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エイミーと旦那さま  作者: トウリン
『伯爵とメイドの攻防』
42/60

それぞれの語り場◇サイドC

「……タマってますねぇ」

 都からの帰り道、領地の屋敷まではあと少しというところ。

 ヒトよりも馬に一息入れさせるための休憩の場で、カルロが言った。


 僕はカルロを横目で睨み付け、デニスが渡してくれたお茶をすする。


 余計な世話だ。

 余計な世話だが――まあ、確かに馬を急がせ過ぎたかもしれない。


 王から呼び出しで領地の屋敷を出発したのは、七日前のことだ。『大至急』登城するようにとのお達しで駆けつけてみれば、用件は、今度城で戦勝祝いの舞踏会をするから参加するように、との話だった。

 そんなことは手紙で報せてくれればいいと思うのだが、どうやら王は直々に、エイミーをその会に連れてくるようにと念押しをしたかったらしい。


 くどいほどに強調されたのが、昨日のこと。

 今朝は夜が明けると同時に都の屋敷を出発した。

 僕の領地から都まで、普通の行程では片道三日かかる。

 そこを一日で済ませる為に、連れてきたのは必要最低限の人数――フットマンのゲイリー、カルロ、そしてヴァレットのデニスの三人だけだ。この三人なら、多少の強行軍にも難なくついてこられる。

 もっとも、残念ながら馬は走り通しというわけにはいかないので、こうやって休憩を入れる必要はあるのだが。


 知らず知らずのうちに、僕の口からは重い溜息がこぼれる。

 都にとどまったのは一日だけだから、計三日、屋敷を留守にしただけだ。

 が、その三日で、もう限界にきている。

 早く、エイミーの姿を目に入れたくて、こうやって座っていることが耐え難かった。一日逢えなかっただけでも、まるで常習性のある薬を切らしてしまったかのように、気分がささくれ立つ。

 傍にいたって僕のしたいようには半分もできていないし、触れたら触れたでまた鬱屈が溜まるのだが、かといって、離れていることはそれ以上に苦痛だ。


 落ち着きなくカップを爪の先で叩いている僕に、ゲイリーがやけに気遣わしげな視線を向けてくる。

「セドリック様、このまま、領地の見回りとか行きませんか?」

「何故」

「ほら、戻ってから、遺族への見舞いには行きましたけど、それ以外の領民とはあまり接していないでしょう? セドリック様にお会いできたら、皆、喜びますよ」

「――なら、一度屋敷に戻ってエイミーも連れて行こう」

 確かに、いずれ彼女は僕の妻になるわけだから、領民に顔を見せておくのもいいだろう。

 けれど、そう答えた僕に、ゲイリーとカルロが何か言いたそうな視線を交わす。


「なんだ?」

「いえ、別に……」

 僕が睨むと二人はそろってそう答えたが、どう見ても腹に何か抱えていそうだ。

 重ねて問いただそうとした時、それまで黙々と給仕をしていたデニスが突然口を開いた。


「エイミーは最近困っています」


 このヴァレットはもう二十半ばになる筈だが、いまだにエイミーと同い年くらいに見える。と言っても、彼女と違って、可愛らしいという形容はまったく当てはまらないのだが。

 顔立ちは整った童顔でも、あまりに無表情なのだ。

 そしてその表情と同様、デニスは基本的に無口だから、訊かれたことに対する答え以外で声を出すことは非常に珍しい。

 そんな珍しい事態だったから、その内容が脳に届かず耳から耳へと通り抜けてしまう。


「は?」

 彼の言葉を聞き取りそびれて訊き返した僕に、デニスはいつも通りの無表情な顔で、淡々と繰り返す。相変わらず、眉一つ動かさず。

「最近、エイミーは困っています」


 多分それは、最初に口にしたものと、一言一句、変わりがないのだろう。

 明らかに、エイミーのことを気遣っている、台詞。

 思わず僕は、ムッと眉間にしわを寄せてデニスを見た。

 デニスは僕のことにはよく気付くけれども、反面、僕のこと以外にはほとんど目を向けない。そんな彼が屋敷の中の誰かを気遣うということは、彼が自発的に口を利くこと以上に稀だ。

 滅多にないことが重なったことを面白がるところだが、デニスが気遣った相手がエイミーであったというその一点が、何となく気に食わない。そして、もちろん、その内容そのものも。


「何故そう思うんだ?」

「時々放心しています」

「……あの子のことを、よく見ているんだな」

 ほとんど嫌味混じりにそう言うと、デニスは全く、微塵の躊躇もなく、答える。

「特に、旦那様と接触があった後は顕著です」

 それは、僕が原因だと言わんばかりではないか。

 だが、デニスは、常日頃から明白な事実しか口にしない。つまり、彼の目にはそう見えているということだ。


 ムッとしながらも、僕は冷静を装ってカップの中身をすする。

「僕が悪いとでも?」

 肯定が帰ってくるとは思わずにそう言ったのに、デニスはあっさりと首を縦に振った。

「はい。最近、旦那様は異常ですから」

「うわ、こりゃまた直球な」

 そんな呟きをもらしたカルロを、横目で睨み付ける。『直球だ』と思っているということは、彼もそう感じているということではないのか?


「僕のどこが異常なんだ?」

「概ね問題ないのですが、エイミーに対してだけは常軌を逸しています。そもそも、彼女が困惑していることに気付いていらっしゃらないことが、旦那様らしくないです」

 平坦な声で、ズバズバと言ってくれる。特に後半は聞き捨てならない。

「何故、エイミーが困るんだ? 僕はあの子を幸せにしてやりたいと思っているんだ。遊びで手を出そうとしているわけじゃない」

 苛立ちを隠す気もなくそう言うと、デニスは少し首をかしげて僕をジッと見つめてきた。彼の目は真っ黒で、あまり凝視されるとその中に吸い込まれるように感じてしまう。

 その眼差しに負けないように、僕は奥歯をきしらせた。

「あの子は、僕が守ってやらないと」

 そう、あの子は、僕が守って、幸せにしてやるのだ。

 この手で。

 僕は胸の中でそう繰り返して、デニスを見返す。

 だが、彼はまた冷やかともいえる声で返してきた。


「それは誰のためですか」

「もちろん、エイミーのために決まっているじゃないか」

「エイミーが、そうして欲しいと言っていますか。彼女自身は、それを望んでいるのですか」

「あの子が――」

 ――エイミーがどう思っているのかなんて関係ない、僕がそうするんだと言っているんだ。


 カッとして、とっさに、そう返しそうになる。

 返しそうになって、我に返った。


 僕は今、なんて……?


 ひどく、おかしな考えが頭の中をよぎったような気がする。


「まあまあ、二人ともそこら辺にして」

 固まった僕と平然としているデニスの間に割り込むようにして、カルロが口を挟んできた。いつも通りの能天気な声で。

「セドリック様も欲求不満でイライラしてるんですよ。いったん、どこかで吐き出してきた方が良くないですか?」

 へらへらしながらそんなことをほざく軽薄極まりないフットマンを、無言で睨み付ける。だが彼は、相変わらず笑いを崩さない。

「そんな怖い顔しないで下さいよ。このままじゃエイミーのことマジで襲っちゃうんじゃないですか?」

 そう言って、ふと、真面目な顔になる――本当に、心の底から真面目なことを考えているかどうかは別として。


 僕はその『何かを考えている』ふうなカルロを、目を眇めて見遣る。

 彼は、皆が見守る中で、続けた。

「いや、待てよ。むしろ、その方が良かったりしてね……実力行使したら、イヤでも気付くんじゃないですか? 自分は女でセドリック様は男なんだってこと。よし、じゃぁ、今夜にでも俺がドロシーを誘い出すからその隙に――ッて!」

 一瞬、手にしたカップを投げつけてやろうかと思った。が、僕が動くより先に、いっさいの警告なく硬い拳が濃い金髪に覆われた頭を襲う。

 ゴッと、かなりいい音が響いた。

「いてぇなゲイリー!」

 カルロが殴られた場所に手をやり拳の主を睨み付けるが、ゲイリーの眼差しは冷やかだ。というよりも、その場の皆が、同じような目をカルロに向けている。

「……冗談ですって」

 確かに八割ほどは冗談だったかもしれないが、残りの二割は本気も混じっていたに違いない。この男は、常日頃から、『身体が先』――というより、『身体のみ』なのだから。


「まあ、このバカの言うことは置いておいて、旦那様はよくお解りですよね?」

 一転、いつもの穏やかな笑みを浮かべて、ゲイリーが僕に目を移した。束の間彼と視線を絡ませ、そして逸らす。


「……解かっている」

 エイミーは、僕に恋していないということを。

 ――そもそも、『男』としてすら、見ていないということを。

 解かっているから、それを何とか変えようと、日々力を尽くしているのだ。


 確かに、カルロが言うようにしてしまうのも、もしかしたら一つの手なのかもしれない。

 けれど、今の、何も知らないエイミーが僕の胸の中にあるものを全て知ってしまった時、彼女はどうなってしまうのだろう。


 僕を受け入れ微笑みかけてくれるのか、それとも、僕を拒み逃げていってしまうのか。

 ……今は、後者の姿しか思い浮かばない。


 たった三日逢えないだけでこんなにもつらいというのに、もしも永遠に彼女を失うようなことにでもなったら、きっと僕は独りで立っていられなくなる。

 大事過ぎて、愛おし過ぎて、軽い抱擁とキス以上には進めないのだ。

 僕が彼女に依存しているのと同じくらい、彼女が僕に依存してくれていれば、と思う。

 だが、きっと、そうではない。

 僕はエイミーの『主人』で経済的には彼女を支えているけれど、きっと、彼女は僕がいなくても生きていける。エイミーにとって、僕は必須の存在でも唯一無二の存在でもないのだ。


 その差が、怖い。

 怖いから、エイミーを早く僕のものにしてしまいたいと思う――結婚という儀式で強固な『絆』を結んでしまいたいと思う。そうすれば、彼女は離れていけなくなってくれるから。


 ――そんなふうに考えてしまう僕は、おかしいのか?

 デニスが言うように、『異常』なのだろうか。

 けれど、今まで生きてきて、こんなにも失うことが怖いと思ったものは存在しなかったんだ。自分に縛り付けてでも傍に置いておきたいと思ったものは。


「一ヶ月後には舞踏会だ。来週、また都に戻る」

 その呟きは、両手で持ったカップの中に落ちていく。

 舞踏会さえ終われば、エイミーと王を会わせることさえ済ませば、もういつでも彼女と式を挙げられる。まだ返事をもらってはいないけれども、エイミーは僕の言うことに決して『否』とは返さない――返せない。


「……そろそろ行こう」

 そう言って空になったカップを差し出すと、デニスは黙ってそれを受け取った。


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