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エイミーと旦那さま  作者: トウリン
『伯爵とメイドの攻防』

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48/60

迷走の末に◇サイドC

 ようやく書類仕事の目処がついてきた。

 後は二つ三つサインをすれば、やっとエイミーのところに行ける。

 殆どの書類は領地からの収支報告などだが、管理官は皆信用の置ける者ばかりだから基本的にただ報告に目を通すだけだ。その退屈極まりない仕事も、エイミーとのひと時という褒美があれば、いやでも集中力が増すというものだ。


 今日は、彼女と何をしよう。

 公園まで馬車で繰り出してもいいし、新しく始まった芝居を観に行ってもいい。

 あまり表情を変えることのないエイミーだけど、連れ回していれば時たま目を輝かさせることができることもある。変化は微かだが、そんな時、僕の顔も緩んでしまう。

 彼女のことを頭に思い浮かべるだけで、心がどうしようもなく浮き立った。

 なんだか馬鹿みたいだが、そうなのだ。

 まだ社交界に出たばかりの頃、悪友どもと競い合って美貌で名だたる令嬢を口説き落としていた時でさえも、これほど気持ちが逸ることはなかったというのに。


「ジェシー、エイミーにもうすぐ行くと伝えてきてくれないか?」

 書類に目を通しながらそう言ったが、返事がない。

「ジェシー?」

 顔を上げると、鉄面皮のハウススチュワードは何やら渋い顔をしていた。

「どうした?」

 眉をひそめて問うと、彼は一瞬何か言いたそうな顔になったが、すぐに小さくかぶりを振った。

「……いえ、では、そのように」

 そう言って書斎を出て行く彼を、なんとなく見送った。


 最近、ジェシーは時々あんな素振りを見せる。言いたい事があれば率直にビシビシと口に出す彼が言い淀むなど、珍しいのだが。

 なんだろうなと首を傾げつつ、書類を繰る。

 ワインの生産高や領民の暮らしぶり。

 先だっての大雨の被害に対する報告。

 そんな内容に素早く目を走らせた。

 どれもつつがなく処理されている。

 特に付け加えることもなくサインを済ませ、勢い良く立ち上がった。


 書斎を出て自然と速まる足でエイミーの部屋へ向かう。と、優雅な歩みでこちらへやってくる貴婦人の姿が目に入ってきた。

 セレスティアだ。

 舞踏会以降、彼女はほぼ連日当家を訪れていたが、もちろん、僕に会うためではない。目当てはエイミーだ。

 まあ、面白くはなかったが、会うなとは言えないし、僕が相手をできない時まで縛り付けておくわけにもいかないのだ。


 僕の前まで来ると、セレスティアは立ち止まった。

「ごきげんよう、セドリック様」

「やあ、毎日エイミーに会いに来てくれてありがとう」

 心持ち『毎日』のところに力を入れて、笑顔で返した。が僕の嫌味は綺麗に流される。

「少しでもエイミーの暇つぶしになればと思いまして」


 ニッコリと、艶やかな笑み。

 その声には微かな棘がある。


「僕がもっと相手をできればいいんだろうけれど、二年留守にすると色々溜まっていてね」

「あら、エイミーにやりたいことをさせてあげればよろしいのではなくて?」

「馬車は好きに使っていいと言ってある。買い物でも何でも、行ったらいい。何なら君が連れて行ってあげてくれないか?」

「……それで、エイミーが満足すると?」

「買い物が嫌いな女性はいないじゃないか」

 確かにエイミーは物欲がないが、それは今まで余裕がなかったからだろう。あの子だって、綺麗なものは好きなはずだ。居場所さえ教えておいてくれたら、どこにでも好きなところに出かけたらいい。

 そう言って肩をすくめた僕に、しかし、スッと、セレスティアの目が細くなった。


「セドリック様、あなた、目が見えていらっしゃる?」

「え?」

 僕が眉をひそめると、彼女はほとんど睨むようにして僕を見た後、いかにも苦そうなため息を吐き出した。


「ねえ、セドリック様。貴方はちゃんとご自分の気持ちをエイミーにお伝えになったのかしら?」


 もちろん。

「伝わっているはずだ」

 確かに、面と向かってあの子に言ったわけではない。しかし、舞踏会でのあのセリフで、僕の気持ちが伝わらないわけがない。

 それから、改めて口にしてはいないが……


 遊びに慣れた令嬢方が相手なら、連日甘い言葉で愛を訴えるところだが、エイミーには向かない手法だろう。あんまりしつこく迫ったら、余計に引かれてしまうに違いない。

 だから、今は、言葉よりも態度で示している――つもりだ。

 現状ではあまりエイミーの態度は変わってきていないが、時間はある。いずれ、『主人』としての僕ではなく、『男』としての僕を見てくれるようになるだろう。そうなれば、僕の恋人――妻としての自分を受け入れてくれるはずだ。


 そんなふうに楽観視している僕とは裏腹に、セレスティアは渋面になった。

「何か?」

 僕が問うと、セレスティアは扇を広げ、その上から窺うようにして見つめ返してきた。


「愛らしく元気に飛び回っていた小雀が、今は羽を切られ喉をつぶされたカナリアのようでしてよ」

「何が言いたい」

「……想い想われている相手であれば、多少理不尽な行いでも嬉しく思える筈ですのに」

 僕の想いがエイミーにとっては迷惑だとでも? それとも、僕がエイミーに想われていないとでも言いたいのか?


 ムッとした僕に、セレスティアはこれみよがしなため息をついた。

 これで何度目だ?


「二年前の方が、まだ見どころありましたわ」

 横を向き、呆れたようにつぶやく彼女の声が、妙に鼻につく。


 都にいるから、良くないんだ。王との約束も果たしたことだし、早く領地に戻って余計な邪魔が入らないようにしよう。

「じゃあ、僕はエイミーを待たせているから。気をつけて帰ってくれ」

 そう言っておざなりに会釈を残し、セレスティアの横を通り抜けた。

 すれ違いざまにまた耳に届けられる、ため息。

 なんだかやけに苛々するが、不機嫌な顔のままでエイミーの前に行く訳にはいかない。


 すぐに彼女の部屋まで辿り着いてしまったが、しばし深呼吸をして気持ちを入れ替えた。

 ノックをしてから、ドアを開ける。

 部屋にはジェシーもいたけれど、エイミーを目にした途端に彼女以外は見えなくなった。


 僕に向けられる、どことなく浮かない顔。

 なぜ、そんな顔になるんだ。


 苦い思いとともに、セレスティアが残していった言葉の幾つかが脳裏をよぎる。

 確かにエイミーは、僕が甘やかすのを喜んで受け入れているようには見えない。だがそれは、戸惑っているだけだ。


 きっと。


 僕は部屋を横切り、エイミーの前に立つ。

「やあ、エイミー。退屈させてしまったね」

 胸の中のモヤモヤしたものを振り払い、努めて明るい声を出した。

 柔らかな頬を両手で包み込み、そっとキスを落とす。

 そう、キスだって、何度も繰り返していれば、こんなふうに与えるだけでなく、ちゃんと返してもらえるようになる。


「今日は何をしよう? 散歩? 芝居を観に行ってもいいな」

 そう言いながら、エイミーの目を覗き込んだ。

 僕の誘いが、僕のキスが、ほんの少しでも喜びの輝きをそこに宿らせないかと期待して。

 だが、見つかるのはやはり戸惑いばかりで、束の間絡んだ視線は、気まずげに逸らされてしまう。


 今のエイミーは、僕と目を合わすことすら拒んでいる。

 その事実に、横っ面を張られたような衝撃を覚えた。

 そうやってすれ違う視線が、互いの想いの差を表しているようで。


 ――想い想われている相手であれば、多少理不尽な行いでも嬉しく思える筈ですのに。


 セレスティアの声が、脳裏で繰り返された。

 いいや、エイミーは僕を嫌ってはいない。

 ……だが、僕が彼女を想うようには、僕を想ってはいない。


 両の拳を握り締め、うつむくエイミーのつむじを見下ろす。

 いつの間に、こんなにすれ違ってしまったのだろう。視線がかすりもしないだなんて。


「エイミー?」

 理性を振り絞って作った穏やかな声で名前を呼ぶと、パッと彼女の顔が上がった。

 エイミーの大きな目が、以前と同じように真っ直ぐに僕を見る。

 さっきまでとは違う、どこか嬉しそうな、期待するような光が、そこにあった。


 ふわりと胸が軽くなって思わず彼女を抱き寄せそうになったが、次に耳に届いた声に、固まる。


「わたしをお仕事に戻してくださいませんか?」

 彼女は、そう言った。

 まるで、それが唯一で究極の願いであるかのような声で。

 途端に、浮いた心が一気に沈み込んだ。

 何故、この期に及んでそんなことしか望んでくれないんだ?

 どこまで行っても、僕はエイミーにとって『主人』にしか成り得ないのか。

 そんなに、僕のことを『男』としては見られないというのか。


「君はもう仕事なんかしなくていいんだ」

 奥歯を噛み締め、かろうじてそれだけ口にする。

「ですが――」

「心配しなくていいんだよ。僕は絶対に君を幸せにするから、何も考えずに僕の妻になったらいいんだ」

 苛立ちを隠し、引きつりそうな笑顔を保つ。

 だが、エイミーは引き下がらなかった。


「わたしは旦那さまのお役に立ちたいのです」

「そんな必要はない。僕がちゃんと幸せにしてあげると、言っているだろう?」

 エイミーは、ただ僕の傍にいてくれるだけでいいんだ。

 傍にいて、幸せでいてくれたら、僕はそれだけで赦されたような安らぎを得られるのだから。


 ふと、僕は眉をひそめた。

 ――『赦されたような』……?


 何故、そんな考えが湧いたんだ?

 誰に、何を、赦してもらうと言うんだ?

 僕がエイミーを求めるのは、ただ彼女が愛おしいからだ。


 視線を落とせばエイミーと目が合って、それだけで甘さと苦しさで胸の中が温まった。

 他のどんな女性に対しても、こんなふうに感じたことはない。

 どれほど眼福な美女を見つめても、どれほど豊満な肢体を抱き締めても、エイミーが些細な仕草で与えてくれる喜びを得られたことはなかったのだ。

 これは、彼女のことを愛しているからに他ならない。

 そして、エイミーを大事にしたい、幸せにしたいとも思うのは、彼女を愛しているからだ。

 それ以外の気持ちなど、ない。


 改めてエイミーへの想いを噛み締める僕は、袖を引かれて我に返った。

 腕の中を見下ろすと、今までになく真摯なエイミーの眼差しがあった。あまりに思い詰めたようなその瞳に、笑い返そうとして、できなくなる。


 僕を見つめたまま、エイミーが口を開く。

「旦那さまは、まだ亡くなった方々に対して申し訳ないという気持ちでいっぱいなのだと思います」

 何を、唐突に。

 彼女の意図が読めず、思い切り眉間にしわを刻んだ。


 そんな僕を見つめたまま、エイミーは続ける。

「きっと、その影響でわたしの父のことも思い出しているに違いありません。ですから、あの……お申し出は、きっと、強まってしまった義理と義務からのお考えを別のものだと勘違いしているのです」


 ……エイミーは、いったい何を言っているんだろう。

 義理と義務?

 何故そんな単語が出てくるのか。

 わけが解らなくて、僕は絶句したままエイミーの声を耳に入れることしかできない。


「わたしの為に何かしなければとか、わたしを守らなければとか、思われる必要はありません。わたしを十年近くお傍に置いてくださったことで、父との約束は十分に果たされています。ましてや、今回の戦争で亡くなってしまった方々とわたしや父とは、まったく関係ありません。これ以上、わたしに何かしてくださる必要はないのです」


 ああ、その通り。

 戦死者もクレイグも、今の僕と彼女には全く関係がないことだ。

 そんなことは判りきっている。

 今回の戦いでの死者もクレイグの死も、一生僕が背負っていくものだ。それとエイミーへの想いとは、何も重なるところなどない。


 僕ははっきりとそう言おうとしたけれど、淡々と続いた彼女の言葉に、また声を封じられる。

「確かに父を喪ったことは悲しいです。とても、残念です。泣いて叫んで誰かを責めれば戻ってくるというのなら、いくらでもそうしましょう。けれど、それはけっして叶わないのです」


 久しぶりに耳にしたエイミーの嘆きに、胸をえぐられた。

 とっさに彼女を抱き締めようとして、次に目にしたものに、思考が停止する。


 仄かだが、確かに存在している、柔らかな、微笑み。

 そう、彼女は微笑んだのだ。

 悲しい思い出を口にしながら。


 エイミーは僕の腕の中で指一本動かしていなかったというのに、それを目にした瞬間、僕は彼女に抱き締められたような気がした。小指の先まで、全身が、そんな温もりに包まれた。


 僕は、その微笑みに、目も、心も、奪われてしまう。


「父を喪ったことは悲しい――けれど、旦那さまにお逢いできたことは、その悲しみを包み込んで癒してくれるほどの喜びなのです。誰もみんな色々なことを失っていくけれど、失うだけではなくて、得るものもあるのです。それは、もしかしたら失ったからこそ巡り逢えたのかもしれないのです」

「エイミー」

 バカみたいに彼女の名前を口にして、それきり後が続かない。

 そうしながら、僕は確信していた。


 エイミーは、僕を想ってくれている、と。


 それは男女の間に生まれるものとは違うかもしれないけれど、間違いない。

 セレスティアのせいで少しばかり不安になってしまったが、彼女の方が見当外れなことを言っていたのだ。


 エイミーにとって、僕は『大事』な存在だ。

 そうでなければ、どうしてこんな微笑みを見せ、こんな言葉をくれるだろう。


 僕は胸がいっぱいで、ただただ彼女を見つめることしかできなかった。

「起きたことは、どうやったって変えられません。それに多分、過去に起きたことは、次に起きることの布石になっているのだと思うのです。だから、もし変えられるとしても変えるべきでもないのです。でも、だからといって、過去に起きたことを未来に行うことの理由にしてしまっては良くないです。それは、ちゃんと切り離して考えないと」

 静かなエイミーの声が、頭に、そして胸に染みこんでいく。


 僕は、思った。

 やはり、この子を手放すことはできない、と。

 仮にエイミーが僕のことを男として愛していないとしても、それでも、絶対に彼女を手放すことなんてできやしない。

 だが、それなら、いったい何をどうしたらエイミーの気持ちを変えることができるのか。


 嫌われてはいない。特別には想ってくれている。

 ――だったら、多少強引に迫ったら、勢いで流されてくれるのでは……?


 そんなことすら考えてしまう。

 そう、そんな愚かなことを考えていたから、次のエイミーの台詞に、とっさに反応できなかった。


「結婚は贖罪のためにするものではありません」


 ――という、台詞に。


 今、彼女は何と言った?

 贖罪、だって?

 いったい、どこからそんな言葉が出てきたのだろう。


 マジマジと見つめる僕を、エイミーは澄んだ栗色の目で見返してきた。

 そんなふうに見られていると、欲求に駆られて暴走しそうになる。

 この世の何よりも大事に守りたいと思うのに、同時に、胸の中には荒々しい感情が溢れかえる。


 贖罪、だって?


 まさか。


 そんなもので、男がこんな気持を抱いて女性に触れたくなるはずがない。


 予想だにしていなかったことを言われて呆気に取られていたところに、トドメの一発が加わる。


 この上なく真摯な、胸の奥まで貫き通すような声で。

 彼女の想いが、満ち溢れている声で。


「旦那さまには幸せになっていただきたいのです」


 ああ、もう。

 そんな声でそんなことを言われて、どうやって自制しろと言うんだ。


「ですから、また、元の通り――ッ!?」

 何か言いかけているエイミーの腕を掴んで思い切り引き寄せる。よろめき飛び込んできた身体を、力いっぱい抱き締めた。


 華奢で、柔らかくて、温かな感触は、あまりに愛おしくて、愛おしすぎて、僕の頭をくらませる。


「ああ、君は、何て……」

 それ以上言葉が見つからなくて、気付いた時には薄っすらと開かれていた唇を奪っていた。


 この小さな身体を全て僕のものにしたい。

 身体も、心も、何もかも、全部。

 無我夢中でエイミーの甘さを貪る僕の袖が、儚い力で握り締められる。それはまるで僕にすがりつこうとしているかのようで、一層僕をおかしくさせる。

 ほんの少し唇を浮かせればエイミーが喘ぐように息を吸い込んだから、それを奪うようにしてまた口付けた。

 僕のことを一生懸命に考えてくれているエイミーが可愛くて、僕のことを幸せにしたいと言ってくれるエイミーが可愛くて、僕の為すがままになっているエイミーが可愛くて、頭がおかしくなる。

 もっと甘く蕩けさせるようなキスを与えられるはずなのに、僕の頭からはそんな技巧など完全に吹き飛んで、ただただ彼女を味わうことしかできない。


 どれだけそうしていたのか判らなかったけれど、力を失ったエイミーの身体が僕の腕にぐったりともたれかかってきて、その甘い重みでようやくなけなしの理性が目覚め始めた。

 息を切らしているエイミーの唇は解放し、背中を引き上げるようにして抱き締める。下ろしたままになっている栗色の髪に頬を埋め、耳の後ろにそっとキスをした。

 その耳に息を吹き込むようにして囁く。


「そんな可愛らしいことを言われて、諦められるわけがないじゃないか。君はとことん僕の自制心を揺さぶってくれる。待てなくなってしまうよ」

 頭を少し下げて肩から首へと変わる曲線をキスで辿る。最後に柔らかな耳朶を唇で挟んで、離した。

 僕を男としては見ていないくせに、エイミーは、こんな親密な行為も拒まない。

 それは、全面的に、僕という存在そのものを受け入れてくれているということだ。


 だから――


「いや、そもそも、待つ必要なんてないのかもな」

 こんなふうにしても拒まれないのなら、もう大丈夫なんじゃないのか?

 もしかしたら、僕は待ち過ぎているのかもしれない。

 むしろ少し強引に進めてしまった方がいいのだろうか。そうすれば、エイミーの気持ちも変わってくるのかも。


 ならば。


「求婚は撤回しないよ。僕は、君を妻にする」

 断固とした声で、僕はそう宣言した。

 その瞬間、腕の中の身体が微かに強張ったのが感じられたが、エイミーは何も言わなかった。つまりそれは、僕の申し出を受諾したということだ。


 沈黙は、肯定。

 ――そうだろう?


 僕は、そう受け取った。


「式は親しい者だけを集めよう。でも、ドレスは特別なものを仕立てさせるよ。ベールも、ブーケも」

 やはり、エイミーは黙ったままだ。

「大丈夫。絶対に、君を幸せにするから……僕を、信じて」

 そう囁いた瞬間、彼女が微かに震える。

 それは無言の意思表示のようにも感じられたが、僕はそれを無視した。無視して、明るい未来だけを見た。

 最終的に、エイミーが幸せになればいいのだから。


 束の間力を込めて彼女を抱き締め、そして放す。

「じゃあ、僕はもう少し仕事があるから」

 本当は仕事などなかったが、エイミーには一人になる時間をあげたほうがいいだろうと思ったから、そう言った。

 彼女の額にそっとキスをして、一歩後ずさる。


 エイミーは、何も言わない。何も言わずに、僕をじっと見つめている。

 その時僕の胸の中には微かな不安がよぎったが、さっきと同じように、無視した。不安に思う要素など、何もないはずだったから。


 だから、笑顔で彼女に言う。


「じゃあ、また夕食の席で会おう」


 いつものように。


 ――だが、その軽い約束は守られなかった。


 何故なら、夕食の席にエイミーは姿を表さなかったから。


 ――四時間後、彼女は、屋敷から消えていた。

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