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神様の不良品  作者: 橘 明
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 リアルババ抜き 7



 その翌日から、僕は計画を実行に移しはじめた。

 たいして難しい事じゃない。あいつは元々浮いているし、仕事もできない。少し背中を押しさえすればいい。そうすれば、あっという間に奈落の底に落ちて消えるだろう。


 まず、僕がやったのは、悪評をたてる事だった。


 河井弟は、僕を無視する。

 河井弟は、僕に仕事を教えてくれない。

 河井弟は仕事の連絡も回さない。

 おまけに兄貴とつるんでいちゃもんをつけてくる……と。


 まったくの嘘じゃない。現にあいつは僕を避けていた。

 悪評を立てた事で、同僚達の河井への対する態度は、ますます冷たくなる。今や唯一の味方は兄貴だけだった。その兄貴を見る度に、僕は弟に対するのとは別の嫌悪感を感じていた。『お前、T大まで行って、こんな所でなにしてるんだよ』と。

 味方が兄貴一人になっても、あいつはしつこく会社に出てきた。さっさと逃げ出せばいいのに。


 次に、僕がやったのは、河井がみんなに『一番知られたくないであろう事』をフロア中にばらす事だった。

 それは、あいつが元引きこもりだって事だ。あいつが自分の過去の事を隠しているのはすぐに分った。きっと恥じてるんだろう。気持ちは分かるよ。僕だって、いじめられていた事なんて知られたくない。知られる事で、自分が汚物みたいに思われるのが嫌なんだ。だからこそ、僕はばらしてやった。


 安の定、それからしばらくするとあいつは会社に来なくなった。『ざまあみろ』と心の中でほくそ笑む。これで、永遠に僕の目の前から消えてくれるだろう。


 ところが、僕の考えは甘かった。


 2週間程たつと、あいつは再び戻って来た。


『何しに戻って来たんだよ』


 と、僕は思った。


『もう、来なくてもいいのに』


 それで、今さらお前の居場所なんかないという事を示すために、みんなで示し合わせてわざとあいつの作業スペースに荷物を積み上げておいてやった。

 ところが、これが僕の犯した第2のミスだった。それを見た河井が、僕に言ったんだ。


「稲本。これって、お前が考えた嫌がらせだろう?」


 内心ぎくりとするが『なに、大丈夫だ』とこの時は思っていた。僕の味方は多いからだ。


「なにを証拠に?」


 安の定、皆が罵倒する。すると、河井正は堂々と答えた。


「なぜなら、これが、高2の頃に稲本が毎日受けていた嫌がらせと、そっくり同じやり方だからだ。こいつは、高校のころ、机の上に荷物を置かれたり、椅子を隠されたりっていう嫌がらせを毎日のように受けていたんだよ。俺、今朝、ここに置いてあった荷物を見て、昨日の事みたいに思い出した」


 河井の言葉に、フロア内がざわついた。みんながびっくりして僕を見る。何よりも驚いたのは僕だった。まさか、あいつがこんな事を言い出すなんて。心拍数が上がってくるのが分かる。ばれた。僕のみじめな過去が……。しかし、事はそれだけでは終わらなかった。うちひしがれている僕に追い打ちをかけるように河井の兄貴が叫んだんだ。


「なるほどな。それで、正。お前はその時、どうしていたんだ? 黙って見てたのか?」


 すると、河井正は答えた。


「はじめは怖くて黙っていた。けど、最後にとうとう我慢できなくなって、俺が稲本をかばった」


「そうか。それで、その後一体お前の身に何が起きたんだ?」


「それは……」


 河井正はそこで、言葉を止めて僕を真直ぐに見た。そして言った


「それは、稲本クンが一番よく知っているはずだ」


 その言葉を聞いたとたん、頭から血が引いていくのが分った。その後、フロア内でどんなやりとりがあったかは覚えていない。なぜなら、僕がその場に居ながらにして、その場に居なかったからだ。僕の心は過去へと遡っていた。高2以前のあの辛い日々へと。そして、ババが僕の手から離れたあの日へと。その白日夢の中で、手を離れたはずのババのカードがブーメランのごとく返って来て僕の心臓を切り裂く。まるで、僕の罪を突き付けるかのようだ。その痛みから逃れたい一心で僕は叫んだ。


「知らない……僕は何も知らないからな!」




 それからしばらくは、僕は河井正と同じ職場で頑張り続けた。

 しかし、日に日に耐えられなくなってくる。河井正の存在にだ。

 2週間の休みの後、あきらかにあいつは成長していた。攻撃されても前のように動揺しないし、仕事に対する姿勢も以前とはうって変わって真剣味を帯びている。始めは快く思っていなかった仲間達の見る目もしだいに変わって来た。一体、あの2週間の間に奴に何があったんだろう?

 河井を見るたびに、僕はみじめになった。自分の卑怯さ、弱さ、愚かさを目の前につきつけられる気がしたからだ。河井が憎くて仕方がなかった。あれだけの目にあって、なんでそんな風に変われるんだ? そんな風に思っている間にも、河井正はどんどん成長していく。まるで堰を切った川みたいに。そして、ついに仕事でも僕をはるかに追い抜かしはじめた。時を同じくして、僕に対する嫌な噂がたちはじめる。

 ついに僕は耐えきれなくなった。それで、仲間としめしあわせ、仕事をボイコットする事にした。くだらない悪あがきだ。でも、どうしても、このまま河井と働く気にはなれない。最後には責任者の原口さんていう人に言ってやった。


「河井兄弟と僕のどちらかを選んで下さい」


 と。


 しかし、「どちらも選べない」と原口さんは言う。「事情をみんな知ってしまったから」と。『事情』とは、おそらく僕の裏切り行為のことだろう。

 僕は仕事を辞める事にした。




 こうして、再び仕事探しの日が始まった。

 ちょうどその頃、世の中では派遣切りのニュースが流れ始めていて、ますます就職の状況は厳しくなっていた。ずっと、時給の安いパートなんかしていたために、貯金も大分切り崩してしまった。次に働くなら、正社員が良いと思って探すが、なかなか思うような仕事が見つからない。


 そんなある日、インターネットの知り合いを通して、素晴らしいチャンスに巡り会った。とある弁護士事務所の人が、アシスタントを探しているが、なかなか良い人材が見つからなくて困っているというのだ。この人は、以前からオンライン上で付き合いの有る人で、僕が密かに法律の勉強をしている事も知っていた。住まいも同県内ということなので、ダメ元で雇ってくれないかと聞いてみたところ、なんと「君なら下手な学生より勉強してるし、案外いけるかもしれないな。一度、試しに面接に来てみるか?」と言ってくれた。そして「もし、適性がありそうなら、うちで働きながら大学へ通う事も考えていい」とまで請け負ってくれた。僕にとっては福音だ。社会人になって以来、始めての明るいニュースだ。

 これで、再起できる。松浦も河井もいない世界にいける。そこで、僕は、新しい人生をやり直すんだ。


 面接は、今週末土曜日の1時からとのこと。


「申し訳ないが、時間は必ず守ってくれ。僕は時間の守れない人間は信用できないんだ」


 と、言われる。その点では僕もまったく同じなので、心配はなかった。



 そして、土曜日。スーツを着て履歴書を持ち、少し早めに家を出る。

 面接会場は電車で30分程行った、県庁所在地の有る町だ。

 まだ早いし、ちょうど昼時だし、昼飯を食ってから現地に向かう事に決める。


 それで、ゆったりと歩いてショッピングモールへと向かった。あそこなら、昼飯を食べる場所がたくさんあるはずだし、駅からも比較的近いからだ。






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