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10分ほど並び、やっと俺らの番が回って来た。
ぼやーっとしている弟の目の前に立ち「焼そばひとつ」と言うと、そこで、やっと、兄貴たる俺に気付いたのか、奴はこの上なく気まずい顔をした。
「何、足を引っ張ってるんだよ、お前」
「そっちこそ、何しにきたんだよ」
「焼そばを買いに来たんだよ」
「嘘つけよ。帰れよ」
「帰れとはなんだ。それが、仮にも客に向かって言う言葉か」
「いいから、帰れよ。仕事の邪魔だよ」
「何が仕事の邪魔だよ。お前、少しも働いてないじゃないか」
つまらぬ兄弟喧嘩をしてると、みーさんが帰って来た。テントの中に入り際に俺に気付き、
「あら、優ちゃん来てくれたの」
と、声をかけてくれる。
「あ、はい。昼休憩にここの焼そば食べようかと思って」
「ユキも、昼休憩?」
「そうよ。みーは、今まで休憩?」
「うん。昼時は混むから避けたつもりだったんだけど……もう、けっこう混んでるね」
そう言うと、みーさんはテントの中に入り、かなえと弟に言った。
「おまたせー。どっちか休憩入って」
すると、間髪入れずにかなえが答えた。
「河井さんが行ってください。今、忙しいですから!」
それから、俺らは、グランド中央に設置された舞台前のベンチに座って、買ったばかりの焼そばを食った。
かなえが作った焼そばは、少々辛いような気がした。
「あんまりうまくないな。これ……」
弟がつぶやく。
「お前が言うなよ」
俺は弟の頭をどやしつける。
「ってーな。殴る事ないだろ」
「うるさいよ。少しも働いてなかったくせに」
「……だって、アイツ、一人で全部やろうとするから、俺の入る隙が無いんだもん」
「お前がぼやーっとしてるから、彼女一人で頑張らなきゃって思うんだろう?」
「そうだね。確かに弟君、少し指示待ち過ぎるね」
めずらしく、由紀恵が厳しい事を言った。
「やる事は、自分で探さなきゃ」
「田辺さんの言う通りだ」
俺がうなずくと、弟はふて腐れた。
「へいへい、俺には発言権ないですよ」
そして、この世でもっとも嫌われる言い方をした。
「俺はどうせ、役立たずですから!」
で、頭に来た俺的には、
「その通りだな!」
と答えておいた。見兼ねたのか由紀恵がフォローしてくれる。
「まあまあ、慣れれば、どう動けばいいか分かるようになるでしょう」
その時だ。
「お兄さん達、来てくれたんだ」
聞き覚えのある声がした。
振り返ると、車椅子の少年が居る。
告白すれば、一瞬誰だか分からなかった。しかし、すぐに思い出した。隣で弟が「大地」とつぶやいたからだ。
そうだ、確かこの子の名前は大地君。以前、この『ふれあいの家』に来た時に出会った子だ。10才のこの少年は、その小さな体で、筋ジストロフィーという難病を抱え、過酷な運命と闘っている。俺の脳裏に、あの日、装具を付けた足で、必死に坂を登っていく大地の姿が甦った。一歩、一歩、ゆっくりと、汗を流しながら歩いてたっけ。
「よお! 大地君。久しぶり!」
俺は、気さくな感じで手を上げた。
「こんにちは」
大地君が、ゆっくりと頭を下げる。弟は仏頂面のまんまだ。その弟の目の前に回り込み、大地君が言う。
「この間は、ありがとう」
それで、さすがの弟も仏頂面も続けられなくなったらしい。「よお久しぶり」と、無愛想に答え、そして尋ねた。
「今日は、お前車椅子なのか?」
「うん。本当は、歩きたいけど、歩いてると、今日中に全部見きれないかなと思って」
「見れなかった分は、明日見ればいいじゃないか」
「明日は、僕、ダンスにでるから、見てるヒマないんだ」
「ダンス?」
俺と弟は、ほぼ同時に叫んだ。
「うん。ちょうど、ここのステージでやるんだよ」
大地が誇らしげに言う。
「へえ……」
俺は、まじまじと彼を見た。あの、歩くのもやっとだったこの子がダンスとはね……。
「大地君、頑張って練習したんだよね」
由紀恵が言う。
「うん。大変だったけど、おもしろかったよ。……そうだ、よかったら、お兄ちゃん達も見に来てよ。3時からなんだけど、無理?」
「3時か……」
俺は首を傾げた」
「うん。3時からなら、ちょうどこっちのイベントも一区切りするところだから、大丈夫だと思うよ。正、お前は大丈夫そうか?」
弟にふると、弟は難しい顔をする。
「微妙だな……俺の仕事には区切りとかないし」
「3時から中休憩入れてもらえば?」
由紀恵が言う。ボランティアスタッフは、昼休憩と、中休憩の2回の休憩がもらえる事になっているのだ。
「……そうか。そうだな。みーさんに頼んでみるか」
弟がうなずくと、
「じゃあ、きっとだよ!」
大地は嬉しそうに笑い、手を振って両親の待つ児童館の方へと去って行った。
その頃には、3人ともすっかり焼そばを食い終わっていた。しかし、まだ時間が余っていたので、少し会場内を回ってみようかという話になる。それで、さて、どこを見るかという話になった時、
「長谷川さん来てるよ」
と、由紀恵が言った。その言葉にドキッとなる。それは、以前、ここに来た時に、一目で虜になった絵の作者の名前だったからだ。あの後、稲本の事やら、弟の事やら、あまりにも色々あり過ぎたせいで、忘れていたが……名前を聞いた途端に甦ってくる。あの、見事な巨木と、その頂上に太陽のごとく咲き誇る赤い花と……。
「今なら、2棟で、実演やってると思うよ。行く?」
断わる理由があるはずもなかった。