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神様の不良品  作者: 橘 明
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07

 おふくろに続き、親父が入院してしまった。夜中に付き添っていたおふくろの病室で心臓が痛いとうずくまり、そのまま別室に運ばれた。心臓は悪く無かったが胃に穴が開いていたらしい。正の自殺未遂は70近いじじいにとっては重すぎるストレスだったようだ。

 知らせを受けた俺は、今度は親父の着替えを持って病院に行くはめになった。ベッドの脇にタオルや下着を片付ける俺を親父は無言で見ていたが、やがて低い声でぼそりとつぶやいた。

「正は、なんでああなんだ?」

「俺が知るわけないだろう?」

「お前なら分かるだろう」

「なんでだよ?」

「お前も、私達を恨んでいるだろう?」

「……」


 何を言い出すんだこの親父は。俺がこっちに戻って以来ひとことも喋らないと思ったら、心の中でそんな事考えてやがったのか。

 鼻の中にチューブを入れられシューシュー音立てて、そんな事言ってる親父がちょっと哀れになり、今更どうとも思ってねえよと答える。

 いや、恨んでないといってしまえば嘘になる。俺は子供の頃から絵が好きだったが、不幸にも勉強ができてしまった。そのせいで、高校に入り真剣に将来を考え、某芸大の美術科を志望した俺に向かい、両親も、担任までもが猛反対をした。その時、反抗する根性でもあればよかったのだが、割かし素直で人がよかった俺はあっさりと大人達の言葉に従ったのである。そして、T大学工学部という何やら馴染みのうすい学科に入ってしまってから、強烈に後悔するはめになる。

 もし、芸大に入っていればと何度も思った。そうすれば、同じ夢を持つ仲間を…つまり人脈を得る事ができたろうし、基礎から学ぶ事ができただろうから、今のような悪戦苦闘もしなくてすんだかもしれない。俺の絵には、何か肝心なものが欠けている。だから俺は自分の絵が好きではない。もし、芸大に行っていれば、その欠けた何かもやすやすと埋められたかもしれない。

 しかし、そんな過去へのIfが何になるだろう? 第一、両親に従いT大を目指したのは俺自身の選択である。

 しかしそれ以上に俺が親父に対して抱いていた怒りは、弟、正をあんな風にしてしまい、俺をここに呼び戻さざるを得なかったふがいなさに対してであった。しかし、それも、この老いぼれぶりを見れば仕方ないかと思う。昔は怖い親父だったが、今や腕力も口でも俺の方が勝っているだろう。俺が何とかしなきゃしかたねえだろ。

「父ちゃん、余計な事考えると、胃の穴ふさがらねえぞ」

 と言い残し、病室を後にした。

 その日から、両親の見舞いと、弟正の面倒を見る毎日がはじまった。家族のために働くのは苦にならないが、弟の食事を運ぶための一歩一歩が、両親の為に車を走らせるその距離が、東京と自分の間をどんどんと引き離していく距離のように感じる。人生とは旅に似ていると思った。




 6月の下旬。1階のソファで居眠りしていた俺は、庭先からのクラクションに起された。ベランダ越しに外を見ると低い垣根越しにシルバーの車が止まっていて、窓から森崎が顔を出している。

 ベランダを開け、声をかけた。

「森崎?」

 森崎は俺の声に気付くとこちらに向かって手を振った。

「元気? お見舞いに来てあげたよ」

「一人で来たの?」

「みーちゃんと」

 森崎が答えるのと同時に、彼女の後ろからみーさんが顔をのぞかせた。

「みーちゃんの運転よ」

「へえ」

 俺は驚いて身を乗り出した。

「上がっていけよ」

「車、どこに停めたらいい?」

 と、みーさんの声。俺はうちの前でいいよと言って、二人に上がってもらった。


「あの車、買ったんですか?」

 キッチンで麦茶を入れつつみーさんに尋ねる。

「うん」

「凄いですね」

 俺は感心した。よく、あの工場の稼ぎでと思ったが、そういえばみーさんは俺と違って正社員だったな。

「夕べ二人でドライブしたんだよねー」

 森崎が楽しげに言う。

「ねー」

 とみーさんが頷く。

「タワー? ああ、あの河原にできた新しいやつ?」

「そう。上まで登って来た。夜景が綺麗だったよね、みーちゃん」

「みーさんの運転で?」

「そうよ、綺麗だったよね、紀美ちゃん」

 内心俺は驚いていた。金定さんじゃないが、まさかこの人に免許がとれると思ってなかったからだ。ガラスのテーブルに置いた麦茶を枯れ枝のように痩せた手で持ち、みーさんはおいしそうに飲み干した。その指先にまで届く無惨なケロイドに思わず眼が行く。

「ああ。おいしい。今日も忙しかったから」

 満足げなみーさん。その言葉に俺は恐縮する。

「すいません。俺が休んでるせいで……人手足りないんですよね」

 実は正の自殺未遂から1週間、ずっと会社を休んでいた。みーさんは首を振った。

「気にしなくていいよ。お父さんと、お母さんが一緒に入院したんでしょ? 優ちゃんも大変だよね」

「うん、まあ。昼間は病院に行かなくちゃダメだし、夜は弟の分まで飯を……」

 しまった! 口を塞ぐ。正の存在は知られたくなかったのに。

「弟さん、いるの?」

 森崎が興味を持ったようだ。

「うん。居るよ…」

 紹介はしたくないけどね。

「優ちゃん、御飯つくるの?」

 しめた、みーさんが話を変えてくれた。

「作りますよ。大してうまくないけど」

 笑顔で答える。

「あたしが作ってあげようか?」

 何?

「そんな事みーさんに頼んじゃ、申し訳ないですよ」

「ねえ、河井君、会社辞めちゃうの?」

 また話が変わった。

「辞める気ないけど、クビになっちゃうかもな。親父とおふくろが戻って来るまで家を留守にできないし…」

 万が一俺が留守の時にまた自殺未遂なんぞされては叶わない。

「大丈夫よ、5年前あたしの兄ちゃんが入院した時も1ヵ月ぐらい休んだけど大丈夫だったもん」

「みーちゃん、お兄さんいるの?」

 森崎が食い付く。

「居たよ。でも、死んじゃったの。5年前入院した時に死んじゃった」

「……」

 思わぬ告白に俺と森崎は言葉を失ったが、みーさんは世間話でもするみたいに淡々と「ずっとベッドに付ききりだったんだけどダメだった」と話した。話し終わると「トイレはどこ?」と立ち上がった。

 みーさんをトイレに案内して居間に戻ると、森崎が涙ぐんでいる。

「あの人は凄いね」

 と感極まったように言った。

「あの人、あんな体で一人暮らししてるの。昨日アパートに招待してもらったの」

「御両親は居ないのかな?」

「居ないって」

 と森崎はにじんだ涙を拭う。余程感激したようだ。

「それより、河井君…」

「うん?」

「あさっての似顔絵のバイトの方は来れそう?」

「ああ、そっちもしばらくは無理だな。行かなくても大丈夫かな?」

「かわりの人が来ると思うから大丈夫だけど…事務所に連絡は入れてある?」

「まだ。今日中に連絡する」

「それがいいわ。いつ頃から働けるの?」

「今の所分からない。おふくろが全快しないと……」

「大変ね。なにか手伝える事ない?」

「そんな…悪いからいいよ」

「水臭いね」

「だって、やってもらう理由…ないし」

「2カ月か…」

「え?」

 何が? と尋ねようとしたその時、廊下から悲鳴が聞こえた。みーさんの声じゃない、あの野太い声は……。

 森崎が驚いて俺を見る。

「誰? もしかして弟さん?」

「…らしいな」

 それ意外に居ないって。しかし、あのバカ、また何をやらかした?





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