見えないナルシスト オマケ
時計が十二時を指して、その事を知らせる放送が流れ始めた。その放送は二十分間の休憩時間に入る事も合わせて知らせている。
「どう? 落ち着いた?」
「うん……、もう大丈夫。……だから、手握るの……止めて……」
気まずそうな顔で俺の顔を見ている。なぜか挙動不審だ。
「分かったから小刻みに頭動かすの止めろよ。変だぞ」
もう最美の手は震えていない。本当に落ち着かせることができたようだから、安心して手を離すことができる。
俺が手を離すと最美は椅子から立ち上がり、まだ座っている俺の腕を掴んで引っ張って立ち上がらせた。
「ほら、さっさと戻るよ。ここよりは人少ないだろうし」
売店前のテーブルの並んでいるエリアには、昼飯時かつ休憩時間という事もあって段々と人が集まり始めている。
最美が人混みを好まないというのは昔からの事だ。俺もできれば知らない人間に囲まれたくはない。
「そうだな。あっちも騒がしいかもしれないけど」
————
自陣に戻ると案の定、海斗が中心となって騒がしくなっていた。
「マジですよ〜この話! 普段はあいつ、俺のかあちゃんみたいな事言ってますけど、二人だとめっちゃ甘えて来るんすよ!」
「へ〜、てっきりいつもあんな感じなのかな〜って、思ってたから意外だね」
「ダメダメ、先生。こいつの言うこと真に受けちゃ。嘘しか言ってないでしょ、どうせ」
「ええっ? そうなの……? 嘘なの?」
「イヤイヤイヤ! マジっすよ! 東雲! 変なこと言うなっ!」
「そうだよ、嘘しか言ってない事は無いと思うよ?」
「由紀、それは間違いだ。こいつは嘘の塊だ。私も何度騙されたことかっ……!」
「ゆづ先輩がそう言うならそうなのだ〜!」
「結月ちゃん! そんな事言っちゃ可哀想じゃないの〜」
「静……、何故お前は海斗に甘いんだ?」
「ん〜……、カッコイイから、かなっ!」
「静! 何考えてるの⁈」
やっぱりうるさかったか……。そして、何で人が増えてるんだ⁈
占領した陣地に敷かれたシートの上には、留守番していた篠田と心音、海斗が連れて来た先生と静さん。ここまでは認識していたから驚くことはない。
しかし、そこに東雲と斎藤さんが加わって、シートにはもう空いている場所が無くなっていた。
「ショータ、人増えてる」
「うん、分かってる」
分かってる。けど、どうしろと言うのか。
とにかく、あの輪の中に入って、静かにしてもらおう。
「東雲と斎藤さんも来てたんだな」
突然、前置き無しに会話に入って来た俺に視線が集まった。
「ああ〜、江崎じゃん! 待ってたよ〜」
「こんにちは、江崎くん。篠田さんから電話があって、お呼ばれしたんだよ」
篠田がそんな気の利く事するなんて思っても見なかった。少し驚いた顔で篠田の方を見ると、少し離れた所でいつの間にか取り出していたビーチボールに空気を入れていた。どうやら、それを使って遊ぼうと考えていたのだろう。海斗がナンパしてなかったとしても人数が多いと思うし、こんな人の多いプールを見てまだそう考えているとしたらヤバイよ……。
「まだ、ここに来てから何もしてないんだよね? やっぱり人多くて入れなかった感じ?」
「いや、最美が迷子になってさ」
「言わなくていい! アホ!」
隣から脇腹へと肘打ちが打ち込まれた。……無防備な脇腹には中々のダメージだ。
「でも、本当にどうするの? プールには入れそうにはないし、結月ちゃんの膨らましてるボールが使われる事なく萎んじゃうわね」
「何っ⁈」
「ボール使ってぷかぷか浮いたりできるから、使い道が無いわけじゃないですよ」
不貞腐れた顔でプールに浮かんでいるところを想像すると吹き出しそうになった。
「クソッ! ならば、多少の迷惑は止む無し……」
「ダメです! 周りの人に迷惑かけちゃダメです!」
先生として当然の反応だし、何故今そんな思考に至るのか意味が分からない。
「なら、どうし……いや、アレだ」
歯ぎしりしながら辺りを見回した篠田の視線がある方向に注がれ、そこから動かそうとしない。そして、静さんを手招きして視線の先を指した。
————
今は真夏で涼しくなれる遊びという事でプールや海に足を運ぶ。
「なのに……何でこんな蒸し暑い所に来なきゃいけないんだよ」
さっきまで軽かった足にはシューズが履かれ、膝には保護するための膝当てが付いている。
心音は、はしゃいで笑いながら走り回っている。その笑い声が反響して心音が何人もいるようだ。
「すごいね……急に体育館を貸し切るなんて……」
先生の驚きももっともだ。普通貸し切るためには数ヶ月前から予約しなければいけない。しかし、篠田は金にモノを言わせて今日ここを使っていた団体と話をつけて譲ってもらった。
「よし、みんな準備はできたな。江崎、海斗。あっちだ。女はこっち」
言われるままに動いた結果、バレーコートでネットを挟んで男子対女子という構図が作られた。
「結月、これで試合するつもり?」
「ああ、ちょうど良いハンデになってるはずだ。まあ、ルールでは一人で連続してボールに触れないからな。江崎はオマケだ」
「そうだよね。海斗くんだけでも勝てるか分からないよね」
しれっと酷いこと言うなあの三人! 斎藤さんはずなのにいつもなら中立のはずなのに……。
「頼んだよ心音。私の所に来たら全部取ってよ」
「うん! お姉ちゃんだもんね〜。頑張るよ〜!」
「それ関係ないけど……。はぁ、一緒にプールで遊べれば良かったな……」
そんな最美の願いも虚しく、篠田と東雲が中心となって、それぞれのカバーする範囲を決めて指示を出している。その指示はたかが遊びだとは思えないくらい細かく、無駄なんじゃないかと思ってしまうほどだ。
指示は十分以上も続き、ようやく終わった頃には何もしていないのにみんな汗だくになっていた。
「祥汰、祥汰!」
海斗が声を潜めて俺の名前を呼んで肩を叩き、耳を貸せと言う手振りをした。
「何だよ? もうすぐ始まるぞ……」
「別に用って訳じゃないけどさ。汗、良くね?」
『汗』とだけ言っただけでは何が言いたいのか分からなかっただろうが、海斗の視線から汗だくの女子達の事を言っているのだろう。答えはもちろん言うまでもない。
「ああ……凄く良い……」
良い。確かに良いのだが、意識して見てしまうと異常が起こってバレーに支障が出てしまう。残念だが、ここは視線を逸らして自らにお預けを課した。
「ハハッ! だよな!」
「お〜い、二人共何にやけてるのかな〜? サーブ行くよ〜」
向こうのコートではもう静さんがサーブを打つ準備を整えている。
「じゃあ、俺はトスに専念するからスパイクは任せた!」
「おう、ボール破るんじゃないぞ」
俺達もポジションに着き、構えてサーブを待つ。
————
「はぁ……、疲れたぁ〜」
更衣室前に設けられている自販コーナーのベンチに座り、さっき買ったコーラの缶を開けて口に流し込む。一気にではなく、三回ほどに分けて飲むつもりだから、そこまで勢いはよくない。
「早いね。私にも少しくれない?」
「ん? ああ、良いよ。ほら」
声の主は最美だった。大方、シャワールームが騒がしくてさっさと出て来たのだろう。
手に持っていた缶を差し出し、手渡した。最美から帰って来た缶の中にはもう三割ほどしか残っていない。俺と同じくらい飲んだみたいだ。
「ごめんな、無茶苦茶な事になって」
今日起こった事は俺の責任に依るところも大きい。最美がどのようなつもりでプールに来たのかは分からないが、今日みたいなのではない事は確かだ。
「何だか良く分からないけど……。もういいよ、また埋め合わせてくれれば良いから」
まさか許してくれるだけでなく、次のチャンスまで与えてくれるとは思わなかった。
「ホント⁈ じゃあ、次は海行こう! みんなで……が嫌だったら、二人でさ」
「うええっ⁈ 二人でっ⁈」
「二人だけの方が嫌? ……ま、そうだよな。次もみんな誘って行こうか」
「いや! そうじゃないから! 二人で行こっ! 誰も誘わないで私とショータで……」
ガッカリしたり嬉しくなったりと気持ちが最美に振り回される。
「そうか。そういえば最美、うるさいの嫌いだから二人だけの方が良いんだな。よしっ、この夏休み中に今度は二人だけで海行こう」
意思の確認するために最美の目を見て予定を口にする。
最美は「うん」と頷いただけで、他には何も言わなかった。
二人の会話がひと段落ついた時に、男子更衣室から海斗が髪を拭きながら出てきた。そして、それに続くように続々と女子勢も出てきた。
今日は久し振りに兄妹で楽しく遊ぶことができると思ったのだが、思わぬ乱入者のおかげで楽しいとは程遠い思い出となってしまった。
しかし、次こそは何事も無く最美と楽しく過ごせると信じたい。