「娘に何かあったらその時は……わかりますね」
呼称がわかりづらくなっているかもしれません。基本的には入れ替わり後の呼称です。
私が椿教授をパパと呼ぶのを見て、紅葉さんつまり元私はさらに泣き出した。
「親父……私」
椿教授に何かを言おうとする紅葉さんに対して、パパは、
「毛利、紅葉くんを家まで送り届けてくれ。用事は済んだ。紅葉くん、また大学で会おう」あっさりと言った。
このことは紅葉さんにとってショックだったようで、また目に涙を浮かべて言った。
「そんな……、親父……、私……、どうして……」
そんな様子の紅葉さんにパパは言ってのけた。
「今後一切君の人生には口出ししない。それが約束だったはずだ。だから私は君がどこでどんな生活を送ろうとももはや君の人生に何も言わない。好きにしたらいい。それが望みだったはずだろう。
私はこれから娘と大切な話があるんだ。早く帰ってくれ。
君の人生に口は出さないといったが、大学教授として君の指導をネグレクトするつもりはない。ただ、私と君の関係は大学教授と学生。それ以上でもそれ以下でもない」
紅葉さんは泣き崩れた。まるで小さな女の子のように泣きじゃくった。
「ごめんなさい」
小さくボソッと紅葉さんは謝った。しかし……、
「紅葉君、今日はもう遅い。帰りなさい。これだけは言っておくがね、もしうちの楓に何かしたら私は決して君を許すわけにはいかなくなる。椿家の力はわかっているだろう」
「ひっ」と小さくしゃくりあげると、紅葉さんは何も言わなくなった。
「毛利、早くその子を帰してあげなさい」パパは非情な声で言った。その声は憎しみとすがすがしさで満ちていた。パパと紅葉さん、元楓さんとの間には何があったのだろうか。
「はい、かしこまりました」
毛利さんが静かに紅葉さんに近付く。
「それでは紅葉様、お送りさせていただきます。ついて聞きてください」
泣きじゃくって動かない楓さんを毛利さんは半ば無理やり部屋から連れ出した。さよなら、元私の体。元気で強く生きていけ。あなたの才能は私がもらうから。
「大倉博士、今日はありがとうございました」パパは大倉博士に丁寧にお辞儀をした。
「志十郎くん、本当に良かったのかね? 私には子どもはいないから親子の情というものはわからんがね」大倉博士は、パパに尋ねた。その様子は何だか楽しそうだった。自分の作った機械がうまく作動したからだろうか、それとも他の理由だろうか。
「何をおっしゃるのですか、私には娘の楓がいる、それだけで十分ではありませんか」私はその発言に戦慄を覚えた。パパの中では私はもう完全に楓なのだ。元の楓さんはもうパパの中のどこにも存在しない。元々の楓さんとパパの間にどんな確執があったのだろうか。それを聞く勇気は私にはない。
「それでは幾つか注意事項があるのでな、楓ちゃんを借りても良いかの? 志十郎」大倉博士は楽しそうなままそう言った。
「はい、構いません、大倉博士。この部屋のマイクと監視カメラも切っておきますので。ですが、楓に何かあったらその時は……、わかりますね」パパの雰囲気は異常と言ってよかった。入れ替わったばかりの私から見ても様子がおかしい。大倉博士に聞いてみたいことがあった。
パパが部屋から出て行き、部屋には大倉博士と二人きりになった。
「さて、気分はどうだね? 楓ちゃん」大倉博士の話し方は頭のネジが一本外れているような雰囲気だった。
「あれは、人の心を入れ替える機械なのですか?」私はそう言いながら機械の方を指差した。
「いんやー。あれは人の脳を書き換える機械だ。君は入れ替わったと錯覚したかもしれないが、実際にやったのは脳を書き換えることだけだ。君は変わらず元の楓ちゃんさ。少し脳をいじらせてもらったがね」
大倉博士は不気味に笑った。その笑い方はまさにマッドサイエンティストだった。
「具体的には何をしたんですか?」私は自分の身が心配になって尋ねた。
「君に施した処置は三つだ。
まずは記憶と習慣を他人と入れ替えた。これは君が一番よくわかっているだろう。入れ替わりの正体だ。これで楓ちゃん、君は怠け者だった元とは違い、非常に勤勉に才能を生かすだろう。
第二に、もともと高かった才能を高めた。特に、思考力、学習能力と身体能力だ。すべての能力が元の1.2~1.3倍くらいになっているだろう。
もともと高かった能力をさらに高め、さらに勤勉さを加えた。これで生まれるのが天才でなければなんなのだろう?
最後に欲望に関するところを少しいじらせてもらった。つまり、君は知識欲に忠実に生きるようになる。これだけの才能を持ってさらに、知識を極めようとする欲望まである。もはや完璧ではないか。ただ、これについては性欲が増す副作用があるようだが……致し方あるまい」
天才を作り出すという博士の欲望を忠実に実行した結果が私らしい。
「私が死ぬ前に是非とも成果を出してくれよ。それが私の悲願なのだ。この手で天才を生み出すというのがね」
博士は君悪く笑った。それは悪魔の笑い声にも思えた。
「それでは私は帰らせてもらうよ。志十郎君に宜しくな」
大倉博士は帰ろうとしたがその前に私は聞かなければならないことがある。
「待ってください。
パパ……いえ、椿博士に何をしたんですか?」
「気づいてしまったかの。
私の計画に志十郎の娘を使わせろと言ったら嫌だと言われたのでな。この機械でちょちょいっと認識を書き換えてやったのだ。今の志十郎は私の言葉をなんでも信じる。疑うことなくな」
悪魔の研究だ……、などと過去の私なら思っていただろう。しかし、今の私はそう思わなかった。むしろその仕組みが知りたいと思った。今の私は目的のためならどんな手段も厭わない。
私は博士の研究室へいく約束を取り付けた。過去の私なら汚い手だと思うかもしれないが、今の私には大した問題ではなかった。