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神様の不良品  作者: 橘 明
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「実は、俺先月からボランティアしてるんだ」

 唐突に告げられたのは、2009年の1月、まだ正月気分もぬけ切らぬ、ある日曜のことだった。

 絵筆片手にきょとんとして弟を見上げる。そしてかろうじてこう言う。


「そうか。……それはいい事じゃないのかな?」

「なんだ? その興味のなさは?」

「いや。キョーミないわけじゃないけど……今、絵に集中してるし」


 すると、弟は描きかけの絵を覗き込み


「なんだ、そのよっぱらったピカソみたいな絵は」


 とケチをつける。


「酔っぱらったピカソとはなんだ? 芸術じゃないか。もっとも、これは、ほんのウォーミングアップだけどな」

「じゃあ、ウォーミングアップを中断して聞いてくれ」

「聞いてるじゃないか。ボランティアしてるんだろう?」

「そのボランティアで、兄貴の手を借りたいんだ」

「はあ?」

 なんだか突拍子もない話の流れである。

「俺にもボランティアをやれってことか?」

「そうさ」

「いや、確かに、ボランティアは立派な活動だと思うよ。でも、俺にも予定というもんが……」

「ずっとやれって言ってるんじゃないよ。来週の土曜だけ手を貸して欲しいんだ」

「来週の土曜? 1日だけ?」

「ああ。無理か?」

「いや。それなら大丈夫だけど。土曜に何かあるのか?」

「うん、来週の土曜日にサプライズパーティーをやるんだ」

「サプライズパーティーって、誰かの誕生日かなんか?」

「そうだよ。ほら、覚えてない? ふれあいの家で翼って子にあった事あるだろう? 全身麻痺の」

「翼?」

 俺は記憶の糸をたぐってみた。確かに聞いた事がある名前だ。

「ああ、思い出した。確か、大地君と一緒にいた……」

「そう。その翼の誕生日」

「なるほどね。てことは、お前、ふれあいの家でボランティアしてるってことか」

「そうだよ」

 弟はうなずいた。そして、詳しく語るにはこういう事だ。

 何でも、去年の12月から『ふれあいの家』で土曜開所というのを始めたらし。土曜開所というのは、元々休日だった土曜日にも施設を解放し、障害者の人達のレクリエーションやサークル活動などに活用してもらおうという試みだ。

 弟はそこで、子供達の遊び相手のボランティアをしていて、そこに、翼や大地や他にもたくさんの子供達が来ているらしい。その、子供達の間で今度の土曜、翼のためのサプライズパーティーをやろうという話になった。本人に気付かれないようにごちそうを作り、プレゼントを用意して驚かそうってわけだ。

 ところが、買って来たものを運ぶだけの男手が足りないらしい。

「それで、俺の御指名ってわけか」

「そうだよ。ついでに、これは田辺センセイのリクエストだけど、お絵書き教室で場も和ませてくれって事だ」

「ああ。なるほどね。けど、買い物なんて、車をつかえばいいだけの話じゃないのか?」

「もちろん車はつかうけれど、運ぶのは荷物だけじゃないんだよ。一緒に来る障害者の子達の車椅子も押さなくちゃいけない。自分は多分その役目になるから、荷物は兄貴に持って欲しいんだ」

 との弟の答え。

 だったら、健常者の職員だけ行けばいいじゃないかとも思うが、多少の手間をかけても障害者の子供達に色々な経験をさせてあげたいという大人達の配慮なのだろう。そう思えば無下に拒否もできなかった。それで、俺も別に忙しいわけでもないし「いいよ」と答える。それにしても、だ。


「それにしても、お前、よくボランティアなんかやる気になったな。みーさんにでも頼まれたか?」

「いいや」

 弟は首を振った。

「自分でやりたいと言ったんだ」

「自分で?」

 俺は驚いて弟を見た。

「しかし、またなんで?」

「うん……実は」

 そう言うと、弟は少しだけちゅうちょして、その後照れくさそうにこう言う。

「実は、俺、介護福祉士目指そうと思っててさ」

「介護福祉士?」

「うん。今の、工場の仕事はパートだし、一生できるわけでもないだろう?」

「確かに……」

 一応、社員登用制度もあるらしいが、誰でも希望を聞いてくれるわけでないし、第一弟に一生ラインが勤まるかという問題もある。

「そうか。それで、介護福祉士か。いいと思うよ。介護の仕事なら、就職先にも困らなさそうだし」

「うん。給料はあんまり良くないみたいだけど、やりがいがありそうだ」

「けど、そんなに簡単になれるもんなの? 資格とかいるんじゃないのか?」

「あるけど、実務経験が3年あればとれるらしいよ。中卒でもOKって」

「実務の中にボランティアも入るのか?」

「いや。ボランティアは自分に適性があるか見るためにやってるだけだ」

「適性? ありそうか?」

「分からないけど……。少なくともテレビをバラしているよりはマシみたいだ」

「そっか……」

「もう少し様子を見て、本当にできそうだと思ったら、本格的に仕事を探してみようと思う」

「……そっか、そっか……」

 俺は何度もうなずいた。

 嬉しいのかなんなのか、言葉にはとてもしがたいが、心の奥底からあたたかいものがあふれてくるのが分かる。

 2年前、東京から戻った日に。

 何度叩いても決して開く事のないドアの前で、肩を落とした日々に。

 自殺未遂を謀った弟を助けようとして死にかけたあの時に。

 まさか、今日という日が来るとは思わなかった。


 まったく人生、一寸先は何が起きるか分からない。だから生きて行こうと思えるのだろう。たとえ、今がどれほどの闇に閉ざされているとしても。

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