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リアルババ抜き 8
まるで、悪夢の続きでも見ているような気分だった。
今の今まで考えていた思い出したくもない過去の登場人物……僕の人生を不幸に落としい入れた諸悪の根源……が目の前に現れるなんてさ。まるで、僕の想念が引き寄せたみたいじゃないか? いいや、そんな事、ありえない。
そうだ、これは夢だ。夢に違いない。僕は、そう思い込もうとした。けど、これが夢でない事は「おい」と言って、奴が僕の頭をこずいた痛みですぐに分った。
「なに、ぼやっとしてるんだよ? まさか、俺の事忘れたとか言うなよ」
「まさか」
僕は愛想笑いを浮かべて首を振る。
「忘れるわけないだろ。良くんの事」
そう。こいつの名は、松浦良という。名は体を現さない好例だ。
「よかった。じゃあ、ちょっと上げてもらえるか?」
松浦はそう言って親しげに笑った。その笑顔を見たとたん、僕の体に何か重いものがのしかかってくるような感覚に襲われる。
「ていうかさ」
僕はひきつった笑顔を浮かべた。
「よく、ここが分ったね」
誰にも隠していたはずなのに……。
すると、松浦は言った。
「お前、この間ショップで河井と派手に喧嘩しただろ?」
「え? どうして、それ知ってるの?」
「田西って覚えてるか?
「田西? もちろん覚えてるに決まってるだろ? 高校の時つるんでた仲間を忘れるかよ」
ただし、僕はあいつが大嫌いだった。なぜかって、松浦と同じく凶暴な奴だったからだ。高校時代は、仕方なく僕も仲良くしていたが、卒業後は音信不通にしていた
「その、田西があの日あそこにいたんだよ。で、お前らの喧嘩を目撃したんだって。驚いてたぜ、ヒッキー河井が復活したって」
「でも……だからって、なんでここが分ったんだよ?」
「心配だから、お前の後つけたんだって。えらく遠回りさせられたってぼやいてたな」
松浦の言葉に、僕はがく然とする。なんてことだ、あの日の喧嘩は僕の未来を奪っただけでなく、逃げたはずの過去まで呼び寄せてしまったらしい。悔やんでも悔やみきれないが、それ以上に怖くなってくる。松浦は、きっと僕が無断で行方をくらました事を怒っているに違いないからだ。
「いや。君たちにも住所を知らせようとは思ってたんだけどさ……」
僕は必死でいいわけを探した。
「色々いそがしくて、忘れちゃってたんだ……」
しかし、松浦は僕の言葉など無視して、勝手に部屋に上がり込んだ。
「へえ、案外中は綺麗じゃんか。外は崩れかけてるのに」
「ま……まあね。あ、奥に入ったら? 暖房きいてるし」
本当は嫌でたまらないのに、僕は部屋の奥まで奴を案内する。そして、奴のためにウーロン茶を用意した。
「いいなー。一人暮らし」
たたみの上にあぐらをかいて、松浦が心底羨ましそうに言う。
「良君もすればいいじゃん」
僕は媚びるように言った。
「俺にできるわけねえって」
松浦が笑う。
「どうして?」
「金がないし」
「働けばいいじゃん」
「無理」
「そんな事言ったって。いつかは働かないと生きていけないぞ。良君ならどこでもやってけるよ」
「雇ってくれる所ねーもん」
「選ぶからだよ。バイトでもなんでもすればいいじゃんか」
「うぜえ」
「うざくてもさ」
「あー、うるせえな」
松浦がきれる。それで、僕は怖くて黙ってしまった。その、僕の反応をおもしろそうに眺めながら松浦が言った。
「それより、セイジ。金貸してくれよ」
ほら、来た……と思う。
「無理だよ」
僕は首を振った。
「なんでだよ?」
「金なんかない」
「貯金は?」
「無い」
(これは、嘘だ。本当は200万ほど持っている)
「嘘だろ?」
「嘘じゃ無いよ。実は、今、僕も無職なんだ」
「無職?」
「ああ。この間まで工場にいたけど、辞めたんだ」
「なんだ。じゃあ、俺と同じじゃん」
「そう。だから、すっからかんなの。すぐに働くつもりではいるけどさ」
頼む。これで納得して帰ってくれ。と、僕は思う。そして、2度とここには来ないでくれ……と。
「ふーん。すぐに働くつもりなんだ」
「ああ、明日には職安に行くよ。じゃないと飢え死にしちゃうし」
そう言うと、僕は、また媚びるように笑った。
「そんなに簡単に仕事見つかるの?」
「とりあえず、バイトを見つけるんだ。バイトをしながら、ちゃんとした仕事を探すつもりだ」
「ふーん」
「だからさ、良君も頑張って……」
仕事探そうよ。と言いかけた僕の言葉を遮り、松浦は言った。
「じゃあさ、キャッシングしようよ」
「はあ?」
「金を借りようって行ってるんだ。バイト決まったらすぐにさ。で、その金を少しこっちに回してくれよ」
「なに言ってるんだよ。そんなの、無理だよ」
「大丈夫だよ。バイトでも安定収入があれば貸してくれるんだって」
「そういう事じゃないよ。なんで、僕がお前のために金融会社で金を借りなきゃいけないんだ? 自分が借りればいいだろう」
「だって、俺、安低収入ないし」
「だから仕事探せばいいじゃないか」
「友達だろう? 友達見捨てるのか?」
最初は冗談めかしていたのが、だんだん脅迫じみてくる。けど、僕は断じて首を振った。ここで負けたら、一生食い物にされる。僕は勇気をふるって叫んだ。
「何が友達だよ。思ってねーくせに。僕は、お前の奴隷じゃねーよ。自分で働いたらどうだ? この負け犬」
そのとたん、松浦がキレた。
「なんだと、こら?」
子供の頃から、切れると見境なくなる男だ。松浦は、僕に飛びかかり
「お前、家出までして俺から逃げたつもりだろう」
と言いながら、僕の顔を何度も殴った。
「逃げられると思うなよ。逃げられると思うなよ」
そう言って何度も何度も殴りつける。
「やめろ、やめろ!」
僕は逃げようとしてもがいた。その衝撃でテーブルがひっくり返る。
「やめろ、やめろってば!」
もう一度、悲鳴を上げた時だ。
ドアが開いて、誰かが上がり込んでくるような音が聞こえた。もしかして、助けかもしれない。そんな考えが一瞬よぎるが、松浦の執拗な攻撃と、激しい痛みのために、意識が朦朧としてくる。
それから、どれぐらいたったろう?
突然、少しだけ体が軽くなる。
目を開けると、誰かが松浦を背中から羽交い締めにしていた。
……誰だ?
僕は涙でかすむ目で松浦の向こうにいる人物の正体を見極めようとした。
そして、驚いた。
そこに居たのが、なんと河井の兄貴だったからだ。
どうして、河井の兄貴が? なんで、アイツの兄貴がここに居るんだ?
さらに驚いた事には、河井正本人までもがそこにいたことだ。奴は、勇敢に戦う兄貴の後ろで呆然と立ち尽くしていた。
僕は混乱した。一体、何が起きてるんだ? みんなグルになって、僕をからかっているのか? そんな事すら思ったその時、河井兄貴が大声で叫んだ。
「おい! 正! 何、ぼーっと突っ立ってるんだ? 110番しろ! ケーサツ呼べ! ケーサツ」