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神様の不良品  作者: 橘 明
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「まるで地獄の釜みたいだな」


 俺は階下を見つめてつぶやいた。


 巨大な溶鉱炉の窓越しに真っ赤な火の海がぐらぐら煮立っているのが見える。


「落ちたら、いっかんの終わりって感じだな」


「大丈夫だよ。誰も落ちないし。窓もついてるし」


 安全柵にもたれて、弟が答える。


「……もっとも、30年ぐらい前に爆発起した事あるらしいけどね。この敷地内で」


「爆発?」


「ああ。フンジンバクハツだって」


「フンジン……何? それ」


「漢字で書くと、粉と塵……つまり、アルミの粉が元でおこった爆発らしい。どういうシステムになってるかしらないけど、金属粉は爆発する事があるらしいよ。それで、この建物の半分吹っ飛んだんだって」


「へえー」


 俺は、首を振り、2階建ての建物をぶち抜いて屹立するアルミ溶鉱炉をまじまじと見つめた。

 そう。ここはアルミ溶鉱炉のある構内だ。産婆沙メタル工場の心臓部ともいえる。目の前にそびえる炉の部分の迫力もさながら、眼下に広がる風景ときたら、まるでそれ自体で一つの町みたいだ。銀色の四角い建物やら、円柱の建物やらが建っていて、その脇を様々な太さのダクトが走っている。そして、銀色の建物の中で、工場の入り口に一番近いものの天井から滑り台が伸び、そこからがらがらと音を立てて大量の空き缶が落ちてくるのが見える。そうして、建物の中に流し込まれたアルミ達は、各部屋の中で異物を完璧に除去され、炉の部屋に到達し、溶かされ、冷やされ、伸ばされ、銀の大きなプレートになる。そのプレートは、トラックに積み上げられ、ドナドナよろしくどこかへと連れられて行く。連れられた先で、新たな缶として生まれ変わるらしい。

 今、俺達のいる2階の通路からは、ちょうどアルミを溶かす炉の中が見えていた。それは円形の窓になっていて、中でアルミが燃えているのが分かる。



「それにしても、たまらないな、この熱さ……」


 弟がかぶっていたメットを外した。それで、俺は思わずたしなめる。


「おい、いいのかよ。フロア内で外しても」

「いいんだよ。どうせ、休憩中で誰もいないし」

「なんで、お前だけ休憩が無いんだよ」

「あっちの炉の番のために誰かがいなくちゃいけないんだってさ」

 そういって、弟は目の前の薄暗い部屋をアゴで示した。それは、二階の通路脇に貼付くみたいに存在している、狭い鋳造工房だ。

「しかし、普通に考えて、そんなことを新入りに頼むか? 少なくとも責任者がいなくちゃ駄目だろう?」

「知らないよ。上の人間の考える事なんか」

「つーか、ちゃんと飯、食わせてもらえてるんだよな? シフトチェンジして」

「さあね……そんな事より、ホント熱い」

 そう言うと、弟は、手をうちわにして顔をあおいだ。

 確かに、ここは1月というのにうだるような熱さだ。しかも、体に貼付くような不快な熱さだ。なのに、弟と来たら、頭にはメット、体には厚手の作業着。体には軍手という重装備をさせられている。なんでも、安全のためにそんな格好をさせられているらしい。


「さてと」


 弟はメットをかぶると、立ち上がった。


「そろそろ灰汁がたまったかな?」


 そして、のそのそと工房の中に入っていく。雑然とした工房のまん中で、炊飯器みたいな炉がブォー、ブォー音を立てているのが見える。あれもアルミの溶鉱炉だ。しかし、下のとくらべると、はるかに小さい。下のが恐竜なら、さしずめこいつは人類ってとこかな。そのちっぽけな人類が、恐竜の食べ残したアルミを拝領し、それをを溶かして、型にはめて、工場オリジナルのグッズをつくり出す。それは、例えば招き猫の置き物だたり、幸運を呼ぶ干支の置き物だったり……作業工程の猛々しさの割には、やけに人当たりの良いグッズに生まれ変わる。


「危ないから、絶対にこっちに来るなよ」


 と、俺を制止しながら、弟は炉の中を覗き込んだ。そして「うん。まだ、大丈夫みたいだ」と、うなずくと、こちらに戻って来た。どうやら『灰汁取り』の必要はないらしい。


「けど、灰汁をとるなんて」


 俺は言う。


「まるで味噌汁みたいだな」


 すると、弟は答えた。


「味噌汁より高温だし、時々刺激的すぎるけどな」

「刺激的? ああ。アルミの灰汁抜きで感電した人がいたって話しか。やっぱ実話だったんだな、あれ」

「もちろん実話さ。まったく、刺激的すぎてまいっちまうね。そりゃ、みんな辞めたがるわけだよ。熱いわ、きついわ、危ないわ」


 と、弟は冗談めかして言ったが、とても笑える心境になれない。


「……続けられそうなのか?」

「続けられそうかもなにも、続けるよ」

「やめた方がいいんじゃないのか?」

「ここで勝負を投げろって言うのか?」

「俺だって、普通の環境なら続けろって言うさ。でも、命の危険があるようなところじゃ話は別だ。そうだ。これを機に転職したらどうだ?」

「転職?」

「ああ。ほら、お前以前言ってたじゃないか。『いつか介護福祉士になるんだ』って。そのいつかが、今って事にはならないのか?」

「確かに、俺は介護福祉士になるつもりさ。でも、今じゃない」

「どうして?」

「今、転職したら、まるで逃げるみたいになっちまう。それだけは、絶対に嫌だ」

「けど、無駄に時間を費やす事はないだろう? 世の中には『する必要のない苦労』ってのもあるぞ。今、お前がおかれてる状況がまさにそうだ。お前は、鋳造の技術を極めたいのか?」

「ていうかさ」

 そう言うと、弟は俺を見た。そして、やけにまじめくさった顔で言った。

「兄貴、小金井さんに話したんだろう?」

「え?」

 その言葉にドキッとなる。

「何を?」

「何をって……何かは分からないけど……」

 本当は、弟の言わんとする事は分っていた。

 確かに俺は小金井さんに話した。

 弟が8年も引きこもっていた事。それというのも、友人に裏切られ、いじめられために、深く傷ついたからだという事。そのために、貴重な青春の日々を無為に過ごさなければならなかった事。しかし、今は、必死で社会復帰しようとしている事。だから、どうか、弟をあっさりクビにせず、見守って欲しいと土下座までして頼み込んだ。その約束を長い間、小金井さんは守ってくれていたんだ。

 けど、俺はわざと気付かないふりをした。

「何か分からない事を話したかどうか聞かれたって、答えようがないな」

「もう、いいよ」

 弟はそっぽを向いた。そしてひどく照れくさそうに言った。

「でも、とりあえず一つだけ分ったんだ。意外に俺は一人じゃなかったらしいって」

 それで、俺は答えた。

「人間は誰も一人じゃない……って識者は誰も言っている。あくまでも、希望的観測かもしれないけど」

 茶化したわけじゃない。これは、俺の本当の気持ちだ。

 すると、弟は首を振りこう言った。

「でも、発見はそれだけじゃない」

「他に何があるんだ?」

「ああ。この世には、まだ信用してもいい人間がいるって事が分かった。もちろん、身内以外で」

「小金井さんの事か?」

 それには答えず、弟は言った。

「一人でもそういう人が居る限り、この世には生きる価値がある。そう思えば、少々の事は頑張れるさ」

 長い事世界から切り離され、地獄を見た弟の中に、再び微かな希望の灯がともりはじめたのが分かる。

 人を救うのは、大げさな教義でも、珍奇な哲学でもなく、案外身近な人間の朴訥なまでの優しさや、誠実さだったりするのかもしれない。弟の横顔を見ながら、そう、俺は思った。



 

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