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「おーい! 河井弟!」
宮崎さんの声がする。
宮崎さんは、弟の属するBグループの一員で、40過ぎのオヤジである。
「お前、また素材の選別間違えてるだろう」
「あ…ごめんなさい」
弟の無感情な声が聞こえた。
「ごめんなさい、じゃねーだろ? 何度間違えればすむんだよ。お前、人の話聞いてるのか?」
「……」
「返事は?」
「…聞いてますけど…」
「聞いてるなら、何で同じミスばかりするんだよ?」
「…気をつけてるつもりなんですけど…」
「つもりじゃ困るんだよ。つもりじゃ」
「まあ、それくらいにしておけよ。宮崎」
原口さんが助け舟を出したようだ。
「だって、いいかげん、迷惑だろ? グループ全員うんざりしてるよ」
宮崎さんが言い返す。すると、原口さんが言った。
「どうせ、あと少しだから、我慢しろよ」
その言葉に心臓がバクバクしてくる。
…あと少しって、どういう事だよ? それじゃ、まるで、あの人員削減の噂が本当みたいじゃないか?
それにしても、前田君が居なくなって以来、あれ程優しかった原口さんや、宮崎さんの態度ががらりと変わった。まるで前田君が乗り移ったかのごとく、毎日のように弟を怒鳴り散らしている。
「お前の弟も、気の毒だな…」
川岸さんが言った。
「いえ。弟が悪いんですから」
答えると、
「そのとおりだな」
と、意外な返事が返って来た。
心なし、最近俺に対するみんなの態度まで冷たくなって来たような気がする。もしかして、弟のふがいなさの責任を兄貴として問われているのかもしれない。しかし、それでも構わなかった。弟のクビがつながりさえすれば…。
数日後の朝。久しぶりに小金井さんが朝礼に現れ、そして1枚の紙を片手に話し始めた。
「えー、一部の人間には既に伝えているとおり、一週間後にグループ替えをします」
その言葉に、フロア中がざわめく。
「と、いうのも、皆さん聞いているとおり、来週から新人が5人入るからです」
再び、フロア内がざわめく。新人が入るのは聞いていたが、来週からとは初耳だ。随分早いじゃないか。
「それにともない、このフロア内でも人員整理をする事になりました。そのためのグループ替えです」
人員整理という言葉に、またもや俺の心臓がバクついた。俺は必死で自分に言い聞かす。…大丈夫だ。大丈夫だよ。みーさんが、人員削減なんか無いと言っていたじゃないか。もっとも、原口さんは、ありげな事を言っていたが…
と、その原口さんが口を開いた。
「グループ替えの事は知ってるが、どう移動させるかは決まったのか?」
「それは、今、考え中です。近いうちに新しいグループ編成をしたものをプリントアウトして、皆さんに配ります」
小金井さんはそう言うと、他の社員に朝礼を引き継いだ。
3日後、小金井さんの言葉通り、新しいグループ編成の紙が配られた。
手を震わせながらそれを見る。
自分がどのグループかなんて事は、この際どうでも良かった。肝心なのは弟の事だ。奴の名が、ここに載っていればセーフ。載っていなければアウト。白いA4の紙に規則正しく印字された文字を目で追っていく。
Aグループ 6名
青木亮介
斉藤清隆
丸井角男
林直彦
吉田規夫
小島悟
…無い。
Bグループ 6名
井出文雄
大葉ケンタ
椎名平吉
森本元盛
藍植男
川岸豊
…無い。
Cグループ 6名
宮崎猛
小向井雄介
林田源蔵
河井優
渡辺秀樹
大和田尊
…俺の名前を見つける。しかし、弟の名は無い。
Dグループ 6名
服部新八
宮本たけし
藤田長道
門倉卓郎
内田寛之
松下由紀夫
…やはり無い。
次でいよいよ最後のEグループだ。
おそるおそる、そこに並んだ名前を目で追っていく。
Eグループ 7名
原口良男
柿本太郎
白井隆司
和田真一
佐竹信雄
稲本誠二
…
…
………河井正
…おお! あった。しかも、わざとらしくもドンケツに…! まるで、いやいや付け足したみたいに。つーか、なんでEグループだけ7人なんだよ。
まあ、そんな事どうでもいいや。とにかく、弟の首が繋がったんだから。うれしさのあまり、叫びだしそうな衝動を抑えながら、弟の方を見る。さぞかしホッとしているだろうと思いきや、弟は意外にも無表情だ。いや。無表情じゃない。あれは、呆然としているって顔だ。そうだ。その表現の方がしっくり来る。しかし、なにに呆然としてるんだ? 7人グループのドンケツに書かれた事か? なにか含みでも有るように感じたんだろうか? 確かにちょっと不自然な並び方だよな。もしかすると、本当のところ首になるはずだったのかもしれない。それをお情けで続けさせてくれるだけなのかもしれない。しかし、とりあえず、今は繋がったんだ。すぐに奴もその事に感謝するようになるさ。
その日の帰り道、俺は弟に「辞めさせられなくて良かったな」と言った。しかし、弟はブスッとしたまま何も答えない。
「どうしたんだよ? 嬉しく無いのかよ?」
尋ねると、弟はボソリとつぶやいた。
「本当に良かったのかどうか…」
「は? どうして?」
「別に…」
「別にって…気になるじゃんか」
「いいよ。気のせいかもしれないから」
「気のせい? 何それ?」
しかし、その後、弟は一切口を開かなかった。まあ、大方、首が繋がったところで、うまく勤められるかどうか自信が無いってとこだろうと、俺は勝手に独り合点し、早々にこの会話を切り上げる事にした。
しかし、問題はそんなに単純ではなかった。
次の週の朝、妙にしぶる弟を引きずって出勤し、フロアに一歩足を踏み入れた瞬間、弟の顔が明らかに硬直した。そして「やっぱり」とつぶやく。
「どうしたんだ?」
尋ねると、
「あいつだ」
と答えた。その目は、一点を凝視している。
「あいつって、誰だよ?」
俺は弟の見ている辺りに視線を送った。そこには、新入りと思われる5人が固まっている。
「新人に気になる奴でもいるのか?」
「稲本だよ」
「稲本? 誰だっけ?」
「稲本…いや違う。因幡だ」
「因幡ぁ?」
誰だっけ? どこかで聞いた覚えがあるが…。
しばらく考え込み、やがて俺は「あっ」と思い出した。