密猟者◇サイドA
アドルフさんが暮らす森の小屋へのお使いから戻った後のこと。
旦那さまとわたしが着いて早々にお屋敷の中は騒がしくなって、みんながバタバタと駆けまわり始めました。
いったい、何事でしょう。
まさか、今からタウンハウスに戻るとか?
まさか、ですよね。
「どうしたんですか?」
身支度を整えて同じハウスメイドのドロシーさんを捕まえて訊くと、彼女は不安そうに眉をひそめました。
「あのね、密猟者を捜しに行くんですって」
「密猟者?」
「そう。いやよね、銃とか持ってるんだわ、きっと」
声を潜ませて、身震いして。
「迎えが来次第出発なさるっておっしゃってるから、早く準備しないとなのよ」
それだけ言うと、ドロシーさんは、また慌ただしく小走りで行ってしまいました。本当に、忙しそうに。
ドロシーさんの言葉に、聞き流していた昨晩のアドルフさんと旦那さまとのお話が耳に戻ってきます。確か、侵入者が三人と……
なんだか、胸がドキドキしてきました。
何人で行かれるおつもりなのでしょう。アドルフさんとカルロさんとゲイリーさん? みなさんお強いですが、『密猟者』というからには、ドロシーさんがおっしゃっていたように、きっと銃を持っているに違いありません。
もしかして、旦那さまも行かれるのでしょうか。
まさか、行かれませんよね?
旦那さまはいつも穏やかで、キレイで上品な格好をされていて、いわゆる、『優男』です。荒っぽいことなんて、全然お似合いになりません。
きっと、アドルフさんたちが戻られるのを、ここでお待ちになるんですよね?
そんなふうに自分に質問して自分で答えて、わたしの頭の中はバカみたいに空回りするだけになってしまいました。支度を手伝わないといけないと思うのに、身体が動きません。
「早く、マーゴさんのところに行かないと」
声に出して言うと少し頭が切り替わって、固まっていた脚が動くようになりました。一歩を踏み出した後は走れるようにもなって、わたしはマーゴさんを捜して、まずはキッチンに向かいました。
「おや、エイミー、昨日は大変だったね」
キッチンにいたのはコックのジーンさんとキッチンメイドのハナさんだけです。中を覗いたわたしに声をかけてくれたのはハナさんのほうでした。
「マーゴさんはどちらに?」
「ああ、多分ホールじゃないかな。そろそろ旦那さまたちが出発するから」
「……旦那さまも行かれるのですか?」
「そう聞いてるよ? ……顔色悪いけど、大丈夫かい?」
「だいじょうぶ、です」
心配そうに首をかしげたハナさんにはそう返しましたが、わたしの頭の中は真っ白で、あまりよく回りません。
「ホールに、行ってみます」
「あ、じゃあ、これを持っていってよ。日持ちのするものを詰め込んであるから」
そう言ってハナさんから渡された籠に入っているのは、五つの包み。
ということは、五人、行かれるということです。一つ一つも結構大きくて、三日か四日か……それ以上分はあるのではないでしょうか。
「失礼します」
呟くようにそう残して、わたしはキッチンを後にしてホールに向かいました。
何で、こんなにドキドキするのでしょう。
わたしがお屋敷に引き取られてから六年間。
旦那さまが大きな声を出したり、誰かを傷付けたりするところなんて、見たことがありません。そんな方なのに、森の中で悪い人を追い掛けたりすることなんて、できるのでしょうか。
……絶対、ムリです。ムリですから、行って欲しくありません。
ホールに着くと、大勢の人が集まっていました。
その隙間に旦那さまのお姿が見えて――一瞬、どきりとしました。
狩猟服と、猟銃。
これも、今まで見たことのない旦那さま、です。
「ああ、エイミー」
立ち止まったわたしに、旦那さまがお気付きになりました。いつもと変わらない笑顔で、わたしを手招きされます。何となくうまく動かない足で、ぎくしゃくとそちらに近寄りました。
「ハナさんが、これを……」
キッチンで受け取った物を差し出すと、旦那さまはニッコリと笑いかけて――ふと眉をひそめてわたしを見下ろしてきました。
「大丈夫かい?」
「え?」
「何だか、難し顔をしているよ」
「そう、ですか?」
カルロさんが荷物を受け取ってくださって、空いた両手で自分の頬を触ってみましたが、別にいつもと変わりない気がします。
旦那さまはそんなわたしを見つめていらっしゃいましたが、何かに気付いたようにお顔から笑みを消しました。そして、少し困った感じで微かに頭をかしげます。
「心配しなくても大丈夫だ。アドルフたちは強いしね、僕も、こう見えてそこそこできるんだよ。兵士だったこともあることだし。怪我をした時の為にデニスも連れて行くよ」
怪我。
その一言に、頭の天辺から足の先に何かがスッと落ちていくような感じになりました。
途端、旦那さまがハッと顔色を変えて手を差し伸べてこられましたが、わたしが一歩後ろに下がったので、その手がわたしに触れることは、結局ありませんでした。
「エイミー……」
旦那さまがわたしの名前を口にされましたが、その声は、どこか苦しげです。それから、いつもとは少し違う、どこか作ったような笑顔になりました。
「僕はちゃんと帰ってくるよ。すぐにね」
その台詞は、前にも聞かされたことがあります。
その時そう言ったのは、わたしがこの世で一番大事に想っている人で、そして、その人は約束を守ってはくれませんでした。だからわたしは独りぼっちになって、このお屋敷に来たのです。
何かを言いたいのに言えなくて。
頭と胸の中が、モヤモヤします。
わたしは何か変なことを口走ってしまわないように、きつく唇を噛み締めました。
「エイミー」
もう一度、旦那さまがわたしをお呼びになりました。その声は、どこか窺うような響きがあって。
きっと、わたしは変な顔になっているに違いありません。
笑顔です。
そう、こんな時にこそ、笑顔で見送って差し上げないと。
そう思ったのに、わたしの顔の筋肉は、ピクリとも動いてくれませんでした。
焦れば焦るほど、強張っていく感じです。と、その時、玄関の扉の外から、犬の吠え声が聞こえてきました。
「お迎えだ」
旦那さまが扉の方を振り返って、そう呟きました。そうしてわたしをジッと見つめると、いつになく真剣な目で、もう一度繰り返されます。
「絶対に、帰ってくるからね」
そうおっしゃいながら旦那さまは手を上げて、そっとかすめるようにわたしの頬に触れられました。いえ、もしかしたら届いていないかもしれません。そこには、ムズムズする、くすぐったい感触が残っているだけですから。
――早く帰って来てね。
前にわたしに無事に戻ってくると約束した人には、そうお願いしました。
今も、あの時と同じ。
早く、無事に、絶対、帰ってきて欲しい。
頭の中ではグルグルそんな願いが走り回っていたけれど、どうしてか、あの時と同じ言葉を、口にすることはできませんでした。
わたしが押し黙ったままでいると、旦那さまはわたしから視線を外して他の皆さんをグルリと見回しました。
「じゃあ、留守を頼む」
「お任せください。お気を付けて」
そう答えたのはバトラーのフランクさんで、その場にいる全員が頷きました。
旦那さま方が出て行かれて、扉が音を立てて閉まります。それを合図に、マーゴさんが大きな声で言い渡しました。
「さあ、仕事仕事!」
パン、パンと手を叩く音で、条件反射のようにわたしの背に力が入ります。
そうですね、お仕事をしていれば、一日なんてあっという間に過ぎていきます。本当に、あっという間に帰って来られるに違いありません。
けれど。
――三日経ち、四日経っても、旦那さま方のお姿が玄関の扉をくぐることはなかったのです。