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あまりにも唐突な質問だった。まずは『何で知ってるんだよ?』と、思った。なぜなら、弟が引きこもっていた事は、小金井さん以外の誰にも話した事がないからだ。別にその過去を恥じてるわけじゃない。ただ、その事を言うも言わぬも弟が決める事である。奴が、その過去と折り合いがつけられるようになり、人に対する信頼を取り戻す事ができれば、自然と打ち明ける事もあるだろう。少なくとも、当事者でない俺がぶちまける事じゃない。小金井さんもそれを察してか他人に話すような事はしなかった。現に今まで誰も知らなかった。少なくとも、こんな風にぶしつけな聞き方をする人間は居なかった。そうだよ。無礼なんだよ、こいつは。というか、無礼以上に悪意を感じる。
それで、俺は渡辺の目をまっすぐに見て尋ねた。
「今、ここで、そんな質問をする意図がわからないんだけど?」
すると、渡辺は妙に機嫌を取るような態度で、
「あ、ごめんなさい。不愉快になりました?」
と、言う。
「別に不愉快じゃないよ。(実はムカムカきていたが)けど、いやに含みのある言い方だよね?」
「含みなんかないですってば。被害妄想ですよ」
「へ〜。被害妄想なんて難しい言葉知ってるんだ。偉いね。でも、その言葉の意味分かってるの?」
「は? 分かってますよ。何ですか? その上から目線は?」
「へ? この程度で上から目線て感じるんだ。君はよっぽど低い世界で生きてるんだね!」
「……」
「……」
俺はすっかりマジ切れしている。向こうは余裕を見せようと笑顔を浮かべてはいるが、眉の辺りがひくついている。そのまま、睨み合っているとそこに宮崎さんが入って来た。
「おーい、お前ら、何さぼってるんだよ。さっさと戻れよ」
その言葉に救われたように、俺らは元の作業場に戻った。
それ以後はムカムカしてまともに仕事にならなかった。ようやく頭が冷えてくると、誰がこの噂の主かが見えて来る。稲本だ。それ以外にない。あいつ、この間の喫茶店でのやり取りを根に持って、こんな噂を流したに違いない。それで、ここしばらく周りが冷たかった理由が分かった。稲本が、俺らの事を悪し様に言いふらしたにちがいない。あいつにとっても、あのやり取りは余程のダメージだったんだろう。
しかし、さて、どうする? ドライバ片手に考える。
奴を問いつめるのは良いが、ケンカをするのは得策じゃない。何か誤解があるなら、解いた方がいい。そうだ。もう一度奴をつかまえて話し合う事にしよう。
そこまで考えた時だった。
ガシャーンという音が後方から聞こえて来た。方角的には弟のいるEグループの方向である。
嫌な予感がしてふり向くと、案の定また弟だった。弟が崩れた素材BOXのまん中で呆然と立っている。どうやら、棚に積み上げられていたBOXを落としてしまったらしい。
また、何かやらかしたのかとうんざりしながら見ていると、原口さんが飛び出し「おい、何をしてるんだ?」と叫ぶ。
すると、弟が情けない顔で答えた。
「……棚が壊れちゃって……」
「棚が?」
「はい。今日、僕、棚を運ぶ係になっていたから、この棚を動かそうとしたら2段目の板が外れて……」
「……なんで、こんなところが外れるんだよ」
「ネジが、とれてたみたいです」
「なんだ。元々壊れていたのかよ。分かった。とりあえず、この辺、片付けてくれ」
「……はい」
弟はうなずくと、しゃがみ込み、俺の視界の中から消えた。しかし、あれを片付けるにはさぞかし時間がかかるだろう」
誰かが聞こえよがしに言う。
「今日も、残業決定か。叶わないな」
すると、他の奴が答えた。
「大丈夫だろう。戦力外の奴が使えないだけだから」
何を言われても、弟は黙って黙々とその場を片付けていた。
「おい。大丈夫かよ」
帰り道、俺は弟に言った。既に外は真っ暗だ。
「……大丈夫だよ」
と、弟の返事。
「しかし、ついてないな。棚が壊れるなんて。怪我が無かったのが、不幸中の幸いかな」
「……ああ」
それきり弟は黙ってしまう。そして、そのまましばらく歩き続けた。
「おい、本当に大丈夫か?」
尋ねるが、返事が無い。それで、そのまま無言で歩き続ける。
しばらく行くと、ようやく弟が口を開いた。
「……仕方ないよな。これも前田をあんな目に合わせた報いだ」
「あんまり、そこにこだわるなよ。関係ないよ」
「関係あるさ。大ありだよだってさ……」
「『だって』、なんだよ?」
「……いや、言おうかどうか迷ったんだけど」
「……?」
「実は、あの時、稲本が俺の足を引っかけたんだ」
「は?」
「あいつが足をひっかけた勢いで、棚にぶつかって……それであんな事になったんだ」
「……おい。それ、どういう事だよ? アイツがわざとお前が失敗するように仕向けたってことか?」
「……やっぱり、言わない方がよかったな」
「いや。……ていうか、そんな大事な事を、なんでその場でみんなに言わなかったんだ?」
「だって、証拠がないし。それに、俺の言う事なんて誰も信じないだろう?」
「誰も信じないなんて……なんで、そんな風に思うんんだよ?」
「だって、俺、足手まといだし……」
「気持ちで負けてどうするよ。仕事ができない自覚が有るなら、仕事で見返してやれよ」
「もういいよ」
弟は言った。そして、天に向かって吠たえる。
「あーあ。なんでこんなに一生懸命にやってるのに、邪魔ばかり入るかな? 神は俺を働かせたくないのか?」
茶化すように言ってはいるが、その顔は笑っていない。最後にぽつりと
「もう、辞めようかな……」
とつぶやいた。