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エイミーと旦那さま  作者: トウリン
『伯爵とメイドの日常』
30/60

嵐の訪れ◇サイドC

「すまぬな、本来ならば、そなたには領地に専念してもらうところなのだが……」

 見事に整えた髭を撫でながら渋面でそう言ったのは、ジョン・ロッド七世――敬愛する我が主、我が国を総べる王だ。

 堂々たる風格はその眼差し一つで他を圧するが、御年まだ三十二、僕といくつも変わらない。


 王が即位されたのは八年前。我が国がマルロゥ砦を制圧する二年前のことだ。

 もしも先代の王が存命であれば、マルロゥ砦を足掛かりに更に領土を拡げようとしていただろう。そうなれば僕は砦で戦い続けることになってエイミーを迎えに行くことはできなかっただろうし、もしかしたら、かの地で命を落としていたかもしれない。

 当時は軍の上層部が政治の実権を握っていて、即位して間もない若輩の王が老練な将軍達を牛耳ろうとするのにはかなりの困難があった筈だ。


 だが、この方はそれを成し遂げた。


 年甲斐もなく血気に逸り、これを機に隣国へ進軍しようと声高に主張する老将達の手綱を絞った。そうして、重要な拠点を制圧しながら侵攻しないという形で、隣国との間に消極的な休戦状態をもたらしたのだ。

 戦いを続けることになっていたら、たとえボールドウィン家の家長――父が命を落とし、僕がその跡を継ぐ必要があったとしても、帰っては来られなかったかもしれない。

 僕が迎えに行くことができず、小さなエイミーが孤独に孤児院で過ごしている姿を想像すると――ゾッとする。もしかしたらひどい奉公先に出されていたかもしれないし、更にもしかしたら、街角で花を売るようなことにもなっていたかもしれない。この都で、幼くして両親を失った少女の末路など、限られているのだから。

 だから、ジョン・ロッド七世は、臣下として敬畏の念を抱くだけでなく、僕個人としても大恩のある方なのだ。


「――なのだぞ、ボールドウィン」

 不意に名前を呼ばれて、僕はハッと我に返った。

 目を上げれば、ジョン王が片方の眉を持ち上げて玉座から僕を見下ろしている。

「申し訳ありません、少し他の事を考えておりました」

「そなたが隙を見せるとは珍しいな」

 主の前で呆けてしまった失態をどうにか取り繕って、僕は澄まして微笑んだ。

「家の者に、どう説明しようかと思っていたのです」

「そうだな……唯一の主が不在になるわけだからな。だが、そなたも悪い」

「はい?」

 眉をひそめた僕に、王は肩をすくめる。

「先ほども申したがな、そなたがさっさと妻を迎えていたら良かったのだ。そうすれば女主人がそなたの不在を支えてくれただろうに……唯一の直系がいつまでもふらふらしおって。何なら出征前にどこかの令嬢を娶って跡継ぎだけでも作っておくか?」

 そう言った王が、ニヤリと笑う。


 本気であれば女性を蔑むことになる発言だが、これは明らかに冗談だ。

 ジョン王は女性を軽んじる方ではないのだから。女性関係が派手だった先王とは正反対で、ジョン・ロッド七世は、それがどんな女性であっても、ただ彼女が女性であるというだけで、下にも置かない崇拝ぶりを発揮するのだ。今の言葉通りに僕が女性を跡継ぎ製造機のように扱った日には、速攻で僻地に飛ばされ二度と都に足を踏み入れることはできなくなるだろう。

 しかし、この話題になってくれたのは、ある意味僕にとって都合が良かった。


 僕は居住まいを正し、背筋を伸ばして王を見据える。

「王、一つ、私の願いを申し上げてもよろしいでしょうか」

「願い……何だ?」

「我がボールドウィン家存続の危機にも拘らず戦場に赴くのですから、戻った暁には褒美をいただきたいのです」

「褒美、と」

 そう繰り返しながら、肘掛けに頬杖をついていた王が身体を起こす。

 僕は王を見つめ、深く頷いた。

「はい」

「……良かろう。金か? 領地か? だがそなたはもう充分に持っているだろう? この上何が欲しい?」

 どことなく愉しがる響きを含んだ王の促しに、僕は小さく息を吸い込んだ。


「王と国からは何もいただきません。ただ、私があるものを手に入れる許可をいただきたいのです」

「あるもの?」

 僕は深く頷く。

「はい。私以外の者にとっては、取るに足らないものかもしれません。ですが、私にとっては何ものにも代えられない、この上なく大事な宝なのです」

「それは、どこにある? 城の宝物庫ででも見かけたのか?」

「いいえ、すでに私のすぐ近くにあります」

 僕の返事に、王は首をかしげて眉根を寄せる。


「よく解からんな。それはすでにそなたのものなのでは?」

「私の傍にあっても、私のものではないのです――今は、まだ。もしも王から許しがいただけなくても、私は諦めません。必ず手に入れます。ですが、王に『許す』とおっしゃっていただけると、色々なことが良い方向に向かいますので」

「ふうん……」

 王はまた頬杖をついて、しげしげと僕を見つめてくる。と、ニヤリと笑われた。


「まあ、良いだろう。その『宝』には、余もお目にかかれるのだろうな?」

「そうですね、私が戻ったその時には」

「では、その日を楽しみに待っておこう」

 それが謁見を終える合図になった。

 僕は深々と頭を下げ、一歩下がって振り返ると、大きな扉を押し開けた。僕にはこの後ひと仕事がある。


 屋敷の者に、僕が戦地に赴くことになったと報せる、厄介な仕事が。


   *


 僕が戦場に行くという話を皆にしてから四日が経った、日曜日。

 屋敷の中をうろついてエイミーを探したけれど、めぼしい場所を一巡しても、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。


「ああ、ジェシー、エイミーを見なかったか? どこにもいないのだが……」

 この四日間というもの、エイミーは僕を避けていた。話をしたくて引き止めようとしても、仕事が忙しいからと言って逃げられ続けていたのだ。

 だが、日曜日は休日だ。休みとしている日に、その言い訳は通用しない。だから今日こそは、と思っていたのに。


 ジェシーはチラリと僕を見て、言う。

「あの子なら出かけましたよ」

「出かけた?」

 僕は唸るように彼の言葉を繰り返した。

 この場合、それは、「逃げた」と同義ではなかろうか。


「どこに行くと言っていた?」

 エイミーが外出するなど、ほとんど初めてに近い筈だ。いや、実際に初めてかもしれない。

 イライラと足を踏みかえて尋ねた僕に、ジェシーは肩をすくめて返してくる。

「さあ……あの子のことですから、ふらふら気ままに散歩ということはないでしょうね。何か目的があって動いているだろうとは思いますが」


 目的――買い物か? いや、何か欲しい物があってもエイミーは屋敷に出入りしている御用聞きに頼んでいる。

 では、他にこの都で彼女が行きそうな場所は何処だろう?

 教会とか……

 と、ハッとある場所に思い当たる。

 そうだ、あの場所だ。それ以外に、いったいどこがあるというのだろう。


「少し出かけてくる。コートを――」

「セディ様」

 慌ただしく出て行こうとした僕を、しかし、静かなジェシーの声が引き止めた。

「何だ?」

 不慣れな都で、そして多分あの場所で、エイミーが独りでいるのかと思うと、一刻も早く彼女の傍に行きたくてたまらなくなる。

 僕は扉の近くで振り返り、ジェシーを睨み付けた。

「急ぎでなければ後でいいか? 急いでいるんだ」

 だが、彼は、そんな僕に目をすがめる。


「セディ様が考えていらっしゃることは、あの子の為になりますか?」

「どういう意味だ?」

「貴方が何を望んでおられるか、私には判っているつもりです」

「なら――」

 さっさと行かせてくれ。

 そう言おうとした僕を、彼はピシャリと封じ込める。


「『今』ではなく、『この先』のことです」

 エイミーに向ける僕の想いに、やっぱりジェシーは気付いていたのだ。当然だ。生まれた時から僕を見ている彼に、判らない筈がないだろう。

 僕はノブに置いていた手を下げ、ジェシーに身体ごと向き直る。彼の眼差しは鋭く、僕の心を見通そうとする光を帯びていた。


「エイミーは、まだ『子ども』ですよ」

「もうじき十七になる娘を『子ども』とは言わない」

 言い返した僕に、ジェシーが小さなため息を漏らす。

「年を経たから良いというわけではありません。セディ様もお気付きの筈です」

 ああ、そうだ。確かに、僕は気付いている――あの子の未熟さに。

 僕は何も返せず、押し黙るしかなかった。そんな僕に一歩近づき、ジェシーが更に続ける。


「確かに、以前私はセディ様の幸せが大事だと申し上げました。ですが、エイミーの幸せも無視することはできないのですよ。彼女と離れることになって貴方が焦りを覚えていらっしゃるのは判ります。ですが、権力や手管に任せて彼女が何も判らぬうちに事を運ぶのは、看過できません。ましてや、この状況で貴方が望むことに、エイミーは否とは言えないでしょう。エイミーがどう感じているのか……少なくとも私の目の黒いうちは、そこのところを充分に見極めさせていただきます」

 ジェシーの言葉に、僕はムッと唇を引き結ぶ。と、彼は微かに表情を和らげた。


「あの子の気持ちが貴方に追い付くのを、待っておあげなさい。あの子も少しずつ気付き始めているようですが……まだ、幼いのです」

 僕は、その言葉には何も返さなかった。見据えてくるジェシーから目を逸らし、また扉へと向き直る。


「とにかく、エイミーを迎えに行ってくる」

 そう告げて、振り返ることなく部屋を後にした。


   *


 馬車の中は僕一人だった。外にも、手綱を握る馭者がいるだけ。

 いつも外出にはフットマンの二人を連れて行くのだが、今日は置いてきた。残るように言われたカルロとゲイリーは互いに顔を見合わせたが、結局何も言わずに頭を下げて僕を送り出したのだ。


 馬車に揺られる僕の頭の中で、ジェシーの言葉がグルグルと繰り返される。


 彼女の幸せ。

 もちろん、僕もそれを願っている。


 彼女は幼い。

 その通り、あの子は男と女の間に生じるものなど何一つ知りはしないだろう。

 だが、僕が遠くにいる何年かの間に、エイミーはきっと花開いてしまう。そんな彼女に誰かが目を留め、僕がいない間に彼女はその誰かのものになってしまうのだ。


 もしも、そうなったら。

 たとえ戦場から生きて帰れたとしても、エイミーが他の男の腕に抱かれている姿を見た瞬間に、僕は地獄に叩き込まれてしまうだろう。


 そうなる前に、彼女を手に入れておかなければ。

 そうした上で、必ず幸せにする。きっと、僕以上にエイミーを幸せにしたいと思う者はいない筈だ。

 選択肢を提示しなくても、与えた道が最上のものであれば、それでいいではないか。


 僕がきつく拳を握り込んだところで、馬車が止まった。

「旦那様、着きました」

 外から声がかかり、扉が開かれる。

「ああ、ありがとう」

 馬車から降りながら、チラリと空を見上げた。鈍色の空からは、じきに白いものがちらつき始めるだろう。あまり長居はできなそうだ。

「ここで待っていてくれ」

「わかりました」

 深々と頭を下げる馭者を残して、僕は足を進める。


 ずらりと並んだ、冷たい石の群れ。

 僕が訪れた場所は、墓地だった。

 キンと冷たい空気が頬を刺し、僕はコートの襟を立てる。

 随分と冷え込んでいるが、エイミーはちゃんと温かい格好をしてきたのだろうか。着ているとしたら、いつもの赤いマントだろう。


 冬の最中の墓地には、灰と、黒と、白しかない。その中に赤が交じれば、きっと目立つはずだ。もっとも、この広い敷地の中で彼女が居るだろう場所は判っているから、色彩を目印にする必要もないのだが。

 エイミーがいる筈の場所は墓地の中でも奥の方で、僕は霜の降りた土を一歩一歩踏みしめる。


 ――ああ、いた。


 仲睦まじく寄り添って並んだ墓石の前にしゃがみこんでいる、その姿。

 それはとても小さくて、目にした途端、僕の胸が痛いほどに締め付けられた。

 僕は足音を忍ばせてもう少し近付くと、彼女たちの近くに根を張る大きな樫の木の陰に身を潜ませる。


 しばらくは、静けさだけがあった。

 エイミーがたてる微かな衣擦れと墓石をこする音だけが時折聞こえてくる。

 僕が知る限り、彼女がここに来るのは父親を埋葬した時以来初めての筈だ。

 何故、エイミーが今までここに来なかったのか、僕には判らない。

 もしかしたら、父親の死を受け入れられなかったからかもしれない。


 では、何故今ここにいるのか。

 それはきっと、僕のせいだろう。僕が彼女を不安にさせたからだ。僕の言葉が父親の死を思い出させたからだ。


 目を閉じて、一度エイミーの姿を隠す。彼女にそんな思いを味合わせてしまったことが、辛かった。

 と、視界を封じて敏感になった僕の耳に、小さな呟きが忍び込んでくる。


「旦那さまが、行ってしまわれるんです」

 途方に暮れた子どもの声。

 目蓋を上げてみれば、エイミーはさらに小さく体を丸めていた。

「旦那さまは、ひどいです」

 続く、僕を責める言葉。

 だが、言葉は咎めるものでも、声は違う。頼りないその声は、勘違いや希望的観測ではなく、僕を求めていた。


「ウソつき」

 震えを帯びた囁き。

 彼女が何に対してそう言っているのか、判らない筈がない。


 違う。僕は嘘をつかない。

 声を大にしてそう言ってやりたくて、喉が疼く。


 もう、隠れてはいられなかった。


 クレイグの墓前にいるというのに、今の僕の胸の中には彼に対する罪悪感は一欠片も無い。それを遥かに凌駕するエイミーに対する愛おしさで、埋め尽くされていたから。

 エイミーを抱き締めたい。傍に行って包み込んで安心させてやりたかった。

 その想いが募った僕は、気付かぬうちに動いていた。


「誰がだい?」

 そっと声をかけながら、静かに足を踏み出す。

 座り込んだままパッとエイミーが振り返り、目を丸くして僕を見上げてくる。


「だん――」

 エイミーが短い一言を口に出しきらないうちに三歩で彼女の元に行くと、腕を取って引き上げた。腕を掴んだだけでもその身体が冷え切っていることが感じられて、有無を言わさず彼女を僕のコートで包み込む。


 やっぱり――

「冷たい」

 無意識のうちにポツリとこぼれる。


「すみません」

 そう言って離れようとしたエイミーの華奢な身体を、より一層引き寄せた。こんなに細くては、骨まで冷え切っているに違いない。

「いいから、ジッとして」

 少し頭を下げて、エイミーの耳元でそう言い含める。細い肩が強張ったのはほんの一瞬のこと、すぐに僕の腕の中の身体から力が抜けたのが感じられた。目を閉じ、ただ、彼女を感じる。

 柔らかくなったエイミーは、まるで僕の為に作られたかのように、僕の胸にぴったりと寄り添った。けれど、どれだけきつく抱き締めても、何かが足りない気がしてならない。


 胸元で、彼女が小さな吐息をこぼす。

 それは上着もシャツも通り抜けて、僕の中に浸みこんでくるようだった。

 僕は目を開け、すぐ足もとにある墓石を見つめる。


 エイミーの父親。

 僕の命の恩人。僕が死なせた男。


「君のお父さんは、とても勇敢な人だったんだ」

 僕の呟きに、エイミーの肩がピクリと震える。微かに凝ったその背中を、僕は宥めるようにそっと撫で下ろした。

 彼女の頭に顎をのせて、墓から目を逸らすことなく言葉を紡ぐ。

「僕は、卑怯者になっても、臆病者になってでも、君との約束を守るよ」

 囁きと共に丸い頭の天辺に唇を押し当てる。

「僕は絶対に死なない。絶対に帰ってきて、これまでと同じように君の傍にいる――い続ける」

 そう断言して、僕は静かにエイミーの肩に手を置き、少しだけ身体を離した。彼女の目を覗き込みながら、言う――乞う。


「だから、君に待っていて欲しい。一年か、二年か――五年か。どれくらいかかるのか判らないけれど、君がいる場所に必ず戻る。君との約束を守る為に」


 ――そして、何より、僕が君の傍にいたいから。


 僕の言葉を、エイミーは瞬き一つせずに大きな目で見上げながら聴いていた。その眼差しにあるのは、無垢と完全な信頼。子どもが父を、妹が兄を慕うような、安心しきった色。

 それは僕が望むものとは違うけれど、ひたむきに僕を慕ってくれているのがヒシヒシと伝わってくる。

 ふっくらとしたその唇にキスをしたくてたまらない衝動を、辛うじてこらえた。


 確かに、エイミーは幼いのだ。

 ジェシーの言うとおり、今のエイミーに僕の想いをぶつけても、きっと戸惑い、持て余し、怯えさせてしまうだろう。どさくさに紛れて慌てて手に入れたとしても、それは本当に彼女が僕のものになったということにはならない。


 ――帰ってきたら、全てを始めよう。

 だから、必ず帰るのだ。


 エイミーを幸せにする為に、そして僕が幸せになる為に。


 僕は両手でエイミーの頬を包み込み、かすめるようなキスを額に落とす。


 そうしてまた彼女の身体に腕を回し、この胸に溢れる想いの全てを込めて、抱き締めた。

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