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リアルババぬき 3
そいつの名前は河井正といった。
出会ったのは、学校の図書館だ。
その頃の僕は、毎日図書館に通っていた。教室にいてもイジメられるだけだが、本に囲まれていればつまらない事の全てを忘れられる。図書館は僕にとっては唯一のアオシスだった。そのオアシスに、僕と同じくしょっちゅう現れる奴がいた。それが河井正だった。
始め、アイツの存在に気付いた時は、僕のように教室から逃げてきているのかなと思っっていた。しかし、よく観察しているとどうも違う。奴は、ある女生徒が『貸し出し係』を勤める時に限ってやって来る。つまり、女目当てということだ。それが分かると、馬鹿馬鹿しくなり、河井への興味はすぐに失せてしまった。
それが、なぜ、仲良くなったかっといえば、向こうから話しかけてきたからだ。河井は、俺がしょっちゅうここにいる理由を『単に本が好きなインテリな奴だからだ』と無邪気に信じていた。というのも、T大に行った自分のアニキと同じような本ばかり読んでいるかららしい。それで、僕に興味を持ったようだ。
はじめのうちは、本の話ばかりしてたような気がする。もっぱら話すのは僕で、河井はひたすら聞き役だった。アイツは自分にない知識を持つ僕に対し、尊敬の念すら持っているようだった。おかげで、僕のプライドは少しだけ満足させられた。
ところが、ある日、僕はいじめられている現場をアイツに見られてしまった。恥ずかしくて仕方がなかった。『偉そうに語ってたけど、ただのいじめられっこかじゃんか』って、見捨てられるんじゃないかと思った。
しかし、その時は、アイツは僕を見捨てたりしなかった。なんのこだわりもなく同じように接してくれた。それで、僕らの友情はますます深まっていった。僕はアイツに気を許し、自分の気持ちを隠す事なく話すようになっていった。
いろいろ都合が良かったんだ。クラスが違ったから、奴もこの件に関しては部外者だし、何の損得関係もないし。だから、僕は大いに語ってやった。日頃、自分が教室内でどんな不等な扱いを受けているか。それに対し、僕がどれだけ内面の強さを発揮しているかなどなど。
河井は今どき珍しく正義感の強い奴で、イジメの話を聞くたびに怒っていた。そこには好感が持てたが、一つだけ許せない事があった。それは、ボクがいじめられていることに対して、上から目線の哀れみや同情を見せる事だ。折にふれ、僕はイジメなんか平気だと言っているのに、奴は俺を哀れむ事をやめなかった。
高2になった時、僕と河井は同じクラスになった。同じく、俺をいじめてた松浦という男も同じクラスになった。そして、河井の正義感が嘘なのは、クラス替え一日目にすぐ分った。
こいつは、八方美人で、誰にでも調子良く良い顔をする。松浦にもすぐに気に入られたが、僕には近付きもしなかった。まあ、それは仕方ないことだ。あいつだって松浦は怖いだろうからな。逆の立場なら僕だって同じようにするだろう。世の中はそんなもんだ。
そんな具合に、1学期中僕は松浦とその仲間達にいじめられ続けた。別に平気だった。馴れていたし。それに、僕は松浦という男をよく知っていたし。
ところがだ。
2学期が始まりしばらくした時だった。
何をトチ狂ったのか、例の河井が突然こう叫んだんだ。
「おい! いい加減にしろよ。いい年こいてイジメやってんじゃねえよ!」
その瞬間、ババのカードは僕の手の中から離れて行った。
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「なる程ね」
全てを聞き終えると、原口さんは感極まったようにうなずいた。
「つまり……いじめられていた稲本をかばったのが原因で、河井弟はいじめられるようになり、それがきっかけで8年もひきこもったということか」
「そういうことになるかな」
と、弟がうなずく。
「でもさ」
と、俺は首を傾げた。
「あいつ。なんでそんな見えすいた嘘を言ったのかな? 少し調べれば誰が嘘ついてるかぐらい、すぐに分かる事なのに」
すると、原口さんが答えた。
「よっぽど自分のやった事を認めるのが嫌なのか、もしくは、本気で自分は悪くないと思っているのか……だろうな」
「あれで、自分は少しも悪くないと正気で思えるなら、たいした根性の持ち主ですよ」
「そりゃ、お前らの立場から見ればそうだろう。しかし、あいつにだって『そういう行動』に出た自分なりの正当な理由はあるだろうさ」
「どんな理由があるにしろ、一人の人間の人生を台なしにしたり、死ぬまで追い込む権利は誰にもないでしょう」
「確かに、相手を死ぬまで追い詰めた時点で、自分の間違いに気付かなきゃいけないさ。それで、自分の考えを改めるのが本筋だろう。しかし、自分の行動の招いた結果が恐ろしければ、恐ろしい程、人は自分の行動の正当さをやっきになって作り上げようとするんじゃないかな? たとえ、何一つ『正当な理由が無い』というのが真実であっても、『正当な理由が有る』と信じ込むんだ。始めは嘘と分っていても、いつしか本当の事と思えてくる。そうやって、自分の心を守るんじゃないのかな」
「でも、嘘を真実と言いくるめたところで『本当の事』からは逃げられませんよね」
「じゃあ、お前はこの世界で、どれだけ『本当の事』がまかり通ってると思うんだ?」
「それは……分からないけど……」
そこで、俺がくちごもると「つまりは……」と弟が言った。
「誰にでも大義名分は必要って事だ。良心の呵責で頭がおかしくならないためにね」
その言葉で、俺は弟の書いた『内戦』という詩を思い出す。
強いやつは、弱いやつを責める。
責める理由は、どれだけだってつくりだせる。
弱い奴は永久に責め続けられる。
そして、いつか醜悪な化け物に仕立て上げられる。
気付かぬうちに悪者にされるんだ。
それもしかたのない事だ。
誰だって自分は正しいと信じたいから
大義名分は必要だもんな
そして思う。
あのフレーズは、そうした思いから産み出されたものなのか。と。
「しかし、そこまで聞くと、これは稲本よりも、むしろ河井弟の問題だな」
原口さんが言った。
それで、俺は再び反論モードに入った。
「弟の? 弟の何が問題なんですか?」
「つまり、稲本と一緒にいる事が苦痛なのは、むしろ河井弟の方じゃないかっていう事だ」
「ああ。そういう事ですか。じゃあ、もし弟が苦痛だと言ったら稲本を辞めさせるんですか?」
「ことによっては」
「そうですか……」
俺は弟を見た。そして、どうする? と目で問いかける。すると、弟はあっさりと返事した。
「俺なら、平気ですよ」
「え?」と俺。
「そうか」と原口さん。
「実は、俺も、こんなことで誰かを辞めさせるのには忍びなかったんだよ。ただでさえ、派遣切りのなんの厳しいご時世に、職場の仲間の一人たりとも無意味に切り捨てたりしたくないんだ」
しかし、俺は全然納得できない。
「けど、稲本……君が『うん』と言いますかね?」
「できる限り説得してみるよ。いざとなったらグループを移動させるって手もあるし」
「グループ移動をさせたって、顔をあわせずにはいられないでしょう」
「だから、端と端のグループに移動させるんだよ。なるべく顔をあわせずに済むように」
「そうですか」
そうまで言うなら仕方がない。
「分かりました。弟も納得しているようですし。後は原口さんにおまかせします」
そういうと、俺はしぶしぶ頭を下げた。