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エイミーと旦那さま  作者: トウリン
『伯爵とメイドの攻防』
59/60

二人の想い、一つの願い◇サイドA&C

 旦那さまは静かにわたしに近付いてきて、そして足を止められました――わたしから、少し、離れたところで。

 そのお姿を目にしたとたん、パッとあたりの明るさが増したように感じたくらいお逢いできてうれしく思ったのと同時に、縮まらないままのその距離を、わたしは寂しいと思ってしまいました。


 なぜでしょう?


 戦地からお帰りになってからの旦那さまは、いつもすぐに触れられる近さにいらっしゃったからかもしれません。

 そして、それから後のこの二ヶ月間を、離れて過ごしたからかもしれません。

 あるいはそのどちらとも違う理由からなのかもしれませんが、とにかく、すぐそこにいらっしゃるのにとても遠いように感じられてしまうその距離が寂しくて。

 自分でも気付かないうちに勝手に足が動いて、旦那さまに一歩近寄ります。


 一歩と、もう少し。


 わたしが動いても旦那さまは身じろぎ一つされませんでした。両手を身体の脇で拳に握ったまま何もおっしゃらず、唇を引き結んでわたしを見つめておられます。

 その眼差しは少し怖いくらいに真っ直ぐで、ふいに、わたしはその場から逃げ出してしまいたくなりました。

 でも、そうやって逃げ出してしまいたいと思うのと同じくらい、いえ、それ以上に、やっぱりお傍に参りたいと思っている自分が、よく解かりません。


 正反対な二つの気持ちに挟まれて動けなくなってしまいました。

 せめて、何か……ご挨拶だけでも……そう思うのに、ただそれだけのことすらできないのです。



   *



 おっかなびっくり近付いてきたエイミーは、わずかに距離を詰めただけでそれきり固まった。

 こんな感じになってしまった何かを、前にも見たことがある気がする。

 何だったか――そうか、アレだ。

 以前、カントリーハウスの厩舎に野良猫が住み着いたのだが、その猫が産んだ仔猫がまだ掌にのるほどの大きさだった時、トカゲか何かに遭遇してこんなふうに硬直していた。

 今の彼女はアレにそっくりだ。

 指先で軽く突いたらピョンと跳び上がって逃げていきそうなところまで、よく似ている。


 つい、笑ってしまったが、ということは、エイミーにとって僕は得体の知れない何かだということになるのか?

 ……まあそうなのかもしれないな。


 確かに、国に帰ってきてからの僕は、彼女を混乱させるようなことしかしてこなかったのだから。今振り返ってみると、皆がこぞって僕からエイミーを遠ざけようとしていたのも頷ける。

 加えて、あの告白だ。

 あれは伝えるべきことだったと今でも確信しているが、再会してすぐにというのは流石に尚早だったかもしれない。

 その上、考える為の時間が三日というのも短過ぎるのかもしれないが、これはもう、来てしまったのだから仕方がない。


 取り敢えず彼女のこの警戒ぶりを何とかしたいものだが――

 と、どうしてだろう。

 ふと見れば、いつの間にかエイミーの身体から力が抜けている。

 あんなにも緊張感を漲らせていたのに、今のエイミーはもしかしたら微笑んでいるのではないかと思えるほどに、表情も柔らかい。


 だが……いったい、何故だ?

 僕は、何をしたというのだろう。

 自分の行動を振り返ってみても、エイミーの気分を変えさせるような何かには思い当たらない。


 ――まあ、いいか。結果が良ければ、それで。



   *



 突然の、旦那さまの笑顔。

 お笑いになった理由は解かりませんが、その笑顔は以前の旦那さまが見せてくださっていたものと同じもので、それを目にしたとたん、わたしの身体からフッと力が抜けました。

 すると、いっそう旦那さまの笑顔が深まって。


「そのドレスもよく似合っているね。セレスティアの見立てかな」

 こういう当たり障りのない会話であれば、簡単です。

 自分の身体を見下ろすと、目に入ってくるのは淡い紅色に染められ、上品にレースがあしらわれた絹のドレスです。

 本当は、メイド服の方が落ち着くのですが。


「はい。セレスティアさまにはとても良くしていただいています。でも、何もお仕事をさせてくださらなくて」

「彼女も好きでしていることだからね。したいようにさせておいたらいいよ」

 苦笑混じりにおっしゃる旦那さまは、とても、『普通』です。

 こんなふうにまた自然にお話ができるようになるなんて、二ヶ月前には全然思えませんでした。

 それがとても幸せで、この時間がずっと続いてくれればいいのに、と心の底から思います。


 ……そう思った時に、旦那さまと目が合って。


 優しく、そしてうれしそうに微笑まれるその眼差しに、わたしの心臓がキュッと痛くなりました。

 やっぱりわたしには、旦那さまがお幸せであることが、何よりも大事なことなのです。


 改めて、そう実感しました。



   *



 取り立てて内容のない会話にも関わらず嬉しそうに頬を緩ませたエイミーは、一層目を輝かせて僕を見上げてきた。


 まずい。

 そんな顔を見せられたら、なけなしの理性が吹き飛ばされてしまうじゃないか。


 上がってしまった体温を下げるべく、僕は無心になって頭の中で祈りの言葉を繰り返した。

 一通り終えたら、もう一度。

 三度目を唱え終えたところで、エイミーが気遣わし気に見つめてきていることに気が付いた。


 しまった。かなりの挙動不審だ。

「ああ、ごめん。少し呆けていたみたいだ。昨日はちょっと遅くなってね。寝不足なんだ」

 本当は、昨晩のうちからエイミーに逢いに来ることを決めていたから早々に床に就いたのだが、些細な嘘は赦してもらおう。

 だが、適当にごまかそうとした僕の台詞を、エイミーは真に受けてしまう。

「でしたら、もうお帰りになられた方がよろしいのでは? 早くお休みに――」

「いや、大丈夫。全然平気だ」

 もちろん、エイミーが一緒にうちに帰ってくれるなら諸手を挙げて歓迎するが、そうは言ってくれないだろう。

 慌てて言葉を遮ると、エイミーの顔はさらに曇ってしまった。


 どうやったら、さっきの彼女に戻せるんだ?

 嬉しそうで幸せそうな、彼女に?


 ふと気が付くと、エイミーに手が伸びかけていた。

 危ういところで正気に返り、両手を身体の脇に下ろす。


 今日は彼女に触れない。

 何も迫らない。

 そう決めた。


 ……そうだっただろう?



   *



 急に旦那さまのお顔が硬くなって、ほんの少し、一歩の半分ほどだけ、わたしの方へと近付いてこられました。

 けれど、それでおしまいです。

 それきり旦那さまは凍り付いてしまったかのように動かなくなってしまいました。両手もずいぶんときつく握り締めておられているようです。


 やっぱりお身体の具合がよろしくないのでは?

 強張ったお顔は、少し色も悪いように見えます。


「……旦那さま?」

 お呼びすると、ハッと瞬きをしてまじまじとわたしを見つめてこられました。

 そうして、また、お笑いになりました。けれど、その笑顔はさっきのものとは全然違っていて。


 こんなふうにではなく、笑って欲しい。

 さっきのように、幸せそうに。

 その為にわたしにして差し上げられることがあるなら、なんでもします。

 何をしたら良いのかおっしゃっていただければ、それに従いましょう。

 気持ちばかりが空回りして、どうするべきなのかを自分で考え付けないのが、もどかしい。


 そんなふうに思っていると、知らないうちにわたしの手が上がって、力の入った旦那さまの顎に指先が触れていました。すると、フッとそこがやわらいで。

 ハタと我に返って引こうとした手は、指に感じていた温もりが消えた時にはもう、旦那さまに捉まれていました。


 そして、次の瞬間――



   *



 自分を抑えようとしていた僕の懸命な努力など知らずに触れてきたエイミーに、限界まできていた我慢はいとも簡単に消し飛んだ。

 離れていこうとした小さな手は気付いた時にはもう僕の手の中に納まっていて。


 少しだけ、ほんの短い間だけなら――


 そう言い訳しながら、エイミーの手を握ったまま腕を引いた。

 よろけて僕の胸に倒れこんできた華奢な身体を、抗う隙を与えず抱き締める。

 細い腰に回した腕に力を籠めるとエイミーの柔らかさがぴったりと僕に寄り添い、栗色の巻き毛に頬を埋めて深く息を吸い込めば彼女の甘い香りが鼻腔を満たした。


 刹那込み上げてくる充足感。

 僕の中にぽっかりと開いていた穴がきれいに埋められた感じがする。

 この二ヶ月、この温もりなくしてよくぞ生きてこられたものだ。


 もう、二度と手離したくない。

 一瞬たりとも離れていたくない。

 いっそ、このまま屋敷に連れ帰ってしまおうか。

 そうして、否が応でもそのまま結婚してしまえ。


 そんなふうに考えてしまう僕はとんだろくでなしだと判っているが……エイミーの不在にこれ以上耐えられる自信がない。

 情けなく懇願すれば、戻ってきてくれるんじゃないか?

 ああ、もう同情でも何でも、理由なんてどうでもいい。

 エイミーが僕の傍にいてくれるのであれば、その理由なんて構わない。


 ここに来る前に固めた僕の決意は、彼女に触れた途端にグズグズと崩れ落ちていく。



   *



 頬に押し付けられている旦那さまの鼓動がもの凄い勢いで打っています。

 そして、それに釣られてしまったかのように、わたしの心臓も。

 けれど、こんなにもドキドキしているのに、なぜか不思議なほどに落ち着きもします。


「エイミー」

 耳のすぐ傍で、低い声がわたしの名前をお呼びになりました。

 ただの、名前。

 それなのに、旦那さまの声でこんなふうに呼ばれると、何か特別な呪文になったように聴こえます。


 もっと、呼んで欲しい。


 そんなことを願ってしまうのは、不遜なことでしょうか?

 旦那さまの為にどうしたら良いのかまだ判っていないのに、わたし自身の望みばかり口にするのは、わがままというものではないでしょうか?

 旦那さまのお気持ちに報いることもできないのに、こんなふうにお傍にいることを心地良いと思い、もっと、ずっとこうしていたいと思うのは、自分勝手が過ぎませんか?


 自分の望みばかり先走ってしまうことに自己嫌悪に見舞われそうになった、その時、ふいに。


 ――貴女は、貴女の気持ちと望みに素直になりなさい。


 頭の中をよぎったのは、セレスティアさまのお言葉。

 本当に、そうしても良いのでしょうか。

 セレスティアさまは、わたしの望みに素直になることが一番だとおっしゃりました。


 けれど、本当に――?

 もしも、本当にそうであれば、それなら、わたしの、望みは――



   *



 おとなしく僕の腕の中にいてくれていたエイミーが、ふと身じろぎをする。

 きっと、我に返ってしまったのだ。

 彼女は急に抱き寄せられた驚きから覚めて、僕から離れたがっている。

 放してやらなければ。


 しばしの逡巡の後、それを振り切って腕を解いた。

 そうして一歩下がろうとしたが――くい、と胸元が何かに引っかかる。

 エイミーのドレスのレースに僕のボタンでも絡まったのかと胸元に目を落としたが、そうではなかった。


 ……これは、僕の妄想か……?


 見えているその光景に、まずは、自分の目を疑った。

 それが、普通であれば有り得ないものだったから。

 だが、眉をひそめてしばらく見つめてみても何も変わらなかった。


 ――まるで離れたくないと言わんばかりにエイミーの手が僕の上着の襟元を握り締めているというおよそ有り得る筈のない状況が、そのまま実現し続けていたのだ。


 小さな拳を作っているその手から腕を伝い、更に視線を上げていくと、僕を一心に見つめているエイミーの目と行き合う。

 とても真摯なその眼差しの中にあるものは、いったい何だ?

 まるでこれから絶壁の上から飛び降りようとでもしているような――


 見つめる僕の前で、エイミーの唇が微かに開く。


 次いでそれが動いて紡ぎだした言葉を、初め、僕は理解できなかった。


 今、彼女は何て?

 僕の上着を握り締めて離さないということ以上に有り得ないことを言わなかったか?


「わたしの全ては旦那さまのものなのです」


 そう言った気がする。

 僕の耳には、そう届いた。まずはただの単語の羅列として。


 呆然とそれを頭の中で反芻し、数秒遅れてようやく脳みそに浸透していく。

 そして僕は、エイミーが言ったことを、理解した。


 理解した瞬間、僕の脚からは力が抜けて、為す術もなくその場にへたり込んだ。



  *



「旦那さま!?」

 突然しゃがみこんでしまわれた旦那さまの前にひざまずいて、うつむいているお顔を覗き込みました。

 倒れてしまったわけではないので、意識はある筈。

 でも、いったい何が……?

 目が開いていることを確かめたいのですが、旦那さまはがっくりとうなだれて深く顔を伏せておられるので、見えません。


 どうしましょう。

 取り敢えず、誰か呼んで――

 そう思って立ち上がりかけたわたしの腕が急に引かれて、またその場に座り込んでしまいました。

 腕を掴んでいるのは旦那さまの手で、そうできるということは、やっぱり気を失われたわけではないということに。


「あの、旦那さま?」

 お加減はいかがかとお尋ねしようとしたわたしに、低い声が被ります。

「もう一度」

「え?」

「もう一度、今言ったことを繰り返してくれないか……?」

 今、言ったこと?

 お名前をお呼びしたことでは、ありませんよね、きっと。


 それなら――

「わたしは、旦那さまのものです」


 そう申し上げたわたしの口が閉まるより先に腰のあたりがグイと引っ張られました。顎に旦那さまの金色の髪が触れて、くすぐられます。ちょっと体勢を崩したら旦那さまの上に圧し掛かってしまいそうで、仕方なく、大きな肩の上に両手を置いて身体を支えました。

 腰に回されている腕の力は先ほどの比ではなくて、正直を申し上げると、少し、苦しいです。


「あ、の、旦那さま?」

 息をこらえながらお声をかけると、今の事態に気付いてくださったのか、ほんの少し力が緩めてくださいました。

 そうして、うつむいていらっしゃった顔が、上がります。

 わたしに向けられた青い目は、これまでで一番、キラキラと輝いているように見えます。

 いえ、目だけでなく、全身から光を発しているように、見えました。


 喜んでいらっしゃる……?


 けれど。


 続いて、そのお口から出てきたお言葉は。


「君は、なんてことを言うんだ?」


 ――わたしは、間違えてしまったのでしょうか。



   *



 まったく、エイミーは、自分が何を言ったか解かっているのだろうか。

 いや、きっと、解かっていないに違いない。

 深い意味などなく、単なる思い付きか何かで放ってしまった台詞なのだ。


 ……だが、もしもそうでなかったら?

 心の底からそう思っている、本心そのものの、言葉だったら?

 それなら、僕のもとに帰ってきてくれるという意味になるんじゃないのか?


 もしもそうだったら、と思うと、嬉しさのあまり頭がグラグラしてくる。

 期待を込めて見上げたエイミーは、いつもと変わらないように見える。いつもと変わらない、生真面目なエイミーだ。


 ……とてもじゃないが、想いのたけを打ち明けたって感じではないよな。


 小さなため息を漏らすと、エイミーの顔が曇った。

 いけない。

 心配させてしまったな。

 そう思って取り繕うとした時だった。


 柔らかなエイミーの唇が、意を決したというようにきゅっと引き結ばれる。


 また何か、爆弾発言でもするつもりだろうか?

 どんな内容にせよ、さっきのアレに勝るものはないだろうが。


 気楽に構えた僕を、何かを決意したようなエイミーが見下ろしてきた。



   *



 あのお言葉に引き続いての、ため息。

 わたしはまた旦那さまを失望させてしまったようです。

 でも、とにかく、わたしの中にあるものはぜんぶお話ししてみましょう。


 そう心に決めて旦那さまと目を合わせると、あの温かな笑顔をまた返してくださいました。

 それに励まされて、わたしは少し息を吸い込み、そしてそれを声に変えます。


「わたしは、わたしを好いているとおっしゃってくださった旦那さまにお応えできないかもしれません。わたしは、旦那さまをお慕いしています。でも、わたしの中にあるこの気持ちがどういうものなのか、自分でもよく解からないのです」

 ひと息に言い切ったわたしに、旦那さまは小さくうなずかれました。

 解かっているよ、というように。

 わたしは、旦那さまの肩に置いた手に、力を込めました。


「わたしは、自分の中にあるものが何なのかも解からないような愚か者です。でも、旦那さまのお傍にはいさせていただきたいのです……この先も、ずっと」

 そう申し上げたとたん、わたしの腰に回った旦那さまの腕がギュッと締め付けてきて、息が詰まりました。


 かなり苦しいですが、あと少し、もう少しだけ、お伝えしておかなければ。


 ずっと、お傍で、でも、ただ隣にあるだけでなく、語り掛けて、見つめて――触れて欲しい。


 これは、わたしのわがまま。

 でも、わたし自身の欲求よりも強く、望むこと。


 それは――


「わたしは旦那さまに幸せになっていただきたいと願います。わたしの過去も未来もこの髪の一筋も、全て、その為にあるのです」



   *



 エイミーは、一瞬たりとも目を逸らさずに、僕に想いをくれた。

 彼女自身は解からないと言いながら、多分、誰の目にも明らかな想いを。

 もう、充分だ。

 これ以上、何が必要だというのだろう。


 僕はエイミーの頬を両手で包み、そっと唇を合わせる。

 驚いたようにパチリと瞬きをしたその目と、真っ直ぐに目を合わせた。


「僕も君に対して同じように思っているんだ。そして僕は、君のことを愛している。ずっと前から、これから先も、ずっと」

 もう一度、唇を重ねて。

「君はいつだって僕の闇を照らす灯なんだ。君が僕の傍にいてくれる、ただそれだけで、僕は幸せになれるんだ。君が僕の幸せそのものなんだよ」


「わたしが……?」

「ああ。一度目の戦いから帰ってきた時、クレイグを死なせた僕は無力感と罪悪感で潰されそうだった。でも、君がその小さな手で支えてくれたんだ」

「それは違います。旦那さまの方が、わたしを助けて、支えてくださいました」

「じゃあ、お互いに助け合ったんだ」

 そう言って笑いかけると、何となく納得いかなそうな顔が返ってきた。


 反論を封じる為に、三度目のキス。

 これは、最初の二回よりも、深く。


 力の抜けた背中を抱き寄せて、耳元で囁いた。


「二度目の戦いも、君がいたからやり抜けた。君がいたから、僕は絶対に生きて帰ろうと思ったんだ……君に、また逢う為に」



   *



 わたしが、旦那さまの支えになっていた……?

 そんなことが、できていたのでしょうか?

 にわかには受け入れられないお言葉に何も申し上げられずにいると、旦那さまは少し困ったように微笑まれました。


「僕も、最初は君のことを幸せにしてあげるんだと思っていたんだ。傲慢にもね。恩人であるクレイグの為に、それが僕のしたいことであり、しなければならないことだ、と。だけど、いつの間にか、僕自身の為に、君を幸せにしたいと思うようになっていた。これは僕の為であって、君の為じゃ、ないんだよ」

 また、苦しいくらいに抱き締められて。

「僕は僕が背負っているものから一生逃れることはできないだろう。それは、とても重いんだ。時々、押し潰されてしまいそうになる。だけど、君が傍にいてくれたら、それをちゃんと背負い続けていけそうな気がするんだ。僕が君を守っているんじゃない。君が僕を守ってくれているんだよ」


「わたしは、そんなたいそうな者ではありません」

「僕にとっては、この世で一番『たいそうな』人だよ。だから正直、この二ヶ月はつらかった」

「……申し訳ありません」

 思わず謝罪を口にすると、小さな笑い声とともにわたしの耳元の髪が揺れました。

「僕こそ、ごめん。僕が混乱していたから、君を困らせてしまったんだ」


 苦しそうなお声が、わたしの胸に刺さります。

 旦那さまが謝らなければならないようなことなど、何一つありませんのに。


 わたしは、旦那さまがおっしゃったことで頭も胸もいっぱいで、ただかぶりを振ることしかできません。



   *



 僕は最後にエイミーを抱き締め、そしてそっと引き離した。

「エイミー、僕は君を愛している。君が傍にいてくれるだけで幸せだ。いてくれないと、地獄の底にいる気持ちになるよ。僕を救えるのも幸せにできるのも、君しかいないんだ」

 立て続けにそう告げると、エイミーはキョトンと目を丸くした。

 ダメ押しに、おどけた口調で付け加える。

「頼むよ。僕を憐れと思うならどうか僕の傍に戻ってきて欲しい。僕の全身全霊を懸けて、君を幸せにしてみせるから」


 不意に、エイミーはふわりと微笑んだ。

 この上なく、嬉しそうに。


「わたしの幸せは、旦那さまが幸せでいてくださることです」

「だったら、話はすごく簡単だ」

 揺らぎなく見つめてくるその目と同じだけの想いを込めて、僕は問う。


「ねえ、エイミー。僕と結婚してくれる?」


 これを口にするのは、何度目になるだろう。


 二度目?

 三度目?


 だが、これまでのものは、『要求』だった。一方的に押し付け、求めただけのもの。

 エイミーが受け入れられなかったのも当然だ。

 今度は、違う。今の僕には、その違いがよく判る。

 僕は期待に満ちた目でエイミーを見つめた。


 彼女の、返事は――



   *



 すれ違いつづけた二人の想いも願いも、今はただ一点に集束する。


『ずっとあなたと一緒にいたい』


 その、ただ一つの答えに。


 ――それは明快で、不変のものだった。


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