98
----------------------------------------------------------------
リアルババ抜き 10
「よお。この間はどうも」
僕は河井に笑いかけた。
そして、奴に近寄ろうとしてふらつく。
「おい、大丈夫か?」
河井が僕に手を差し出した。
「お前、めちゃくちゃ顔色悪いぞ。熱でもあるんじゃないのか?」
しかし、僕はその手を払いのけると、
「土曜に一人で仕事かよ。情けねえな」
と嘲笑ってやった。
「本当は、他の人も来るはずだったんだ。でも、出勤してみたら俺一人だった」
その言葉に、僕は吹き出す。
「だっせえの。ハブられてんじゃねえよ」
「うるさいな。主任クラスの人は来てるよ。今、下の溶鉱炉のメンテナンスしてる」
「溶鉱炉?」
言われて僕は柵の下を覗き込んだ。確かに、下のフロアには何人かの人が居て、ダクトを開いてなにやら作業をしていた。真下を見れば銀色の釜が口を開いているのが見える。吸い込まれたくなるような気持ちになる。けど、まだだ。まだ、その時じゃない。
僕は河井に尋ねた。
「で、お前はここで何をしてるんだ?」
「午後からこっちのメンテもやるっていうから、構内の片づけとかしてたんだよ」
「1人で?」
「ああ。1人で」
それを聞いて、僕はもう一度吹き出す。やらされてるんじゃねーよ。
「お前こそ、何しにきたんだよ」
「僕か? 僕は……」
何をしに来たんだろう?
「僕は……そうだ。終わらせに来たんだよ」
「はあ?」
河井が訝しげな顔をした。
「何言ってるの?」
「頭大丈夫か? って思ってるんだろう? でも僕は正気だよ。ただ、なにもかもにうんざりしてるだけで」
「そんなん、誰だって少なからずうんざりしてるだろう。俺だって、いいかげんこの仕事にうんざりしてるさ」
「ふふ」
僕は笑った。
「でも、河井君は強いよな。うんざりしてもハブられても仕事してるんだから」
「仕方ないだろう。逃げても無駄な事は、8年も引きこもってよく分ったし」
「そこが凄いよ。引きこもっても復活しようと思えたんだから」
「兄貴のおかげだよ。あと、みーさんと、その他色んな人の」
「つまり、良い人達に出会えたってことだ」
「まあ、そういう事になるのかな」
「まったく、うらやましいね。でも、僕だって……僕だって自分は強いと思ってたんだ。あれだけいじめられても、学校に通い続けた。いじめを克服して明るい奴にもなれた」
「? だったら、素直に喜んでおけば良いじゃないか。ていうか、本当にお前、何しに来たの? 家に帰って寝てた方がいいんじゃないか?」
「でも、もう、うんざりなんだ」
「何が?」
「松浦」
「松浦?」
「アイツは、逃げても逃げても追いかけてくる。どうしてか、僕に執着するんだ。この間はアパートにまで押しかけてきた。引っ越し先は黙っていたのに。僕には、もう、逃げ場所がない。もう、うんざりなんだよ。だから、もう、終わらせようと思って」
自分でも、何を言っているのか分からなかった。でも、とりあえず立ち上がった。それから、柵に向かってふらふらと歩き始めた。
「おい。イナっち」
後ろから河井の声がする。それは、高校時代にアイツがいつも僕を呼んでた呼び方だった。久しぶりに聞いた親しい響きに、胸の中が温かくなるのを感じた。それで、思わず僕は頬をゆるめ足を止めて振り返り、それから、やはり昔、僕が河井をそう呼んでいたように呼んで、こう言った。
「裏切ったりして悪かったな、セイちゃん。ずっと謝りたかったんだ。許してくれ」
それは、自分でも思いもかけない言葉だった。信じてくれ、この後に及んで良い奴ぶるつもりなんかなかった。僕は、僕のままで全てを終わらせるつもりだった。なのに、そう言ったとたん、今まで心の中にあった固まりが消えていく気がしたんだ。
僕は思わず口に出していた。
「そうか……わかったぞ! 僕は、このひとことが言いたかったんだ。これが言えないばかりに、ずっとずっと苦しんで来たんだ」
僕の言葉に、河井が目を大きく見開く。信じられないって顔つきだ。怒ってるのか? そうかもしれないな。今さらって感じだもんな。分ってるよ。何を言ったって罪は罪なんだから。
「さよなら」
言うと、僕は走り出した。そして、柵を飛び越えて一気に炉の中に飛び込もうとした。
「イナっち!」
河井が僕の手を握りしめる。
「やめろ……」
「遅いよ」
僕は宙づりの姿勢で言った。
「もういいんだ。手を離してくれ」
「やだよ。お前こそ、絶対に手を離すな」
「無理だよ。僕、体力ないの知ってるだろ?」
「何言ってるんだよ! おーい! 誰か! 誰か!」
河井が声を上げた。
「助けてくれ! 人が落ちかけてるんだ」
その声に気付いてか、下から人の騒ぐ声が聞こえはじめた。
「何してるんだ!?」
「誰か、早く昇れ!」
続いて慌ただしく階段を昇る、カンカンという音が聞こえてくる。それらを聞きながら痺れた頭で思う。
無駄だよセイちゃん。
もう、ウデも限界だし……
その時、背後でボンという音がした。
なんだろうと思って下を見ると、真っ赤な火柱が昇ってくるのが目に入った。
奇麗だなと僕は思った。
赤く輝きながら天に駆け昇っていく龍みたいだ。
----------------------------------------------------------------