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エイミーと旦那さま  作者: トウリン
『伯爵とメイドの攻防』
52/60

離れて、想う◇サイドC

 エイミーが屋敷から消えてから、一ヶ月が過ぎた。


 ――一ヶ月。

 ……一ヶ月、なんだ。


 彼女はいったいどこに潜り込んだというのか、一ヶ月かかってもまるでその足取りが掴めない。


 外出に不慣れなエイミーがこんなにも見事に足跡を消し去ることができるなど、思ってもみなかった。そもそも屋敷を抜け出したことにも、誰一人気付いていなかったのだ。

 日も暮れて、今日も空しく終わった捜索に重い足を引きずりながら、家路に就くため馬車に乗り込む。

 本当なら街の灯りが一つ残らず消えるまで捜していたいところだが、別働隊のカルロやゲイリー、そして仕事の伝手で情報を持ち込んでくれるブラッド・デッカーも、そろそろ屋敷に集まっている頃だ。


 屋敷へと向かう馬車の中から、僕は街並みに目を凝らした。


 多分、このどこかに、エイミーはいる。

 頼る者などいない、この都のどこかにいる――はずだ。


 今、彼女は何を思っているのだろう。

 僕から離れたことを、少しは寂しがってくれているのか、それとも……


 僕の手を逃れ、新しい関係を築いて、楽しく過ごしているエイミーの姿が、どうしても脳裏に浮かんできてしまう。僕のあずかり知らぬところで幸せに暮らしている彼女を思うと、胃の辺りが焼けるようだった。


「エイミー、君は今どこにいるんだ?」

 瞼の裏に彼女を思い浮かべ、呟く。

 一ヶ月が過ぎてもさっぱり帰って来る気配を見せないエイミーの態度が、何よりも雄弁に、彼女が今後どうしたいと考えているのかを物語っているように思えてしまう。


 もしも捜し出すことができても、連れ帰ることはできないのかもしれない。

 再び僕の庇護の元に戻ることを、彼女は望んでいないのかもしれない。

 ――いや、そもそも、ずっと僕から逃れたいと思っていたのかもしれない。


 思いを巡らすにつれ気分はどんどん沈み込んで行き、もう身体ごと馬車の床にめり込みそうだ。

 頭がミシミシと痛んで、きつく目を閉じた。

 窓の外に目を向けることもできなくなった僕を乗せて、馬車は走る。


 じきに屋敷に帰り着くと、いつものようにジェシーが出迎えた。

 僕の上着を受け取りながら、彼が告げる。

「カルロとゲイリーは戻っています。デッカー氏も、十分ほど前に到着されました」

「……そうか。すぐに行こう」

 何も収穫がなかっただろうことは重々承知だが、蜘蛛の糸のような希望にすがって彼らが集まる書斎へと、急ぎ足で向かう。


 扉を開けると、ジェシーが言っていた三人にデニスも加わって、四対の眼差しが僕に注がれた。

「遅くなって済まない」

 言いながら空いている椅子の一つに腰を下ろすと、すかさずデニスが紅茶を差し出してくれる。

 それを受け取り、一同を見渡した。


 残念ながら、何か新しい情報があるようには見えない顔つきばかりだ。ため息を押し殺しつつ、デニスに目を向ける。

「悪いが、何か軽食を持ってきてくれないか。皆も空腹だろう?」

「ジーンに用意させてありますので、食堂に整えさせます」

「君は気が利くな」

 そう言って笑いかけると、彼は一礼して部屋を出て行った。


 扉が閉まると同時に、カルロが口火を切る。

「さて、報告会と行きましょうか」

「何か進展があったのか?」

「いや、残念ながら。流石に三度目にもなると、皆さんちょっと嫌な顔してましたよ」

「……」

 肩をすくめたカルロに、僕は思わず奥歯を噛みしめる。


 そう、三度目だ。

 エイミーを求めて都中の救貧院や孤児院を訪問させるのは、これで三巡目になる。しつこいのは判っているが、一番彼女がいる可能性が高い場所なのだ。


「じゃあ、ゲイリーは?」

 ため息を飲み込み、僕は一縷の望みをかけてゲイリーへと目を移した。


 が。


「ボクの方も同じく」

 彼は申し訳無さそうにかぶりを振った。


 ……エイミーからは、週に一度、手紙が届く。

 僕達が戦場にいた時に書いてくれたのと同じ、ごくごくシンプルな手紙が。

 今までに三回受け取ったが、自分は元気だということと、誰か不特定多数の人間の世話をしているということくらいしか書かれていなかった。

 そこから、彼女がいる場所は救貧院や孤児院ではないかと推測して、何度もカルロたちを赴かせているのだが。


 肩を落とした僕に、ブラッド・デッカーが言う。

「個人でやっている保護施設などもかなりの数があり、我々も把握しきれていないのが現状です。もしかしたら、そういったところにいるのでは……」

 僕は頷く。

 確かに、貴族の中には貧しい者に手を差し伸べる篤志家がいる。僕も幾つかの保護施設に寄付をしていたが、寄付だけでなく、自ら運営している者もいるのだ。


「中には公にはされていないものもあるらしいな。伴侶の暴力から逃れる女性を保護したりとか。まあ、噂でしか聞いたことがないが」

「はい。ごく限られた者しか渡りをつけられず、我々も未だ接触できたことがありません。行方が判らなくなった女性は、少なからずそういった所に身を寄せているのではないかと考えているのですが……」

 デッカーは、『行方が判らなくなった女性』にエイミーも含めているのだろう。

 実際、まさにそのものズバリなのだから。


 ひと月の間、都中を隈なく捜した。

 一度ならず、三度までも。

 それでもエイミーの影も形もかすめることすらないということは、そもそも都にいないか、あるいはよほど特殊な場所に――つまり、デッカーが言うような場所に、身を潜めているということだ。


 都から出て行ったのだとしたら、地の利のないエイミーにとってはかなり勇気が要ったことだろう。

 もしも極秘の隠れ家のような所にいるのだとしたら――


「……いずれにせよ、そうまでして、僕から逃げたかったということか」

 ついつい、自嘲混じりのボヤキが漏れた。

 それを聞きつけ、デッカーが眉をひそめる。

「エイミーは好き好んで出て行ったわけではないと思いますが」

 あの子の考えを自信満々で代弁する彼を、やけに腹立たしく思ってしまう。

「何故そう言い切れる」

 素っ気ない口調でそう切り替えすと、彼は真っ直ぐな眼差しを向けてきた。


「オレといる時、彼女の口から出てくるのは貴方のことばかりでしたから」


「え?」


「エイミーは、いつでも貴方のことばかり言っていました。夜更かしするから朝が起きられないのだとか、仕事熱心ではないのに使用人や領民のことはすごく良く見ているとか。それはそれは嬉しそうに話していましたよ」

 ニコリともしない真面目な顔でそう言うデッカーに、カルロも深々と頷く。

「そうそう、エイミー、旦那様にぞっこんでしたよねぇ」


「は?」


「だって、ほら、ずっと前に愛想笑い云々の話したことあったでしょ? 覚えてます?」

 ……確か、戦に行く前、そんな遣り取りをしたような気がする。

 エイミーの笑顔を僕だけが見せてもらえていないという事実に、少なからず落ち込んだものだ。

 今でも、やっぱり、悔しい。

 だが、そんなふうに思っている僕に、カルロはニヤニヤと笑いながら言う。


「あれって旦那様に対してニセの笑顔なんか作れないってことなわけなんですよね。オレらには平気でできちゃうのに。なんか超特別って感じ、しませんか?」

 そんなふうに考えたことは、なかった。

 ただ、他の者には笑いかけるのに、何故僕にはくれないのかと不満に思っただけだ。


「今だって、彼女が一目でも旦那様のお姿を見ることがあれば、その場で戻る気になると思いますが。このひと月で五キロは体重が減っているとデニスがこぼしていましたよ?」

 そう言ったゲイリーの案ずるような目が、僕に注がれる。

 けれど、もしも本当にエイミーがそんなにも僕に心を砕いているならば。


「――だったらどうして、あの子は出て行ったんだ?」

 何故、僕から逃げる?

 僕も彼女も、互いに相手のことを大事に、特別に、想っている。だったら、離れたくない、いつでも傍にいたいと思うものではないのか?

 多少、その想いの種類は違うかもしれないけれど、大きな問題にはならないはずだ。


 むっつりと呟いた僕に、カルロが首を傾げた。

「旦那様、ちゃんとエイミーに『愛してる』とかなんとか、言いました? 結構、そこ大事ですよ?」

「エイミーは僕の気持ちを知っているはずだ」

「直球でそう伝えました? 目を見て勘違いのしようがないほど確実に?」

「それは……」

 確かに、間接的に、他の者に言っているものを聞かれたというパターンではあったが……これほど露骨に態度に表しているのだから、判っている筈だ。

 ――きっと。いや、多分。


 僕が言葉を濁すと、今度はゲイリーが後を継ぐ。しみじみとした口調で。

「女の子って時々変なふうに受け取ったりするんですよね。遊びと違って本気の恋愛は、結構ややこしいものですよ。相手も深読みしてきたりするし、ちょっとしたことがうまく伝わらなくてこじれたりしますし」

 やけに実感のこもった相棒の台詞に、カルロがにやりと笑った。

「特に、相手がエイミーだし……直で言ってないなら、オレ、『全ッ然解ってない』にひと月分の給料賭けてもいいですよ?」

「……」

 言われるほどに、何だか落ち込んできた。

 きっと疲労に寝不足も祟っているんだろう。


「――今日はこれで解散にしよう。デッカー君もご足労ありがとう。ジーンの料理を食べていってくれ。また何か判ったら教えて欲しい」

 視線を下げたままで口早にそう言うと、僅かな間の後、三人は小声で辞退の挨拶を残しつつ出て行った。

 彼らの足音が遠ざかる。


 部屋の中が完全な静寂に支配された頃、重い身体をなんとか持ち上げキャビネットに向かった。そこに用意されているデキャンタから、無色透明な液体をグラスになみなみと注ぐ。

 中身はアシュレイから手に入れたやたらに度数の高い蒸留酒で、三杯も飲めば意識を飛ばせる。

 エイミーがいなくなってからというもの、多少なりとも眠りを確保するにはこれの助けが欠かせなくなっていた。


 僕はグラスの縁から溢れんばかりになっているその液体を見つめる。

 そうして、今の遣り取りをもう一度頭の中に蘇らせた。


 誰もが、エイミーは僕のもとに居たがっていたと言っている。

 でも、エイミーは僕の求婚を拒んで逃げていった。


 何故だ?

 ただ、この屋敷で働いていたかったということなのか?


 それとも――


 僕の頭の中で、一連のカルロとゲイリーの台詞が蘇る。


 まさか本当に、僕の気持ちは通じていなかった、と?


 僕はグラスを手にしたまま、また書き物机に戻る。その引き出しから、三通の手紙を取り出した。

 封筒には、僕の名前とこの屋敷の住所のみで、差出人の名前も住所もない。その上、その筆跡は見覚えのないものだ。

 しかし中身は確かにエイミーの手によるもので、戦地にいた頃毎日繰り返し彼女からの手紙を眺めていた僕には、間違えようがない。

 消印はどれもこの都にある中央局のもので、それが、エイミーは都に留まっているのではないかと考える根拠の一つになっていた。


 内容は、「元気です」の一文。

 それに加え、「洗濯を覚えました」とか、「料理で皆に褒められました」とか。


 単なる状況報告としか思えない代物で、本当に僕に宛てて書かれたものなのか、少々不安を覚えてしまう。

 あるいは、その素っ気ない文章が、早く自分のことを諦めるようにと言っているようで。


 深々とため息を付いた時、静かなノックの音に引き続いて、扉が開いた。

 入ってきたのはジェシーだ。

 彼は僕が手にしているグラスに気付くと、スッと目を細めた。


「……飲んでないよ――まだ」

「最近、少々過ぎるように存じますが?」

「判ってるよ」

 小さな声でそう答え、グラスを机の上に置く。

 傍まで来たジェシーは、まだ僕が持ったままの手紙に気付いて立ち止まった。僕は彼に向けてひらひらとそれを振ってみせる。

「解からないのは、あの子のことだけだ」

 そうして、笑った。いや、笑ったつもりだったが、顔が歪んだだけかもしれない。


 ジェシーは僕から手紙を取り上げ、それをしげしげと見つめる。

「なあ、ジェシー。君は何故、エイミーが行ってしまったんだと思う? 正直、僕にはサッパリだ」

 そのぼやきに、ジェシーの目が僕に移る。

「ここのところのセディ様はただ欲しがるだけの幼い子どものようでしたから。エイミーがどれほど戸惑っていたか、まるで気付いていなかったでしょう? 以前はあんなに良くあの子を見ていたのに、帰ってこられてからの貴方は、まるで盲人だった」


 言外に、あの子が出て行ったのは当然だと責められているような気がするのは、きっと僕の勘ぐり過ぎではないのだろう。


「厳しいなぁ……」

 はは、と乾いた嗤いを漏らす。それしか、返せない。

「あの子が嬉しそうになるのは、貴方が喜んだ時でした」

 静かなその声は、今の僕には驚くほど深々と突き刺さる。

「……そうだな。確かに、そうだった」

 活き活きとしたエイミーを思い出そうとしたら、僕の周りで甲斐甲斐しく世話を焼く姿しか出てこない。綺麗なドレスを着せても、甘い菓子を食べさせても、彼女が淹れてくれたお茶に僕が一言「美味しい」と言った時以上に、目を輝かせたことはなかったのだ。


 椅子の背もたれに身を任せ、一度大きく息をつく。


「僕は、そんなにおかしかったか?」

「それはもう」


 一刀両断。

 容赦の欠片もない。

 ジェシーの答えは明白過ぎて、反論できない僕は特大のため息をこぼすばかりだった。


「エイミーは帰ってきてくれるかな」

 メイドとしてでもいい。

 傍にいてくれるならどんな形でもいいから、戻ってきて欲しい。

 祈るように組み合わせた両手を硬く握り締め、額に押し付ける。


「ただ傍にいてくれるだけで、良いんだ」


 唯一確かな真実を口にすれば、モヤモヤと頭の中に渦巻いていた霞のようなものがスッと晴れたような気がした。

 その時不意に、僕の中にエイミーが残していった言葉が泡のように浮き上がってきた。

 僕が彼女を求めるのは、戦争の所為、兵を死なせた罪悪感や悔恨の念の所為だという、言葉が。


 あれはエイミーの思い込み、勘違いだと思っていた。

 だが、一抹の真実も潜んでいたのかもしれない。


 もちろん、償いの気持ちで彼女を求めたというのは大間違いだ。

 だが、エイミーを失うことを異様に恐れ、彼女をこの手の内に入れておくことしか考えられなくなってしまったのは、あの戦いの所為ではなかろうか。

 他の誰もに見えていた彼女の思いが僕には見えなくなってしまったのは、護ろうと誓ったものを僕は護れなかったのだという冷たく歴然とした事実に、目を潰されていたからではなかろうか。


 僕の中から何かがボロボロと剥がれ落ちていくようだった。

 今なら、ちゃんとエイミーのことを見ることができる気がする。

 彼女の言わんとしていることを、真っ直ぐに頭の奥まで届けることができるような気がする。


 だけど。


「もう、遅いのかな」


 そう呟いた僕の隣で、ジェシーは静かに佇んでいた。


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