさと仕事しろ!
それから海斗は言われた通り胴へと狙いを定めたが、一発も直撃させる事ができない。
「ヘタクソ! もういい、私がやる」
胴を守るために鎧の動きが少し鈍っていた。そのおかげでようやく追い付く事ができ、これで二対一だ。
しかし、追いつくまでに時間をかけ過ぎだ。とっくにグラウンドを出て、三年生と一年生の校舎、部活棟、体育館がボロボロに壊され、今は二年生の校舎へと舞台が移された。
もうこれ以上壊す事ができる建物や施設は無い。ここへ来た時に睦心も合流した、奴を止める事ができずにここまで来てしまった事は仕方無いと割り切って、ここだけでも守らなければ。
「兄さん、何か作戦はあるのですか!」
トンファーで攻撃を受け止めながら兄へと怒鳴った。
「そんなもんねぇよっと」
「ああ、あるとすれば『胴を殴れ』。それだけだ」
二人とも同時に睦心の作った隙を突いた。
海斗は対応されて不発に終わったが、私の拳はクリーンヒット。しかし、さっきのようには効いているように見えない。
「よっしゃ! 久し振りの当たり!」
「お前も当てろ」
「お前らみたいに得物が有るワケじゃねぇんだからよ!」
ふざけている兄とは違い妹は真剣だ。
両手に持ったトンファーは一見ぶん回されているだけに見えるが、それは流れるような攻守の移り変わりを見せてくれている。
手も足も一切休ませる事なく、忙しなく動き回る敵に食らい付く。戦闘向きのサイボーグではない彼女にとっては辛く、もう限界が来ているかもしれない。そのせいか、海斗へ向けられた言葉の語調もキツイものだった。
「集中してください! くっ……、もう駄目ですね……」
斬機のように特別な物でなければ、あの力から繰り出される攻撃を受けて無事では済まない。睦心は苦い顔をして亀裂の入ったトンファーを鎧へと投げ付けた。それは払うまでも無いと判断されたのか、命中したものの何の影響も無い。これでまともに接近できるのは私だけだ。
そして、とうとう私達の教室のある四階へと到達されてしまった。まだ負けていないのに敗北感で満たされてしまう。
この四階には一組から三組の教室があり、今私達は三組の中だ。
「お前達はもういい。こいつの相手は私だけで構わない」
誰かが接近する度にちょこまかと逃げ回られてしまう。有効打を期待できない二人がいても邪魔になるだけだ……と、考えるのは気休めか。一人になっても状況は何も変わらない。
無茶苦茶にされて行く教室。それを止める為に何度殴っても止まらない鎧。何故効かない? さっきと何が違う? いっその事、斬機が折れてくれれば諦めがつくというのに……。
そして、残るのは一組だけとなった時だった。
「篠田さん、もう引きましょう。避難は済んでいます。それに、その右手ではもう戦えません……」
ここを離れていた筈の睦心がいつの間にか戻って来ていた。
一組の戸を突き破って行った鎧を追おうと屈んだ時に肩を掴まれ、この言葉で私を引き止めた。
「右手……? そんな事で引けるか……」
右手と言われても何も感じない。どうせ大袈裟に言っているだけだろうと顔の前に持ち上げた。
それを見るとジンジンとした痛みを感じ始め、それが次第に大きくなり、その後には鈍い痛みが襲った。
気が付かないうちはアドレナリンが出ているから良かったものの、一度気が付くと意識していなくても激痛を感じるようになってしまう。その痛みは私の戦意を完全に喪失させた。
——二日後 リサの仕事部屋
「記録を漁ってもあんな種類は今まで確認された事が無かったし……先生の開発データでもあんなのは見た事なかった……」
リサは先日の鎧について調べた結果を、ここに集まった全員へと伝えた。椅子でクルクル回っているのは分からない事のイライラからだろう。
「私達の記憶にもそれらしい物が無かったという事はここ半年の間に作られたという事でしょうね」
「データ弄られてたらわかんねぇけどな」
「それは無いから。改竄記憶がされた跡は無かったし〜。てか、おい、そこの白いの。もうソレ解いていいぞ」
篠田の右腕はギプスで固定されて吊るされている。敵を殴り続けていたら手首の骨が折れていたらしい。
「やっとか。昨日の時点で痛みは無かったのに……」
ブツブツと文句を言いながら巻かれている包帯を解いて、ギプスの切断を始めた。
「篠田……、斬機でやらなくてもいいだろ……。下手したら腕まで切れるって」
しかし、そんな心配をよそに、数秒で外してみせた。もちろん、腕にはかすり傷一つ無い。
二日ぶりの再会にも表情を変えず、物を見るような目で問題は無いかとチェックしている。そんな事をするまでも無いのは本人が一番よく分かっているだろうが。
骨が折れれば早くても一月はかかってしまうだろう。しかし、篠田は生まれつきの特異体質で、傷を治癒するスピードが常人に比べ異常な程早いらしい。
今回も手首の骨折が二日で治っているし、これ以上の大怪我でも一週間以内には治ってしまう。訳わからん。
「そんな事よりも昨日言っていた物はできているのか」
「できてる訳ないだろ! 昨日今日で作れるもんじゃねぇ!」
それを聞いて篠田は溜息をついた。
「追加で金は払ってるんだ。そうだな……来週中には完成させろ」
何を頼んだのか俺は聞いていない。でも、この間の事があるから何かしらの武器だろう。それを今週と来週の二週間で完成させろとは無茶を言う。
「来週中……。んぁ〜! もう! やってやるよ! 金、貰ったんだしっ!」
イライラを爆発させるように頭を掻きむしって、来週中に完成させる事を承諾した。
「頑張ってくださいね。大変でしたらお手伝いしますから」
それを聞いたリサは、ニンマリと笑って睦心に抱き付き、背伸びをして頭を撫でた。奇妙な絵面が俺の眼に映っている。
「あ〜本当に睦心は可愛いなぁ〜。今度のメンテの時、ついでに胸大っきくしてやるよ〜」
「ななっ! 何言ってるんですか! やっぱり、さっきの話は無かった事にさせて頂きます!」
「何でやめるんだよ〜。俺は胸デッカイ方がいいぞ!」
確かにこの間のプールで目を付けたのは、かなりデカイあの二人だったな。
「そんなの必要ありません! それよりも、体の反応が鈍いのを何とかしてください!」
この後も睦心の要望が長々と語られていたが、俺は途中からは聞いていなかった。
それは、東雲から携帯への着信があったからだ。