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エイミーと旦那さま  作者: トウリン
『伯爵とメイドの日常』
16/60

密猟者◇サイドC

 『迎え』である猟犬ジャックに従って森の中を進み、丸一日。

 先に密猟者たちを追跡しているアドルフの元へ、彼の忠実なブルマスティフが案内してくれる筈だったが、この一日をかけても彼には追い付けなかった。

 密猟者たちはずいぶん森の奥へと足を踏み入れているようだ。きっと、我が物顔であちこち歩き回っているに違いない。


 馬上で木の枝の間から空を見やると、もう太陽の姿はなく、燃えるような赤に色付いていた。

 秋の陽は山陰に入り始めると、あっという間に沈んでしまう。

 じきに足元もおぼつかなくなるだろう。暗闇でも進めないことは無いが、そこまで強行軍を通す必要はない。


「もう陽も落ちる。この辺りで野営しよう」

 ちょうど火が起こせそうなひらけた場所で、そう提案して馬を止めた。僕が馬から降りると、他の者もそれに倣う。


「じゃあ、カルロは薪になりそうな枝を集めてきてくれ。少し西の方に行くと川がある筈だから、ゲイリーは水を。デニスは夕食の準備だ」


 仕事を割り振ると、皆即座に動き出す。

 じきに準備は整い、火を囲んでの夕餉が始まった。


 固く焼きしめたパンと干し肉とドライフルーツで、ワインを片手に舌鼓を打つ。

 長いことナイフとフォークを手にした上品な料理ばかりだったから、こういう食事は久し振りだ。

 デニスの給仕で食後のコーヒーまでこぎつけて、何となく空気が緩む。

 それまでは必要最低限の会話だけだったのだが、気分と共に口も緩んできたのか、カルロが沈黙を破った。


「密猟者って、どこから来た連中ですかねぇ」

 彼の問いに、僕はこの夏にジェシーから受けた報告を思い出しながら答えた。

「今年の夏は北の方で天候が今一つで秋の収穫が落ち込んだらしいから、恐らく、そちらからの流れ者だろう」

 幸い、僕の領地内ではそれほど被害はなかったが、それでも多少の対応は必要だった。

「すんなり降参してくれるといいんですけどねぇ。ボクはあまり荒事は向いていないので」

 ため息混じりに言ったのは、ゲイリーだ。それにカルロが反応する。

「はあ? お前の銃の腕前でか?」

「性格的に、だよ」

「いやいや、何をおっしゃる」

「ボクは虫も殺せない男だよ?」

「虫は殺せなくても悪魔は捻り潰せるだろ……」

「そうだね、ちょうど目の前に堕落と色欲の悪魔がいるから捻り潰して見せようか」

 優しく穏やかな生温いゲイリーの微笑みに、カルロの顔が引きつる。と思ったら、唐突にこちらに振り返った。


「そう言えば、エイミー泣きそうでしたね」

 どこが「そう言えば」なのか。何の脈絡もない。

 だが、ゲイリーの気を逸らす役には立ったようで、彼も眉をひそめて頷いた。

「あの子、ずいぶん心配そうにしていましたが、大丈夫でしょうか」

 ゲイリーの台詞で、脳裏に刻まれていた別れ際のエイミーの眼差しが鮮明に浮かび上がってくる。


 もっと、何か言ってあげれば良かったのだろうか。

 だが、たかが密猟者を追うだけの事、こちらの面子は選りすぐりの者ばかりで、さしたる危険もないのだ。ことさら大仰な言葉をかける必要はないと、あの時は思ってしまった。


 普段しっかりしている子だから、何の問題もなく笑って――は無理か、とにかくすんなりと送り出してくれると思ったのだ。


 けれど、彼女の眼は予想外に揺れていて。


 あの子の不安を、もう少し汲み取ってあげれば良かった。

 そんな後悔が胸を刺す。


 もっと、この腕で抱き締めて「大丈夫だ」と囁いてやれていたら――


「まあ、早く帰って無事な姿を見せてあげるしかないですよね」

 カルロの単純でもっともな台詞に、僕はハッと我に返った。その瞬間、胸の中の疼くような何かが霧散する。

「そうだな。早いところ、ケリを着けよう。明日も早いし、そろそろ休むか」

「じゃあ、俺、ゲイリー、デニスの順で火の番をしますよ」

「頼む」

 そう言って外套に包まって横にはなってみたものの、月が中空にかかり、それが枝の陰に消えていっても、眠りの精はなかなか訪れてはくれなかった。


   *


 アドルフに合流できたのは、結局、翌々日の昼頃の事だった。

 主人の臭いを追いながら一散に駆けていたジャックの脚がピタリと止まったかと思うとその場に座り込む。

 僕たちも馬を止めて待っていると、しばらくして木の間から彼が姿を現した。


 馬を降りた僕たちを目顔で促してアドルフは切り立った崖へと連れて行き、遥か下方を指差す。

「彼らはあそこ――あの岩の辺りにいます。見えますか? ちょうど昼飯の用意をしているようですが」

 目を凝らせば、三人の男がうろうろとしているのが見て取れた。

「三手に別れて囲むか。僕とデニスはこのまま正面から近付こう。アドルフは右手、カルロとゲイリーは左手から行ってくれ。合図をしたら、同時に出るぞ」

 僕の指示に一同が頷く。三人は即座に動き、じきにその姿は木々の間に消えていった。それを見届けて、僕もデニスに振り返る。


「じゃあ、もう少し彼らに近付こうか」

 寡黙なヴァレットは無言で頷くと、銃を抱え直した。彼には医療の心得があり、万が一の時の応急処置の為に来てもらったのだが、小銃の腕も確かなのだ。


 デニスを従えて、足音と気配を忍ばせて密猟者たちに近付く。彼らは本当に素人らしくて、まったく警戒していない。会話が聞き取れるほどまで行っても、さっぱり気付いた様子はなかった。

 漏れ聞こえてくる範囲では、やはり彼らは北方からの流入者で、自分達の土地で思ったように収穫があがらなかった為に食いはぐれ、密猟に手を出したようだった。だが、事情があっても不正行為を見過ごすわけにはいかない。


 頃合いを見計らって、鋭く口笛を鳴らす。と、同時に、僕とデニス、カルロとゲイリーそしてアドルフが、三方向から彼らに銃を突きつけた。

 自分達を狙う五つの銃口と、仔牛ほどもあるのではなかろうかと思わせるほどの大きさをした地獄の番犬のような犬の唸り声に、密猟者たちは中腰だったり皿を手にしたりという格好のまま、凍り付く。


「やあ、私はセドリック・ボールドウィン。ここらを治めている者だけど、君たちはどなたかな?」

 軽快に笑い掛けても、彼らは目を丸くしたまま微動だにしない。純朴な顔からすっかり血の気が引いているのを目にすると少々気の毒になった。

 デニスに彼らの武器を回収させてから、僕たちも銃を下ろす。

 密猟者たち三人を一列に並べて座らせ、僕はその前に立った。彼らの怯えっぷりでは、縄をかける必要はないだろう。縛ってしまえば、連れて帰るのも厄介だ。問答無用で処分してしまうことも可能だが、ここは北の地を治める領主に引き渡すのが妥当な線だろう。


「じゃあ、帰るとしようか。私とデニスが先頭に立つよ。ああ、先に言っておくが、逃げ出したら警告なしで撃つからね?」

 にこやかにそう告げると、密漁者たちの顔が心持ち引きつった。

 多分、逃げ出そうとするような度胸は持っていないだろう。

 その予想の通り、帰路は平穏なものだった。

 間に彼らを挟んで屋敷に戻る頃には、皆に見送られて出発してから六日が過ぎていた。捕まえる手間は大したことはなかったが、予想外に時間を食ってしまった。


「戻ったよ」

 玄関の扉を押し開け、そう声をかけるよりも先に、待ちわびたように屋敷中から続々と皆が集まってくる。

「セドリック様、ようやくお戻りですか!」

 顔を輝かせてやってきたのは、バトラーのフランクだ。次いで、マーゴや……普段はキッチンから出てこようとしないジーンまで姿を現す。


「遅くなってすまない」

「いいえ、ご無事で何よりです。お怪我などは?」

「全然」

「それは良かった」

 心の底から安堵した、と言わんばかりのフランクに、三人の『お客』を示した。

「彼らを移送する手配をしておいてくれ。北のアシュレイ伯の土地の者らしい」

「判りました。直ちに」

 フランクは一礼すると身を翻しててきぱきと指示を出し始める。三人組は、取り敢えず地下の牢屋に滞在してもらうことになるだろう。


 ホッと一息つき、周りを見回すと――あの子がいた。

「やあ、エイミー、ただいま」

 そう、笑い掛ける。


 と。


「エイミー!?」

 仰天して、思わず彼女に駆け寄った。

 目の前に立った僕を、エイミーは大きな栗色の目からほろほろと涙を溢れさせながら見上げてくる。


 彼女の涙なんて、今まで見たことがなかった。父親の葬儀の時には、青白い頬で大きく目を見開いて、瞬きもせずにいたのだ。

 あの時のエイミーも痛々しかったが、今、僕の前で大粒の涙をこぼしている彼女には息が止まりそうになる。まるで、心臓を冷たい手で掴まれたかのようで。


「エイミー……」

 名前を口にしても、どうしたらいいのか、途方に暮れる。


 女性の涙は、これまでにもたくさん見てきた。貴婦人たちは皆、この上なく美しく頬を濡らす。彼女たちのそれは手練手管の一つのようなもので、むしろ楽しみの為のスパイスのようなものだ。彼女たちを彩る宝石のうちの一つのような気分で、眺められる。


 けれど、エイミーの涙は、見たくなかった。

 断じて。


 何か考える余裕もなく、僕の手は彼女を捉えて引き寄せる。抱き締めて、幼い子どもにするようにそっと揺らした。そうして、彼女の頭の上に顎をのせて囁く。


「エイミー、泣かないで」

 そうやって包み込んでやっても、エイミーはしがみ付いてくるでもなく、大声を上げて泣くでもなく、ただ、僕の腕の中で立ち竦んでいた。彼女自身、どうしていいのか判らないというふうに。


 ――とにかく、この涙を止めてくれ。

 殆ど神に祈るように、胸の中で呻いた。


 それが通じたのかどうなのか。

 僕よりも少し温度の高いエイミーの身体の熱がすっかり僕にしみ込んだ頃、消え入りそうな声で彼女が囁く。


「また、置いていかれてしまったのかと思いました」

 それは、多分、僕にしか届いていないだろう。


 ――また? 置いていかれた?


 僕は眉をひそめ――その言葉の意味するところを理解した瞬間、胸に無数の針が突き刺さった。

 ああ、『彼』だって、大事な、己の命よりも愛おしんだ娘を独りきりで残していきたくはなかっただろう。きっと、この温もりの元に帰ってきたいと思っていた筈だ。


 エイミーを抱きしめたまま、僕は奥歯を軋らせる。

 彼女の身体は華奢で、それなのに柔らかくて温かくて心地良くて。

 エイミーから『彼』を奪った僕が、『彼』からこの優しい温もりを奪った僕が、こんなふうに彼女に触れていていいはずがない。

 だが、そう思っていても、僕はエイミーを解放できなかった。


「僕は、君を置いていったりはしないよ。ちゃんと、傍にいるから」

 僕にその権利はないかもしれないけれど、君がそれを望んでくれる限りは、そうしよう。

 こっそりと、そう付け足した。

 二度と彼女に何かを失わせたくない。心の底からそう思う。

 僕の言葉にも、エイミーは、やっぱり佇んでいるだけだ。行き場を失った幼子さながらの彼女を、僕は放すことができなかった。


 ――腕を解けない理由は、お前の中にもあるのではないのか?


 そんな、嘲るような声が頭の中に響いて、僕は微かにたじろぐ。揶揄する囁きは聞こえなかったふりをして、胸の奥底へと押しやった。

 今はこうやって僕の胸の中に留まってくれているけれど、いずれ、エイミーは僕の元から羽ばたいていく。その時置いていかれるのは、僕の方なのだ。


 僕は『その時』を望んでいるし、『その時』が来たら笑って彼女を送り出す。きっと、そうする。


 ――本当に?


 また聞こえた自嘲の声に、彼女を抱き締める僕の腕に力が入った。


 うるさい。


 僕は僕の中に住む誰か――何かに、そう罵りの声をぶつける。

 そうして、やがてエイミーから「放していただけませんか」といつも通りの彼女の声で言われるまで、ただ黙ってその小さな身体を包み込んでいた。

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