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第九話 見えないナルシスト

 碌な目覚めではなかった。

「おっ兄ぃぃ〜〜!!」

 目覚ましってこんな音だったっけ。なんて呑気な事を考えてノンビリと目を開けると……。

「ぐあぁっ!」

 ————

 俺の部屋を出て、階段を下りる。その間、心音は俺の首に後ろから手を回して乗り掛かっている。耳元でキャッキャキャッキャと笑っているが、何が楽しくて笑っているのか分からない。

 階段を下りきって廊下に入るとガチャガチャという音が聞こえてくる。心音を背負ったままリビングに入ると、最美がテレビから二メートルくらい離れてコントローラのボタンを叩いていた。

「おはようショータ。さっさと準備して」

 最美は俺の事に関心はないが、一応という感じでテレビの方を向きながら朝の挨拶をした。というか、準備って何の事だ……?

「何の準備するんだよ?」

「えっ⁈ 一昨日の夜にプール行くって約束したでしょ」

「……そんな話したっけ……?」

「したよぉ〜。忘れたの〜? お兄バカ〜 」

 一昨日……リサと野球観戦した日だ。篠田と一緒に歩いて帰って、寄り道もしたからかなり遅い時間に帰宅していた。その日は気を張ってた事もあり、疲れていたからあまりその時の事を覚えていない。確かにそんな約束をしたような、しなかったような……。何とか頭の中から記憶を捻り出そうと唸っていたが、全く思い出せない。

「本当に馬鹿な奴だ。私も聞いていたぞ」

「うわぁ! いきなり入って来るなよ!」

「声は掛けた。聞いていないお前が悪い」

 最美はそれに頷いているし、心音は俺から降りて篠田にじゃれ付いている。

「って、聞いてたってプールの事をか?」

「そうだ。お前はウトウトしていたから忘れたのだろう。まあ、それはいいから早く着替えて水着を持ってこい。五分だ、早くしろ」

 篠田は動物に餌をやる時みたいに、お菓子を心音の目の前で振っている。お菓子に心音が飛びつくと、サッと躱してまた誘う。そんな繰り返しで遊んでいるが、この二人いつの間に仲良くなったんだ……?

「マジかよ……。はぁ……せめて十分……」

「五分だ、早くしろ」

「うぅ……リョーカイ……」

 ————

「うわっ……すごい人……。来なきゃ良かったかな……」

 最美は普段から人混みを嫌いで、わざわざ遠回りしてでも避けようとする。しかし、今のこの状況では誰でもウンザリするだろう。

 朝の十時を回ったところなのに、入場口の前は人だらけだ。まだ、ピークでは無い時間でこれなのだから、二、三時間後にはプールに入ってもただ浸かっているだけになりそうな気がする。

「あんな高い所から落ちるんだね! 東京って凄いなぁ〜」

 この人混みを見てもこんな風に呑気にしてられるのは心音の良い所だと思う。これを空気が読めないか、ポジティブに捉えるかは人それぞれだろう。俺は、ポジティブに捉えようと思う。そうしないと今はやってられない。

「日本で一番高くて長いウォータースライダーだからな。最美もやるよな?」

 興味が無いみたいな顔をしてケータイをいじりながら「いい」と一言で拒否された。しかし、そんな事を言いながら「俺も一緒にやるから〜」、「俺も手伝うから〜」とか言うと何でもやってくれるくらい押しに弱いという事を知っている。

「こんな所で突っ立っててもアレは変わらん。とにかく入るぞ」

「だな、はぐれないように手繋ぐか? 心音は……篠田にくっ付いてるし、最美手繋ごうか」

「いいよ……子供じゃないんだし。行くならさっさとしてよ」

 まあ、そうなるだろうなとは思ってた、予想通りだ。

 篠田が先頭になり、一列で人混みの間を縫って進む。少しの隙間があれば強引に突っ切ってくれるおかげで、外から見ていた時に思っていたよりは楽に進めている。

 そんな順調に進んでいた篠田だったが、何を見たのか突然立ち止まった。

「おーい。何で止まってんだよ〜」

 周囲の騒めきに掻き消されないように、遠くにいる人を呼ぶような声で尋ねた。

「……だ。何でアイツがいる……」

 アイツ……? 名前を言ったようだが、俺に聞こえるような声ではなくはっきりと聞き取れなかった。

 篠田には動く気配は無く、このままだと周りに押し潰されかねない。背伸びして見ても篠田が見ていると思われる物は見えずに、篠田の横に並んだ。

「え……何で居るんだよ? 誰か呼んだ?」

 と言っても、心音と最美は接点は殆ど無いし、篠田は呼ばないだろうな……。

 しかし、害のある奴じゃなくて良かった。

「おーい! 海斗〜!」

 海斗はサンダル、短パン、アロハシャツにサングラスを掛けて、夏を楽しんでそうな格好をしている。そして、女の子のグループを引っ掛けて談笑していた。

 俺の声に気が付くと、すぐに話を切り上げて女子達に笑顔で手を振りながらこっちへやってきた。

「よ〜う! 奇遇だなぁ! プール入りに来たのか?」

「当たり前だろ、ナンパする所じゃ無いんだぞ……。睦心は居ないみたいだけど……」

 海斗は腕組みをして真剣な目で遠くを見た。

「あいつは置いて来た……邪魔になるからな……」

 確かにそうだろうな……。睦心がナンパなんて行為を許すはずがない。

「こんな奴放っておけ。行くぞ」

 篠田は俺のシャツを引っ張って料金所へ向かったが、海斗はそれに付いて来ている。それに気が付いた篠田は足を止めて海斗を睨みつけた。

「何故付いてくる」

「俺も連れてってくれよ〜」

 海斗は篠田が掴んでいるのと反対側のシャツの裾を引っ張っている。

「無理な話だ。その手を離せっ!」

「なんで無理なんだよ〜。付いてくだけだからさぁ〜」

「邪魔になる! ……いい加減にしろ……!」

 篠田はシャツから手を離して右手を振り上げ……。

「ざ……!」

「やめろって」

「うっ」

 斬機を呼ぶ為に必要なのは指パッチンではなく、篠田の声だ。正確には二つの条件があり、篠田が「斬機」という言葉を叫んでの音声認証。もう一つは、篠田のバイタルが一定の値を超えるというのが条件となっている。バイタルのデータは体内に取り込んだナノマシンから送信されているらしい。

 バイタルの方は、篠田が瞬間湯沸かし器レベルで沸騰してしまうから簡単にクリアしてしまう。だから、重要なのは音声認証で、実質的に篠田が斬機を呼べばいつでも飛んで来てしまうという状態となっている。

 俺はその事を知っていたから、腕を振り上げようとした時にはもう口を塞ぎに動いていた。そして、思惑通りに手を篠田の口に添える事で、この人混みに斬機が突き刺さるという惨事を回避することができた。

「何をっ……!」

 篠田は俺の手を振り払いもう一度斬機を呼ぼうとしたが、今度はさっきよりは落ち着いたお陰か直前で止まってくれた。

「あのー……さっきから何してるんですか……?」

 そういえば妹二人は俺達がやって来た事を知らない。この反応も当然だろう。

「ま、まあ、気にするなよ。もういいだろ篠田。海斗も一緒に行こうぜ」

 篠田は舌打ちをしたが、渋々同意してくれた。

 あれこれと揉めている内にまた人が増えてきた気がする。また、篠田が文句を言いださない内に俺達は急いで料金所へ向かった。

 ————

「じゃあ、着替えたら見つけやすい所にいとくよ……って、心音は向こうだろ!」

「えー、お兄と一緒が良いんだけどなぁ〜」

 俺も同じ気持ちだ。なんて事言ったら篠田と最美に何言われるか分からないから止めておこう。ここは残念だが、ちゃんと女子更衣室の方に押し返す。心音は納得いかないといった様子だが、最美がガッシリと首を掴んで無理やり連行して行ってくれた。

 それを見届けて俺と海斗も更衣室に入ろうとした時に、篠田が駆け寄って来て腕を掴み引き寄せて俺の右手を開いた。そして、手に馴染みのある物を握らされた。あまり使いたくはない注射器だ。

「一応持っていろ。一人になった時に襲われるかもしれん」

「……まあ、そうだな。お前は持ってるのか?」

「ああ、着替えた時どこにしまっているか当ててみろ」

 そう言い残し更衣室へ入って行った。

 着替えてプールエリアの中に入ると外以上に人口密度が高かった。プールサイドだけを見れば外程は人がいないのかと錯覚しそうだが、プールの中を見てみると芋洗状態だ。

「ヤベェ……場所とれるかな……」

「大丈夫だろ〜。おっ、あっこ空いてんじゃん」

「えっ、マジ? そんな所……あるか?」

「ほらほら、あの木の向こう空いてるだろ?」

 そう言って海斗が指差したのは、今立っている場所から二百メートルくらい離れた所の事だった。木の向こうと言われても普通の人間には見えるような距離ではない。

「あんな遠く見えるかっ!」

 海斗は分かっていたというように大きく笑って俺の背中を叩いた。

 それにしても、篠田達はまだ着替えが終わらないのだろうか。そろそろ来てもいい頃なんだけどな。

 もしかしたら水着を見られるのを恥ずかしがってるのだろうか。篠田は違うとして考えると、心音か最美のどちらかだ。二人とも恥ずかしがるとか無さそうだが、強いて言うなら最美だろうか。

「おーい! ここだぞ、ここー!」

 突然海斗が大声を出して驚いたが、視線の先を見てみると篠田達がこちらに向かって歩いて……いや、篠田は走っている。

「黙れっ!」

 篠田は海斗に飛びかかり、持っていたバッグを頭に振り下ろした。

 しかし、海斗は余裕を持って頭を引いて躱して笑っている。

「クソ……煩いから嫌だったんだ……」

 篠田は歯軋りしながら海斗を睨んで悔しそうにしている。

「何してるんですか……?」

 最美の言葉も当然だ。突然殴りかかったら誰でも「何してるんだ?」となるだろう。心音は篠田の真似をしているのか、海斗に向かって飛び込んで受け止められて笑っている。

「いや……もういい、気にするな。それよりもさっさと場所取りだ」

「あー、それよりも……」

「あっちだ! 付いて来いよ〜」

 脇に心音を抱えていない方の手でさっき見つけた場所を指差してそこ向かって歩き出し、篠田と最美もそれに付いて行った。……それよりも俺としてはじっくりと三人の水着を見たかったのになぁ……。まあ、歩きながら見ればいいんだけど。

「最美、そのパーカー脱がないのか?」

「日焼けしたくないし。ショータには関係ないでしょ」

「関係あるよ、その下にはどんな水着が隠れてるのかなって気になるし」

「呆れた……」

 ため息をついて最美は俺から目線を離して、遠くの方を見つめた。

 ……この隙に観察させてもらおう。とは言っても、上半身は水色をした薄い長袖のパーカーで、結構サイズが大きく、太腿までかかっているおかげで履いていないように見えてしまう。パーカーの下は濡らしてしまえば透けるだろうから後のお楽しみという事で……。

 篠田の水着は……。上は黒いタンクトップ型で、下はデニムのショートパンツだ。そういえば、薬を隠している所を見つけてみろって言われたけど、どう考えてもタンクトップの裏だろ。

「隠してる場所ってすぐ分かるだろそれじゃ」

「そうか? ここだと思ってるのか?」

 そう言って篠田は裾を捲ってクルッと一回転してみせた。確かに何も隠している様子は無い。という事は……下のどこかに……こっちも後で調べないと……。

「お前は分かり易過ぎる」

「別に隠さなくてもこういう物として身に付けてたら良いんじゃないのかな」

「……お前がいいならそれでいい……。ネックレスに注射器を付けるなど……」

 最後に何か言われた気がしたが、気にせずに次は心音のチェックだ。

 心音が着ているのは黄色のワンピースっぽく見えるが、下がスカートになっていなくて、パンツ型になっている。実は、3人の中で一番胸が大きいのに、それをあまり目立たせていないのが残念だ。活発に動くからこの選択は間違ってはないと思うけど……。

「ここで良いのか、江崎?」

 気が付くと、篠田が正面に立っていた。今立っているのはさっき海斗が見つけた場所で、その確認をされたようだ。

「ああ、ここだよ。シート敷こうか」

 持って来たレジャーシートを広げて、日陰になっている所へ敷いた。こんなに混んでるのに日陰が空いてるなんてラッキーだな。

「じゃあ、風で飛ばないように端に荷物置いてくれ〜」

「は〜い!」

 当然だが、心音は元気に返事してくれたけれど、篠田は無言で荷物をシートの端に置いた。

 しかし、その置かれた荷物を数えてみると一つ足りない。

「あれっ……最美、いない……?」

 ————

「おーい! 最美ー!」

 口に手を添えて名前を呼んでいるが、どこまで聞こえているのかわからない。それでも、しないよりはマシだろうから名前を呼び続けている。

 最美を探しているのは俺と海斗の二人だ。プールの西側と東側を分担して、俺は西側、海斗は東側だ。篠田と心音はミイラ取りがミイラになりかねない気がしたから二人は留守番させている。海斗も不安な要素が無い訳ではないけどアイツがいないと見つけられる気がしない。

「あんな事言っといて迷子になるなよなぁ……」

 とか愚痴っていても仕方無い。海斗に電話してみよう。……あっちからかかって来ないという事はそういう事なんだろうけど。

『なんだ、なんだ〜。見つけたのか〜?』

「いや、そっちはどうかなって」

『こっち側にはいないかもな。今高い所から探してるけど……やっぱりいねぇな。俺もそっち側に行くわ』

 そう言うと海斗は一方的に電話を切った。

 さっきの話が本当で、海斗がこっち側に来てくれるなら直ぐに見つかるだろう。

 でも、やっぱり心配だ。今頃、変な奴に連れ去られようとしているかもしれない。もし、そんな事をしようとしている奴がいたら叩きのめしてやらなければ。ちょうど、薬もある事だしどんな奴が来ようとも余裕だ。

 そういえば、プールサイドばかりを探していて、プールの中は探していなかった。迷子になっているのに、プールに入っているわけないだろうとか本人から言われそうだが、可能性が無い事もないだろうし。一応見てみよう。

 プールの中はさっきと変わらず芋洗い状態だ。その中に最美がいないか目を凝らして見てみる。

「やっぱりいないよなぁ……。って、アレは……」

 やはり、プールの中にはいなかった。しかし、プールの端の方。プールサイドに座り足を上下して水を掻いている見覚えのある黒いロングヘアの美少女は……。

「いや、それよりも隣にいるの誰だよ⁈ 最美ぃーー!!」

 思わず今日一番の大声を出してしまった。というのも、最美の隣に座っているのは端正な顔立ちで、体も太過ぎず細過ぎず理想的なバランスに鍛えられている金髪野郎だ。

 何の話をしているか分からないが、最美は直ぐに愛想笑いだとわかる笑い方をしているから靡いていないというのは分かる。

「おーい! 最美!」

 慌てて駆け寄りながらもう一度さっきと同じくらいの声で呼ぶ。すると、さっきよりも近づいたお陰か、最美が俺に気が付いて立ち上がった。隣の男も最美に少し遅れて立ち上がる。そして、男は最美の肩に手を置き、駆け寄る俺に掌を見せてこれ以上近付くなというようなと無言で言っている。

 俺と二人の間は三メートルくらいだろうか、明らかにこいつは普通じゃないと分かる。

「お前……その目はサイボーグだな……!」

 目が赤い……もう戦闘態勢という事だ。

「ああ、君達に復讐する為に地獄から帰って来たんだよ」

「復讐……? お前と戦った覚えは無い筈だ」

「あ〜あ、そうか。言ってなかったね。一度死んだ時に皮膚が爛れちゃってね。直す時に「更に美しく」と注文したんだ。……これで思い出したかな?」

 篠田も俺もサイボーグを殺す時は念入りに頭部と体を破壊している。なのに奴の口からは「直す」という言葉が出てきた。

 俺達が唯一頭部だけ残してやった相手は一人しかいない。

 ——【操機隠行】マリオネット・スティール。【WCL】の幹部の一人だ。

 奴は死の間際でも自分の顔を残す事しか考えていなかった。確かに以前も整った顔をしていたが、そこまで酷いナルシズムは哀れにしか思えない。頭部を残してやったのもそれが理由だった。

「ちょ、ちょっと……二人共何の話……? ショータ、柄にも無いそんな顔してどうしたの……?」

 不安だと隠し切れないのだろう。最美こそ、俺に言えないくらい柄にも無い顔をしている。

「大丈夫、君は傷付けないから」

 奴は最美の肩に回していた右手に力を入れて抱き寄せた。

「おい! 最美から手を離せ! 離れろ! さもないと……」

「さもないと、どうする? 君ではあの薬を使っても僕には勝てないよね? 僕を殺したいのなら、あの『月のお姫様』を呼ばないと」

 肩に置いた手はそのままに、余裕の笑みを浮かべて腕を開いて俺を挑発している。

 奴はある満月の夜に篠田と出会った事に運命を感じているらしい。そのせいで篠田はあのような呼ばれ方をされてしまっている。更に、篠田に対しての想いは本物らしく、奴にとっては命の次に大事な自分の名前を自ら告げている。しかし、一度殺された相手なのにまだ前と同じ感情を持っているのだろうか。

「はっ! さっさと死んだお前が知ったような事言いやがって。お前なんか相手になんねぇんだよ」

 とは口で強がってみたものの、確かに俺では薬の力を使ってもコイツに勝てそうにない。以前、勝てたのも篠田のおかげだ。俺は殆ど何もしていなかった。というか、出来なかったと言うのが正しい。

 俺は一人では勝てない。まともに戦闘の訓練を受けたわけではない素人だ。それを補えるセンスも無い。

 でも、戦うのは俺一人じゃないんだ。いつも、篠田……と、時々海斗、睦心がいてくれた。そう、今回も——。

「調子に乗る癖、そこは直さなかったんだな」

「何っ……! アレはっ!」

 気付いた時にはもう遅い。いくらサイボーグでも、音速で突っ込んで来られてはギリギリで気が付いても躱す事はできない。精々防御姿勢を取る事くらいが限度だろう。

「待たせたなぁぁ!!」

 風を切る音がした次の瞬間。スティールは最美の横から消えていた。最美は何が起こっているのか理解出来ていない。俺も全部は理解出来ていないが、一つ確かなのは、海斗が最美を助けてくれたという事だ。

「最美! ここを動くなよ! すぐ戻る!」

 最美の事が心配だ。分からない事ばかりで混乱しているだろうし、ゆっくりと説明してやりたい。でも、今は海斗に吹っ飛ばされた女誑しを追いかける事の方が、残念ながら重要だ。

 最美に動かないように言って、飛んで行った方向へと走る。周りの客達は、海斗が飛んで来ようが、スティールが吹っ飛ぼうが何の反応もしない。というより、気が付いていないと言う方が正しい。

 奴はサイボーグとしての戦闘能力は他の幹部に劣るが、特殊な能力を持っている。それは「自分と自分の関わっている物事を、自分の名前を知り、互いの目を見て話した事のある人間以外から感知されない」という分かりにくく略称も無い能力だ。簡単に言えば、話した事ない相手からは、その能力を使えば感知されない——俺は以前の戦いの時にこの枷が外れている——。この能力のお陰で、さっきのような事が起こってもこのプールサイドには騒ぎが起きないでいる。

 しかし、騒ぎが起きていないから、人々は何事もなくプールサイドを歩いている。そのせいで俺はなかなか先へ進む事が出来ない。

 そして、足止めを食らっているうちに、海斗とスティールが人の波から飛び出してどんどん離れて行ってしまっている。

「そうか、今なら周りに気付かれない……」

 首に掛けている注射器を引っ張ってネックレスを引き千切る。そして、針を左胸に突き刺す。

「うっ……! はぁ……、この距離なら追いつける」

 海斗はプールの外に逃げようとするスティールを逃さないように立ち回っている。海斗の援護へ向かう為、人を飛び越えて近づいていく。その際、強化された聴覚によって、二人の会話が耳へと入って来た。

「海斗! ここは拳を収めてくれないか? そして、着いて来てくれないか。友達だろ?」

「はっ! 誰がっ! お前とはただ睦心と生きる為に協力してただけだ! 友達でも何でもない」

「そうか……残念だよ。でも、父さんに拾って貰った恩は?」

「拾われた後の事考えたら恨みしかねぇ。本当ならあの時俺が殺してやりたかったよっ!」

 建物の屋根や木を伝って空中戦を繰り広げていた二人が行き着いたのはウォータースライダーだった。日本一の高さと距離というだけあって、普通のジェットコースターと変わらない作りをしている。骨組みはジャングルジムのようになっていて、足場には困らないが、バランスを崩して落ちれば確実にお陀仏だ。

 俺はここで二人に追いつき、海斗の立っている横に並んだ。その時もまだ二人の会話は続いていた。

「そういえば今日はお前一人か? 祥汰が来たから二対一だぞ」

「ん? 何を言ってるんだい? 僕はいつも一人だったけど……?」

 少し間が空いて、和かに笑って続けた。

「僕よりも醜い者は人じゃないからね。僕に並ぶ美しさは海斗だけなんだ。……だから仲間になって欲しかったんだけどね……」

「うげぇっ! あーあー気持ち悪りぃ。お前と俺が同類なわけねぇだろうが。祥汰! さっさと終わらせるぞ!」

「ああ、海斗は左からだ。……行くぞ」

 俺の声に合わせて同時に足場を蹴り、棒立ちのスティールに接近する。

「うーん、やっぱりこの状況は不利だね。さあ……壁くらいにはなってよね」

 そう言って後ろの足場へと飛び移ったが、逃げる様子も無く、さっきと変わらず和かに微笑んでいるだけだ。

「何を……っ!」

 気が付いた時はもう囲まれていた。気配を完全に殺していた事に加え、俺達は奴との会話に集中し過ぎて周囲への注意を疎かにしていた所為だ。上下左右、合計二十体はいるだろうか。

「やっぱり一人じゃ何も出来ねぇんじゃねぇか!」

「こいつらは僕からすれば犬だよ。同類じゃ無いからね。じゃ、そろそろ失礼するよ」

 スティールは俺達の事を手下に任せて背を向けた。

「待てっ! お前は何しに来たんだ! 俺を殺しに来たんじゃなかったのか?」

 足場を伝ってウォータースライダーから降りようとしていたが、力を抜いて俺を振り返った。

「そうだったんだけどね。海斗がいたのが想定外だったよ。君を一人にする為に妹さんを使わせて貰ったけど……それも海斗が邪魔をして……。まあ、そう言う事だから、今度こそ失礼するよ」

「行かせるか!」

 奴を追おうと動こうとしたが、手下数体が俺を遮るために壁を作りだす。いくら雑魚とはいえ足止めする事しか考えていないから手間取ってしまうだろう。

 そして、今度は地上へ向かって足場を伝い降りて行くのを見ているしかなかった。

 残されたのは俺と海斗、それに対するサイボーグ二十体。

「祥汰、アイツがいつ能力を解除するか分からない」

「ああ、目立ちたく無いからな。三分で片付けるぞ」

「多く倒した方に何か奢るってのは?」

「じゃあ、かき氷とフランクフルト。金の用意しとけっ!」

 少しズルイが、俺のタイミングでスタートさせて貰った。それでも、海斗は出遅れる事なく足場を蹴った。

 俺が動いた瞬間敵も動き出して、乱戦が始まった。俺の方に八体、海斗の方に残りが向っただろうか。このままでは俺に不利だが、敵が少ない分動きやすいと考えよう。

 とは言ったものの、もうとっくに一息の間合いに詰められていて、動きやすいも何も無くなっている。

 もう足止めする必要のなくなった手下達は目の前の敵を殺す事しか考えていない。俺の方に来た八体全てが何を考えてか一斉に飛びかかって来ている。統率が取れておらず、隙が多い。

 流石の俺もそこは見逃さない。

 動きの遅れている一体に狙いを定め、そこへ向かって飛び込む。腹に肘を打ち込み、体勢が崩れたところで頭を鷲掴みにしてそのまま鉄骨にぶつけて押し潰す。

 その鉄骨に登ろうと掴んだ時、もう背後にまで迫っているように感じられ、背後を見ずに足を振り抜くと完璧な感触を踵に感じた。蹴りの反動で鉄骨の上に登り確認してみると、左半身がひしゃげた状態でガラクタが鉄骨に引っかかっている。その下には押し潰された胴体が見えている。どうやら巻き込まれたのだろうか。情けは掛けずに両方の頭部を握り潰す。

 これで三体。なかなか悪くないペースのはずだ。

「さあ、次は……えっ……?」

 次の狙いを定めようとしても、もう周りには骨組みの鉄骨と涼しい顔をしている海斗しか存在していない。

「十七対三だな。幾ら入ってる?」

 ————

「よしよ〜し、もうだいじょ〜ぶだよ〜」

「もういいって! 大丈夫だから……」

 普段なら姉が妹を慰めているという微笑ましい光景なのだろうが、今回の場合は笑っていられない。

「私より先に江崎を狙うか……。薬を渡しておいたのは間違いではなかったな、これからも常備しておけ」

「もう使いたくなかったけど仕方無いか……。それより、最美、大丈夫か……?」

「大丈夫って言ってるでしょ……」

 口ではそう言っているが、最美の体は少し震えている。どうすれば落ち着かせる事が出来るだろうか……。

 俺は最美の手を握り、引っ張って立ち上がらせた。やはり、まだ怯えているせいなのか、手が冷たい。

「ん、どこに行く?」

「ちょっと売店にな。すぐ戻るから」

 俺はそのまま最美の手を握ったまま売店へと向かった。

「もう昼だしさ、腹減っただろ? 何がいい?」

「別にいいから。何か食べて落ち着かそ……」

 言葉の途中で自分が何を言おうとしているか気が付き、苦々しい表情で俺から目をそらす。

「やっぱり大丈夫なんかじゃ無かったんだな」

「……んん、そうだけど、今すぐどうこうして治るとは思わないし……えっ⁈ な、なに⁈」

「今すぐ治したいんだよ。せっかくプールに来たのに楽しめ無いのはもったいないよ」

 最美の両手を包みながら真っ直ぐに見つめて俺の本気をぶつけたつもりだ。ワガママな事を言っているというのは分かっているが、久し振りに兄妹でやって来たプールで嫌な思い出だけで終わりたくない。

 突然の事だったからなのか、最美は三、四秒硬直してしまった。

「あ、あ、わ、分かったから……! そ、その目止めて! 何か恥ずかしいし……!」

 そう言った直後から、最美の手に熱が戻り、顔も少し紅潮していて健康的な肌色になってきた。

「じゃあ、何にする?」

「え、えーっと……フランクフルトとかき氷のブルーハワイ味」

 運良く並んでいる客が5人程しか居らず、待ち時間は殆ど無かった。フランクフルトとかき氷を受け取り、空いているテーブルを探していると、さっきも見たような光景が……。

「あの人いつもああなの?」

 最美の表情を見なくても呆れているのが声だけでも分かる。

「ってか……あの二人って……」

 見間違えるような事は無い筈なのだが、まさかこんな所にあの二人が来ているなんて思いもよらず、認識する事ができない。

 遠くからそう見えた物が近くで見ると変わるなんて事はよくある事だが、今回はそういう事は無くて、見ていた物は変わらなかった。そして、海斗のしている事も変わらない。

「いや〜、二人ともスゲェスタイル良いっすよね!」

「ありがと〜、特にね、この辺りとか自信あるのよね〜。触る?」

「ちょ、ちょっと静! 私の生徒に変な事させようとしないで!」

「えぇ〜、良いじゃないですか〜。祥汰も触りたいよなっ!」

 この雑踏の中でも俺の気配を感じ取っているの素直に凄いとは思うが、何でそんな答えにくい質問を突然振ってくるのか……。

「ま、まぁ、それなりに……」

 女性達から向けられる視線が痛い……。

「二人とも! その歳からそんな風だと、将来駄目な大人になっちゃうよ! 今度、しっかりと指導するからねっ!」

「どんな指導なのか楽しみです! 楽しみだなぁ」

 コイツ、このニヤついた顔からして碌な事を考えていないのだろう。

「そんな話は置いといてですね、先生と静さんってこんな所に来るんですね」

「まあね〜、私だけでも良いんだけど。何故か、男の人声かけてくれないのよねぇ〜。ちょっと声掛けにくい感じに見えちゃってるのかなって事で、チョロそうな……」

「チョロそうって何⁈ どうしてもって言うからこんな水着着てるのに!」

 先生は赤いビキニだ。言うまでも無く派手でかなり目立つ。何だか先生らしくないなと思っていたけどそういう事だったのか。

「でも、似合ってますよ、凄く、良いと思います、静さんも」

 かなりの圧を感じる並びに、自然と頬が緩んでしまう。最美からも謎の圧を感じる……。

「祥汰君は分かりやすくて可愛いね〜。あっ、可愛いといえば結月ちゃんはどこなの?」

「俺が案内しますよ! 先生も、こっちっすよ!」

 さっきあれだけの戦闘を熟した後だというのにこの元気は何なんだろうか。元気な所だけは俺も見習おう。

 両手に花状態で、海斗は篠田と心音の所へと帰って行った。俺と最美は空いているテーブルを見つけて、最美が食べ終わるのを待ってからみんなの所へと戻った。

 午後からは久し振りに遊ぶ二人の妹の為にも、まだまだ張り切らなければ。


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