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エイミーと旦那さま  作者: トウリン
『伯爵とメイドの攻防』
33/60

待ち侘びた時◇サイドA

 旦那さまがお帰りになります。


 朝食の席、みんなの前でジェシーさんがそうおっしゃった時、わたしは思わずフォークを取り落としてしまいました。カチャンと耳障りな音を立ててしまったことをみなさんに小さな声で謝りつつ、ジェシーさんを見つめます。


「いつ、ですか?」

 三日後? それとも、一週間後?

 最後に旦那さまからお手紙をいただいた時、それには元気でお過ごしの様子が書かれていました。でも、そもそも旦那さまのいらっしゃる所からこの都のお屋敷にお手紙が届くまでには二、三ヶ月はかかりますから、お元気だというのは何ヶ月も前の情報なのです。それからがどうなっているのかは、わたしには知る(すべ)がないのです。


 次のお手紙を今か今かとお待ちしていましたが――お帰りになられる?

 まるで太鼓が入っているみたいにドクドクと高鳴る胸を押さえながら、わたしはジェシーさんの返事を待ちました。

 もう、この国には到着されたのでしょうか、それとも、まだあちらにおられるのでしょうか。

 この国にお着きなのなら、少なくとも、同じ大地の上には立っているということで、危ない場所にはいらっしゃらないということで、それだけでも胸の中がほんわりと温かくなるような、そんな感じになります。

 元気なお姿を拝見できるのは、いつのことになるのでしょうか。


 一ヶ月後だなんて言われたら、がっかりしてしまって仕事が手につかなくなりそうです。

 せめて、十日かそこらくらいなら良いのですが。


 息を詰めて耳を澄ませていたのですけれど、そんなわたしに、ジェシーさんは、いつも通りの穏やかなお顔で、こともなげにおっしゃいました。


「今日だ」


「……え?」


 耳にした答えが信じられなくて、ポカンと、開いた口が塞がらなくなったわたしに、ジェシーさんがにっこりと笑います。

「あまり早くに伝えておいて、もしも予定通りにお戻りにならなかったら、君は心配するだろう?」


 それはそうですが。

 だからと言って、今日、だなんて、少しいじわるじゃありませんか?

 戦争が終わったのだ、お帰りになられるのだ、ということくらい教えてくださっても良いと思うのです。


 そう返したくなるのを我慢してわたしがムッと唇を引き結ぶと、ジェシーさんは真面目なお顔に戻りました。でも、目は笑っています。絶対。

「まあ、とにかく。陛下へのご報告が終わり次第、旦那様は戻られる。恐らく夕方頃にはなるだろうが、食事と湯浴みの準備を整えておくように。この二年の疲れを癒していただかないと」

 そう残して、ジェシーさんは使用人ホールから出て行かれました。


 教えてくださらなかったことへの不満は残りますが――ああ、そう……二年、二年、です。二十年にも、二百年にも感じられる、二年でした。


 ようやく、お逢いできる。

 また、ご一緒できるのです。

 ずっとお傍にいて、お世話をさせていただくことができるのです。


 以前のように。


「エイミー、めっちゃ嬉しそうだねぇ」

 隣に座っているドロシーさんが、ニヤニヤしながらそう訊いてきます。


 ええ、もちろん。


「うれしいです。すごく、うれしいです」

 心の底からそう返すと、ドロシーさんは一瞬呆気に取られたような顔になって、そして今度はさっきまでとは違う、優しげな笑顔になりました。


   *


 空が赤く染まるころ。

 一足先に帰ってこられたカルロさんが、旦那さまがもう間もなくお着きになるのだという先触れをもたらして、わたしたちはみんな、玄関に勢揃いしました。

 カルロさんはゲイリーさんやデニスさんと一緒に旦那さまと戦地に赴かれたのですが、とてもお元気そうです。戻られるなりわたしをギュッと抱き締めてからパッと放すと、まじまじとわたしを見下ろしてきました。


 何だか、変なお顔をして。


 何というか、辛いと思って口にしたものが、実際には甘かった、みたいな?


「何か?」

 首をかしげて見上げると、カルロさんは片手で首の後ろを揉みながら、言いました。

「ああ、いや、まあ、そうだよな。二年経ってるもんな。えぇっと……十八になったんだっけ?」

「はい。じきに十九です」

 わたしが頷くと、カルロさんは何だか愉しげな笑いを浮かべています。

「セディ様も大変だな、こりゃ」

「大変って――どこかお怪我でも?」

 そんな考えが頭をよぎっただけで、周りの空気が薄くなったように息が苦しくなりました。


 思わず喉元に手を当てたわたしにカルロさんは慌てたようにかぶりを振って、力いっぱいわたしの懸念を吹き飛ばしました。

「いや、全然。かすり傷一つないよ。他の連中もね」

 きっぱりとした言葉に足の力が抜けそうになります。

「それなら、いいです」

 取り乱したことが少し恥ずかしくてうつむいたわたしの両肩に、カルロさんの手が置かれました。顔を上げると戦争に行く前と少しも変わらない温かな眼差しが見返してきて、カルロさんは微笑みながらわたしの身体の向きを変えさせました。


「ほら、丁度いい。自分の目で確かめてごらんよ」

 そう言ってカルロさんが指差した方向からは、ガラガラと音高く、馬車が走ってきます。

 正面に輝くその紋章は、ボールドウィン家のもので。


 わたしは無意識のうちに両手をお腹の前で組んで、ギュッと身体に押し付けました。

 馬車はみるみる近付いてきます。


 そして、停まって。


 息を呑んで見守るわたしの前で、御者台から身軽く飛び降りたゲイリーさんが扉を開けました。


 長身を折るようにして、降り立った人。

 いつもは金色の髪が、真っ赤な夕日で銅色に輝いています。


 少し、お痩せになったでしょうか。

 真っ先にそれに気付いて、わたしの鳩尾の辺りが何かに締め付けられたように痛くなりました。


 背筋を伸ばしてお立ちになった旦那さまの視線が、出迎えた使用人たちを一巡します。

 一度わたしを通り過ぎていった旦那さまの青い目がまた戻ってきて、今度はぴたりとわたしに止まりました。


 二年前よりもすっきりしたように見える頬のラインと、わたしにはあまり向けられたことのない硬い眼差しに、少し――ほんの少しだけ、ドキリとしました。

 何だか、別の方のように感じられて。


 途端、わたしの中に、何か黒い霞のようなものがふっと漂いましたが、それは、次の瞬間旦那さまの顔に浮かんだ微笑みに掻き消されました。


 温かくて明るい笑顔は、わたしが覚えているものそのままで、強張っていた肩や手から力が抜けていきました。全身に、心地良いお湯がしみ渡っていくような感じがします。


「ただいま。皆元気そうで何よりだ」

 昔と同じ声がわたしの耳を震わせて、一気に旦那さまがお帰りになったのだという実感が湧いてきました。そうして、続いて、嬉しさが、ジワジワと込み上げてきます。

 旦那さまのお姿を見ているのが精一杯で、息をするのも忘れてしまいそうでした。

「さあ、セディ様、お疲れでしょう。湯浴みの用意はさせていますから、お部屋の方へ」

「ああ、そうだな……」

 ジェシーさんに促されて歩き出した旦那さまでしたが、わたしの前で、少し足を緩めました。何かおっしゃいたげに見えたのですが、結局何もなく、そのままホールの中へと入っていかれます。


 そのお背中に向けて、わたしは囁きました。


「おかえりなさい」


 と。


 心からの気持ちを込めて。

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