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神様の不良品  作者: 橘 明
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「おい、正」

 扉を開け、弟の名を呼ぶ。

「起きろ。遅刻するぞ、おい」

 部屋に入り、布団をはがすと、

「わっ」

 と叫んで弟が飛び起きた。そして、起き上がったきり呆然としている。よく見れば汗だくで、真っ青な顔をしていた。

「おい、どうした?」

 心配になってたずねると、ようやく正気に戻って

「……こわい夢を見た」

 とつぶやく。

「……夢?」

「うん。すごく恐かった。金縛りにもあって……」

「金縛り!?」

「殺されるかと思った……」

 なんだ、馬鹿馬鹿しい。少し呆れる。しかし、弟は真剣そのものの顔をしていた。よほど、恐ろしい夢だったのか。けど、今はそんな事にとりあってるヒマはない。

「いいから、さっさと起きろよ。遅刻するぞ」


 しかし、階下に降りて飯を食いつつ待てど暮らせど、弟は起きて来ない。

「何してるのかしら?」

 と、おふくろが不安げに上を見る。

「体調でも悪いのかしら?」

「いや。体調が悪いようには見えなかったよ。夢見が悪かったみたいだけど」

「じゃあ、何してるのかしら?」

「さあね」

「もう一度、呼んで来てくれない?」

「俺が?」

「母さん、今、手が離せないのよ……」

 仕方がないので再び弟の部屋に行くと、呆れた事に、奴は、まだ布団の中にもぐり込んでいた。

「おい! こら!」

 俺は部屋の中にどかどかと入り込んで、布団の上から奴の背中とおぼしきあたりを足でつつく。

「さっさと起きろよ! 遅刻するぞ!」

 すると、弟が布団の中から半分だけ顔を出してこう言った。

「起きれない」

「起きれない? 体調が悪いのか?」

「……体調が悪いっていうか……立ち上がると、ひどいめまいが起きて歩けない」

「めまい? 熱は?」

「分からないけど、とりあえず今日は休む」

 そう言ってもぐりこんだきり、弟は、次の日も、また次の日も、布団から出られなくなってしまった。


 3日目ともなると、おふくろが心配し始めた。

「大丈夫なの? 会社クビになったりしないの?」

「大丈夫だよ」

 俺は答えた。

「3日休んだぐらいで、クビにならないと思うよ。前にも、同じような事あったけど大丈夫だったじゃないか」

 もっとも、それは俺が小金井さんに頭を下げたからだが……。

「でも、お母さん心配なのよ。このまま、また引きこもってしまうんじゃないかと思って……」

「そんな事を言ったって仕方がないだろう? 本人がめまいがするって言ってるんだから」

「でも、お医者さんはどこも悪くないって言うのよ」

「そうなの?」

「……そうよ? 言わなかった?」

「聞いてない」

 最近、残業続きで帰りが遅かったからな。


 それにしても、『どこも悪くない』という医者の言葉が、俺の心に重くのしかかる。それって、精神的なものじゃないのか?

 ……とすると、やはり、登校拒否ならぬ登社拒否か……。無理もない。もしかして、今度こそダメなのかもしれない。しかし、そうなったところでしょうがない。今回ばかりは、アイツに同情している。アイツの頑張りは、この目で見たからな。もう、精神的に一杯一杯だったんだろう。これ以上無理させて、心が壊れてしまう前に、潔く辞めた方が良いのかもしれない。


 会社に着くと、正門の前にみーさんがいた。どうやら、俺を待っていたらしく、こちらを見て「おはよう」と手を振る。

「おはようございます」

 会釈を返すと、みーさんが走り寄って来た。それで、二人並んで歩き始めた。

「なんか久しぶりですね」

「そう? そんなに話してなかったっけ?」

「ええ。随分話していない気がします。何しろ、ここしばらく色々あったから……」

「ああ。聞いたよ。なんか正ちゃん大変らしいね」

「やだな。みーさんまで知ってるんですか?」

 どうやら、弟に関するウワサ(その内容は正確には知らないが)は、会社中に広まっているらしい。少々うんざりしてると、みーさんが言った。

「うん。正ちゃん、毎日メールくれるし」

「え? メール?」

「そうよ?」

「って事は、本人から聞いたって事ですか?」

「うん。なんで?」

「いいえ、別に」

 言いつつ、内心胸をなでおろす。どうやら、弟のウワサは社内中に広まっているわけでもないらしい。

「で、あいつ、何て言ってました?」

「会社に行きたくないって言ってた」

「行きたくない……ですか」

「うん。なんか、学生時代のいじめっ子が入って来たから嫌だって」

「……そこまで話しましたか」

「うん。何か色々されたみたいだよ。やり返せばいいのにって言ったんだけど、無理って」

「無理ってですか……確かに、今のあいつには無理かもなぁ」

「なんで無理なのかな? あたしも子供の頃はよくいじめられたけど、家まで追いかけてってやり返してやったよ」

「えー? みーさん、けっこう恐いなあ」

「恐いって、何よ。失礼なー」

「いや、すいません。つい本音が……でも、あいつには無理ですよ。子供の頃はケンカもしてたけど……学生時代にいじめにあってから、すっかり弱虫になっちゃって……」

「強かった人が弱くなる事なんてあるの?」

「……少なくとも、弟はなりましたね。よっぽど学生時代のいじめがショックだったんじゃないかと思います」

 その、いじめが原因で、弟が引きこもった話はしないでおいた。それを話しても、みーさんには分からないと思ったからだ。

「ふーん。でも、正ちゃん、それでずっと休んでるんでしょう? もう、会社には来ないの?」

「分かりません。そりゃ、来た方がいいとは思うけど、あいつにも自由意志ってのがあるから」

「でもさ、ずっと家にいたら、カビが生えちゃわない?」

「カビって……」

 思わず吹き出す。

「いやだな、想像しちゃったじゃないですか」

「受けた?」

「ちょっと」

「じゃあ、よかった……ああ、それでね」

 みーさんが話題を変える。

「大事な話があるの。聞いてくれる?」

「大事な話? なんですか?」

「うん。由紀恵からの伝言」

「由紀恵?」

 ……誰だっけ? 聞き覚えがあるような気もするが……

「『ふれあいの家』の田辺由紀恵。忘れちゃった?」

「ああ!」

 俺は、あの髪の長い大柄な女性を思い浮かべた。

「懐かしいな。あの人が何か?」

「うん。ほら、来週文化祭があるって言ってたの覚えてる?」

「ああ」

 ……そんな話してたこともあったな……あんまりにも昔なので忘れかけていた。

「その、文化祭のボランティアが、思った程集まらなかったんだって。それで、すごく困っていて、優ちゃんと正ちゃんに手伝ってもらいたいんだけど、ダメかなって」

「俺らに?」

 なんだか、突拍子もない話だが……

「そりゃ、他でもないみーさんの友達の頼みだし、どうしてもっていうなら俺はいいけど、弟はどう言うかな?」

 正直、無理だと思う。

「正ちゃんには、昨日メールしたんだけど返事がなくてさ」

「そうなんだ……」

 それは嫌だという意思表示じゃないかな? 心の中で思うが、口には出さない。

「で、正ちゃんにも聞いておいて欲しいの。由紀恵、本当に困ってるんだって。一応、私もヘルプに行くんだけどさ」

「分かりました。帰ったら聞いてみます」

「ありがとう。お願いね。あ、もうこんな時間だ。急がなきゃ」

 そう言うと、みーさんは自分の仕事場へと走って行った。

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