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神様の不良品  作者: 橘 明
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 その休日の出来事は、俺達の心に思わぬ風を吹き込んではきたものの、長い人生航路の途中に、ほんの一瞬我が道に交叉した別世界に過ぎず、翌々日からは再び退屈な日常へと埋没していった。相変わらず仕事はくそ忙しかったし、弟は怒鳴られてばかりいるし、世間では世界的な株の暴落など、何やらウソ寒い様相を呈して来て、俺の東京行きの切符はますます遠ざかっていく気がする。そろそろ観念し時かなと思っていたある日、仕事中にとなりの川岸さんがこんな話をふってきた。

「おい、知っているか? もうすぐ大量に人を入れるらしいぞ」

「へえー?」

 俺は驚いて顔を上げた。

「このラインにですか?」

「ああ。このフロアに」

「何人?」

「5人ぐらい入れるって。ホラ、前田がいつまでたっても復帰の見込みないだろう? それで、毎日この忙しさでみんな参っちまってるし、どうにかしてくれないなら全員辞めるって原口さんが人事に怒鳴り込んだらしい」

「怒鳴り込んだ?」

 その言葉に、俺は驚く。

「無茶するなあ、原口さんも。返り打ちでリストラされたらって考えないのかな?」

「原口さんは大丈夫だろう。なにしろ、勤務期間も長いし、上の人間に味方も多い。大丈夫って見込んだ上での行動だろう」

「そんなもんですかね? …それにしても5人は凄いな。前田君の存在が、それだけ大きかったって事ですかね?」

「それもあるし、夏に雇った学生バイトが何人か辞めるせいもあるし、それだけじゃなくて…」

 そこで、川岸さんは言葉をとめた。その態度になんだか違和感を感じ、

「…? それだけじゃなくて、何ですか?」

 と、訝しげに尋ねると、川岸さんは声をひそめ、なんだかとても気兼ねするように言った。

「何人か辞めさせられるかもしれないって」

「え?」

 瞬間、頭の中に弟の顔が浮かんだ。おそらく川岸さんも同じだったのだろう。ますます気を使うようにこう言った。

「いや。噂だよ、噂。本当かどうか分からないよ」

「どっちでもいいですよ、そんなの」

 俺は、敢えて気にしてないふりをした。


 昼休み、弟と二人で食堂に行く。定食を取り、無言で飯を食う。弟は疲れ切った顔をしていた。無理もない。さっきまでグループの連中に怒鳴られていたのだ。詳しく話せば、こういう事だ。弟の所属するBグループの分別用の箱が一つ無くなっており、証拠があるわけでもないに弟が無くしたと決めつけられたのである。明らかに理不尽であるにも関わらず、誰も、弟を庇わなかった。弟自身ですら弁明しなかった。おそらく、もしかして自分がうっかり無くしたかもしれないという思いが心の片隅にあったんだろう。普段の行いの悪さの報いとも言える。

 弟はこのことについて話そうとしなかった。俺も話題にしようと思わなかった。ただ無言で飯を食う。弟も黙って飯を食う。周りのにぎやかさが、やけに耳について来る。と、その時、ふいに弟が口を開いた。

「ところで、聞いたか?」

「…何を?」

「近いうちに人員補給があるって話」

「ああ…」

 その話かよ…と、俺はますます鬱になる。

「5人も入れるらしいよな。随分もうかってるんだな、この会社」

「みたいだな」

「でさ…」

 と、弟は一息入れた。

「同時に人員削減もするらしい」

「みたいだな」

 俺はあっさりうなずいた。

 しかし、それ以上のコメントは控えておく。おもしろくない方向に話が進みそうだからだ。すると、弟が自嘲気味に笑い、それから、やけにサバサバとした口調で言った。

「まあ、俺は別にどっちでも良いんだけどね」

「そうかよ」

 と、俺は手短に答える。本音を言えば、一刻も早くこの話を終わらせたかった。そんな俺の願いが通じたのだろうか?

「おつかれ」

 と、明るい声がして、みーさんがやって来た。

 俺は救い主を見つけたがごとく、みーさんを見る。すると彼女は、いつもの屈託のない笑顔で

「お久しぶり」

 と言った。

「お久しぶりです」

 頭を下げると、

「ご一緒していいかしら?」

 と、ちょっとおどけた調子で言う。

「どうぞ、どうぞ」

 そう言って、俺は自分の隣のスペースを開けた。みーさんは遠慮なくそこに座る。それが、左側だったので、彼女の頬の傷が真横に見える事になり、ドキッとする。『ふれあいの家』で田辺由紀恵に聞いた、この傷のできたいきさつについての諸々の話を思い出したからだ。

 一方のみーさんはと言えば、俺のそんな心の内など知る由もなく無邪気に話しはじめた。

「そういえば、優ちゃん達のラインに、新人が入るらしいね」

 それで、俺はがっかりする。なんだ、結局その話題かよ。

「みーさんも知ってるんですね…」

「うん。もう会社中の人が知ってるよ」

「そうですか」

「そうよ。でも、よかったね。これで、少しは仕事が楽になるんじゃないの?」

「まあ、そうですけどね…」

「辞めさせられる奴もいるらしいけどね」

 弟が陰気くさく言った。その言葉にみーさんが驚く。

「え? そうなの?」

「そうなの? って…そうなんだよ。小金井さんあたりに聞いてみろよ」

「そのコガちゃんから、新人を入れるって聞いたのよ。でも、辞めさせる話はしてなかったけどな…」

「本当ですか?」

 俺はみーさんの顔を見た。すると、みーさんは俺の目をまっすぐ見て答えた。

「本当よ。嘘ついてどうするのよ?」

 どうやら、みーさんは本当の事を言っているようだ。弟もそれを確信したのか、心なし表情をゆるめた。もっとも、油断はできないが…。単に小金井さんが話さなかっただけかもしれないし。

「あ、それよりさ」

 みーさんが話題を変えた。

「お二人さん『ふれあいの家』に行ったらしいね」

「え?」

 俺は驚いた。

「何で知ってるんです?」

「由紀恵に聞いたから」

 あ、そうか。田辺由紀恵とみーさんは親友なんだから、俺らの話題が出ていてもなんら不思議な事はない。

「由紀恵、喜んでたよ。2人ともすごくよく手伝ってくれたって」

「いや…それほどでもないですよ」

「謙遜しなくてもいいよ。本当にみんな喜んでたよ。特に大地君が喜んで、『お兄ちゃんにまた会いたいって』言ってるそうだよ」

「大地? …ああ、じゃあ、それ、俺じゃなくて、弟だ」

「そうなの?」

「…」(弟は無言だ)

「でさ」

 みーさんは俺を見た。

「由紀恵に聞いたんだけど、二人とも文化祭に行くんだって?」

 その言葉に、俺と弟は顔を見合わせた。そういえば、そんな約束をした気もする。けど、正直言って社交辞令のつもりだった。

「まあ、一応そのつもりですけど…」

 俺はあいまいに答える。

「その時にならないと分からないですね…」

「そうなの?」

 みーさんがきょとんとする。

「まあ、よかったら来てよ。私も参加するからさ!」


 それきり、その話は終わった。正直、それほど興味のある話でも無かったし、そんな事よりも、俺らの関心は新たに入る新人と、その時に行われるかもしれない人員削減についてだった。

展開に無理を感じたので、一部削除しました。ご了承ください。

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