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エイミーと旦那さま  作者: トウリン
『伯爵とメイドの日常』
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一日の始まり◇サイドA

 わたしの名前は、エイミー・メイヤー、ボールドウィン伯爵邸のハウスメイドです。

 このお屋敷に連れてきてもらったのは、十歳の時でした。それから六年間お勤めして、今年で十六歳になります。


 ハウスメイドのお仕事は、お屋敷の中をちゃんとした状態に保つこと。寒い冬の日は、家じゅうの暖炉に火を入れるのも、わたしたちの役目。部屋を暖めて、カーテンを開けて、わたしたちが動き出すのと同時に、お屋敷の中が目覚めるのです。


 お屋敷の中が明るくなったら、今度は旦那さまを起こしに行くのだけれど。


 ……実は、これが一番手間も時間もかかるのです。


「旦那さま、おはようございます」

 お部屋に入って戸口の所でいちおう声はかけてみますけど、もちろん返事はありません。だって、お休み中ですもの。

 窓際に歩み寄ってカーテンを開けると、部屋の中が気持ちのいい朝日でいっぱいになります。

 わたしだったら、これだけでも目が覚めてしまいますが、旦那さまは一筋縄ではいきません。いつも、シーツをスッポリ頭から被ってしまうのです。


 まずは、もう一度繰り返します。


「旦那さま、おはようございます」

 ――やっぱり、お返事はありません。

 本当は、使用人というものは、旦那さま方の視界に入ってはいけないらしいです。中には、奥さまや旦那さまがお通りになる時には壁に向かって立って、顔を伏せていなくちゃいけないお屋敷もあると、聞いたことがあります。そういうお屋敷では、ご主人さまにお声をかけたり、ましてや触れたりなど、決して許されないことなのだそうです。


 でも、このお屋敷ではそんなことはありません。

 ハウススチュワードのジェシーさんからも、必ず旦那さまをお起こしするように厳命されていますから、なんとしてでもお目覚めいただかなければ。


 声だけで効果がなかったら、今度は行動に移ります。

「旦那さま、起きてください。朝です」

 盛り上がったシーツの、多分、旦那さまの肩だと思われる山を、ゆさゆさと揺すります。

「……もう少し……」

 声が出たということは、目が覚めているということです。もうひと押しです。

「朝ご飯ができてます。冷めちゃいますから、早く食べてください」

「……どうして君は、そう色気がないんだい? 『セディ、起きて、お願い』って耳元で囁いてごらん?」

 シーツの下から、もごもごと返事がありました。


 ――起きてらっしゃるじゃないですか。


「シーツを被っていらっしゃるので、耳元がどこか判りません。旦那さま、目が開いたなら、起き上がってください。また眠くなってしまいますよ?」

「……そんな起こし方じゃ、やる気が出ない」

 まるで駄々っ子です。街だったら、五歳の子の方が、まだちゃんとしています。

 わたしも暇ではありません。百以上も部屋があるこのカントリーハウスのお掃除をしなければならないのですから。これもいつもの流れですが、シーツを握って、えいやっと引っぺがします。


 最初に目に飛び込んでくるのは、窓から差し込む朝日を受けて輝く金色です。

 わたしは髪も目も栗色ですが、旦那さまはものすごくキラキラな、お日さまのような金髪なのです。


 シーツを剥がされて、旦那さまはまぶしそうに眉をしかめながら、目を開けました。

 それはとても深い青い色で、いつ見ても、宝石みたいで。

 つい、まじまじと見入ってしまいます。


「やあ、エイミー」

 わたしと目が合って、旦那さまはにっこりと微笑まれました。

「お目覚めになりましたか?」

 そうお訊ねすると、旦那さまは少し変な顔をされて、わたしが剥がしたシーツを肩のあたりまで引き上げました。


 何も着ていらっしゃらないから、少しお寒かったのかもしれません。

 でも、寒いくらいの方が頭は早くすっきりするでしょう?


 と、旦那さまが少しお困りになったようなお顔をされています。

「……君のそういうところを可愛いと思うけど、僕はいい年をした男で、君はうら若き乙女なんだよ? もう少し、恥ずかしいとか思ってもいいんじゃないのかい?」


 何をいまさら。


「子どもの頃からしていることですから。でも、そろそろ寒くなってきましたから、パジャマをお召しになって休まれた方がいいと思いますよ? 風邪をひきます」

 わたしがごくごく当たり前のことを提案すると、何故か旦那さまはため息をつきました。

「では、お目覚めになったようなので、わたしは失礼させていただきます」

 頭を一つ下げてその場を後にしようとしましたが、ツン、とエプロンの裾が何かに引っかかりました。

 引っかかるものなど、何も無いはずなのに。

 振り返って見下ろすと、予想通り、旦那さまの手がそこにありました。


「……旦那さま……?」

 眉をひそめたわたしに、柔らかい、何というか――バターが溶けるような微笑みが返ってきます。

「何でしょう? 何か他にご用でも?」

 早く他のお部屋の掃除に取り掛かりたいのに、と思いながらお尋ねしました。

 きっと、また、あまりたいした用ではないのです。旦那さまは、わたしが忙しい時ほど、庭から薔薇を一輪取ってきて欲しいとか、コーヒーを持って来させて飲み終わるまで座って待っていて欲しいとか、おっしゃるのです。


 旦那さまは少し考えるような素振りをしてから、小さく首をかしげました。

「エイミーは十六になったんだろう?」

「はい」

 こくりと頷くと、旦那さまは手を動かして、持ったままだったエプロンの裾を口元に運ばれました。


 ――いったい、何をなさりたいのでしょう?


 旦那さまがおふざけになってわたしのお仕事の邪魔をなさるのは、もう日常茶飯事ではあるのですが。

 眉をひそめるわたしとは裏腹に、旦那さまはにっこりと笑顔です。

「十六なら、もう少し違う起こし方を覚えてもいいんじゃないかな」

「違う起こし方?」

「そう。男を気分良く目覚めさせる方法を教えてあげるよ」

 寝起きの悪い旦那さまをお起こしするのに、良い方法があるというのでしょうか?

 それは、ぜひとも知りたいところです。


「それをしたなら一分でベッドから出てくださいますか?」

 だったらとても助かります。

 わたしが聴く気を見せると、旦那さまはまたふわりと微笑んで、今度はわたしの手を取りました。それを、エプロンの時と同じように唇に寄せ、そのままわたしを見上げてきます。

「それは無理かな。多分、少なくとも三十分は必要だ」


 ――さんじゅっぷん。


「では結構です」

 即答したわたしに、旦那さまは何かを誘いかけるような笑みを向けてきます。

「今後の役に立つよ? きっと、どんな男だって一発だ」

 わたしはこっそりため息をつきました。

 三十分だなんて、いつもとたいして変わらないではないですか。

 全然実用的ではありません。


 それに。


「わたしがお起こしするのは旦那さまだけです」

 だから、他の方がどうとかは、どうでもいいことです。


「……僕だけ?」

「はい」

 他に、誰がいるというのでしょう?

「わたしがお仕えするのは旦那さまだけなのですから、旦那さまに対して役に立つ方法があったら教えてください」

 旦那さまは何もおっしゃいません。

 というよりも、固まっていらっしゃるようにも見えますが。


 わたしは旦那さまの手の中から自分の手を引き抜いて、もう捕まらないように一歩後ずさりました。

「とにかく、ジェシーさんが書斎でお待ちになっていますから、早く起きてくださいね?」

 最後にもう一度念押しをして、わたしは次のお仕事に移ることにします。


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