失せ物捜し◇サイドA
午後の時間。
いつものようにベッドメイクをしに旦那さまの寝室に行くと、ベッドの下を覗いている人がいました。
もちろん、旦那さまではありません。
もっと小柄な方です。
背中とお尻しか見えませんが、彼は――デニス・アクトンさん、ヴァレットなさっている方です。
デニスさんは黒い髪、黒い目をしていて、あまりおしゃべりをされません。
たいてい旦那さまのお傍にいらっしゃるのですが、とても物静かなのでいるのに気づかなかったりします。キラキラしている旦那さまの、影のような人です。
いつも落ち着いていて、きちんとされているのですが、いったい何をされているのでしょう?
「デニスさん?」
わたしが名前を呼ぶと、デニスさんは持ち上げていたベッドカバーを放して振り返りました。
「ああ、エイミー」
デニスさんはもう一度チラリとベッドの下へと目をやってから立ち上がって、わたしの方に向き直りました。見れば前髪に埃が付いています。
身体はわたしに向けつつも、視線は周囲に投げながら、デニスさんが訊いてきました。
「旦那様のカフスボタンを見なかったか?」
「カフスボタンですか? どれでしょう?」
ちょっと思い返してみましたが、シャツを洗濯に出す時にちゃんと確認していますから、付けたまま洗ってしまったということはない筈です。
「サファイアが付いたやつだ」
「あれですか? ……見てません」
デニスさんが言うのは、旦那さまの目と同じくらい真っ青な色の宝石が付いたものです。最後に見たのがいつだったでしょう。確か、三日前にはあったと思うのです。
この屋敷の中のどこかに落としたのなら、ハウスメイドの誰かがお掃除中に見つける筈です。すぐに、旦那さまのところに届けられると思うのですが。
「仕方がないな。別の組み合わせを考えるか。しかし……」
ブツブツと呟いているデニスさんは、わたしのことを忘れてしまったのかもしれません。どうしましょう、ベッドメイクに取り掛かってしまってもいいでしょうか。
わたしがその場に立ったままでデニスさんを見つめていたら、ようやく思い出してくださったようです。ふと顔を上げると、おっしゃいました。
「ああ、すまなかったな、仕事に戻ってくれ」
「わたしも一緒に捜しましょうか?」
いらないと言われるだろうなと思いましたが、一応訊いておきましょう。
「そうだな――」
デニスさんは少し迷って、続けました。
「頼む」
ほら、やっぱり――あら?
予想外のお返事に思わず首をかしげたわたしに、デニスさんは寝室をグルリと見回して言いました。
「寝室だけでもいいから、見てみてくれ。違う目で捜せば見つかるかもしれない」
「わかりました」
確かに、そういうことってあります。
頷いて、デニスさんの横にしゃがみ込んでベッドの下を覗こうとしました。と、デニスさんも一緒に膝を突いてきたので、前髪に付いた埃がまた目に入ります。
手を伸ばしてそれを払ってさしあげると、デニスさんはちょっと驚いた顔になりました。
「ありがとう」
「いいえ」
いつもムスッとしているデニスさんのキョトンとした顔に、思わず笑ってしまいます。
と。
「何をしているんだい?」
戸口の方から声がかかって、わたしは床に膝をついたまま振り返りました。
「旦那さま」「旦那様」
「エイミー、デニスも……いったい何を?」
旦那さまが眉をひそめてこっちを見ています。わたしはスカートの埃を払いながら立ち上がって旦那さまに向き直りました。
「デニスさんがカフスボタンを探して欲しい、と」
「カフスボタン?」
デニスさんがわたしの言葉を引き継いで説明をしてくださいました。
「はい、サファイアのカフスボタンがあったでしょう? 今日のお召し物にはあれを合わせようと思ったのですが、見当たりません」
「サファイアの? ――ああ、あれか」
少し考えた旦那さまが、小さく頷きました。思い当たる節がおありのようです。
「お心当たりが?」
そうデニスさんが訊くと、何故か旦那さまはわたしをチラリとご覧になりました。
わたしですか?
「わたしは存じません」
「あ、いや……そうだな。君は知らないと思う」
首を振ったわたしに、旦那さまははっきりしない口調でおっしゃいました。何だか、変な旦那さまです。
「その、あれは……一昨日ブライアンやエリックと出かけただろう? あの時、ビリヤードをしたんだよ」
「ビリヤードでボタンを外すんですか?」
デニスさんの疑問には、わたしも同感です。でも、そう訊かれて、旦那さまはヒキガエルか何かでも呑み込んだような顔になりました。
咳払いを一つして、旦那さまが続けます。
「まあ……そうだね、ちょっと白熱してね。袖をまくったんだよ」
「そうですか」
「そうなんだよ。まあ、とにかく、あのボタンについてはブライアン達に訊いておくから、今日のところは他の物にしておいてくれ」
「承知いたしました」
デニスさんは腰を折ってお辞儀をすると、寝室を出て行かれました。わたしも早くベッドメイキングを終わらせなければなりません。
旦那さまもすぐに部屋を出て行かれると思ったので、まだいらっしゃいましたけど、構わずベッドに向き直りました。
けれど。
「エイミー?」
「はい?」
旦那さまに呼ばれて振り返ると、思ったよりも近くに立っておられてちょっとびっくりしました。ちょうど手を伸ばしたら届くくらいのところから、わたしをジッと見つめてきます。
「どうかなさいましたか?」
早く、仕事を終えてしまいたいのですが。
尋ねても旦那さまの視線は全然逸れず、何だか、わたしの顔に穴が開いてしまいそうです。何か余程おっしゃりたいことがあるのでしょうか。
同じように見返していたら、旦那さまはふと手を持ち上げて、それをわたしの頬に伸ばしてこられました。
指先が、触れたか、どうか。
旦那さまが手を下ろしてもちょっと頬にくすぐったさが残ったから、多分、触れたのだと思います。何となく落ち着かなくて自分の手でそこをこすったら、すぐにその感触は消えてしまいました。
見下ろしたわたしの手には何も残っていませんが、さっきベッドの下を覗き込んだから、ゴミでも付いていたのかもしれません。
と、頭の上から小さな笑い声がします。顔を上げてみると、何故か旦那さまは微笑んでいました。
何が面白かったのか、よく判りませんが。
「邪魔をしてすまなかったね。続けてくれ」
「はい」
わたしが頷くと、旦那さまはもう一度にっこりとして、部屋を出て行かれました。
――うちの旦那さまは、最近、時々挙動不審です。
こうやって、不意に触れてこられたりとか、何の脈絡もなくご機嫌を損ねてみたりとか。
とても不機嫌、というわけでもなく、何か思ってらっしゃることがある、という感じで。
何かわたしに至らないことがあるのなら、ちゃんとおっしゃってくださったら良いのに。
解からないということが、一番モヤモヤするものです。
まったく。
わたしはため息を一つついて、ベッドのシーツを勢いよく引っぺがしました。