表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神様の不良品  作者: 橘 明
54/100

54

 人間危機に瀕した時は一秒が何分にも感じられるというが、その時、俺の目に映った光景がちょうどそんな具合だった。そう、まるで映画のコマ送りのように思えたんだ。


 まずは弟が「危ない」と叫んだ。

 その声が終わらぬうちに、崩れかけていたブラウン管テレビが前田君めがけて落ちていく。

 弟が、手を伸ばし、前田君の腕をつかむ。

 そして、前田君を思いきり引っ張る。

 TVが前田君の頭に当る。

 前田君が白目を向き弟に倒れかかる。

 その勢いで、弟の腰がくだける。

 そして二人同時に倒れる。

 その後は、ドンドンドン…と響きをたてながら数台のテレビが落ちてきて、そして…。



「おい! 大丈夫か!?」


 原口さんが叫んだ。

 それで、ぼう然とこの光景を眺めていたフロア全員が我にかえった。

 目の前には、蹴散らされた積み木のみたいにテレビが転がっている。床の上には割れたガラスの破片が光っており、そのまん中あたりに、折り重なるようにして倒れている弟と前田君の姿があった。二人とも辛うじてテレビの下敷きにはなっていないものの、ピクリとも動かない。その、あまりの動かなさに不安になる。…まさか、打ちどころでも悪かったのか?


「正…!」


 俺は、仕事場である事も忘れて弟の名を呼んだ。すると、弟は上半身をむくりと起こす。そして、服についたガラスの破片を手で払うと「大丈夫。ちょっと驚いただけだ」と言った。それで、ほっと胸をなでおろす。


「ケガはしてないか?」

 原口さんの言葉に、弟は体のあちこちをさすりながら

「…今のところ、どこも痛くないから大丈夫だと思う」

と答えた。すると、再び原口さんが尋ねた。

「前田は?」

「…前田?」

 弟はつぶやくと、己の膝の上にのっかっている前田君を見下ろした。前田君はうつ伏せに倒れたままぴくりとも動かない。眉をひそめながら、弟は前田君の頭を軽くつつき、つついたと思ったら手を引っ込め、悲鳴を上げた。

「…し…死んでる! 死んでる!」

「何だって?」

 原口さんが青ざめる。

「血が…血が…こんなに…!」

 そういって、ひろげた弟の手にべっとりと血がついていた。




「そんなに落ち込む事ないよ」

 皿にのってる揚げ物をとりわけながらみーさんが言う。

「正ちゃんだけの責任じゃないし」

 ここは『さくら』。以前、小金井さんに連れてきてもらった居酒屋だ。

「確かに」

 俺は、ビール片手にうなずいた。

「必ずしも、お前だけの責任じゃない。カゴ車が倒れたのは、ケリを入れた前田君のせいだし」

 その言葉に、弟がちらりとこちらを見た。

「ただし」

 …と俺は付け加える。

「あのカゴ車をあそこに置いたのは、お前だけどな」

「じゃあ、やっぱり俺のせいって事じゃないか」

「だから、お前のせい『だけ』とは言ってないだろう? けど、もしも前田君が事件の当事者でなければきっとこう言うだろう。『だから、カゴ車を2台並べるなって言ったでしょう?』」

 軽く前田君の口まねをすると、みーさんが吹き出した。しかし、弟は露骨に嫌な顔をする。

「落ち込んでる人間に向かって、よくそこまで言えるな。それでも、アニキかよ」

「血の繋がった人間だからこそ言える、厳しい意見ってのもある」

「鬼かよ…」

「でも…!」

 と、みーさんが割って入って来る。

「みんなが騒いだほど、たいしたケガじゃなかったってコガちゃんも言ってたじゃない。正ちゃんがそこまで落ち込む事ないよ」

 そう。弟は、死んでるのなんの大騒ぎしたが、前田君のケガは奇跡的に軽症だった。とはいえ、確かに出血はひどかった。それは、ガラスで頭を切ったからで、頭ってのは大袈裟に血が出るもんらしい。それに、脳しんとうをおこして救急車で運ばれはしたものの、搬入先の病院ですぐに意識を取り戻したそうだ。他には体のあちこちに、軽い打ち身とねんざ。頭を針で縫い、念のために一日入院するらしい。ちなみに弟はといえば、まったくの無傷だった。

 しかし、体は無傷でも、精神的になダメージが相当ひどいらしく、午後はろくに仕事にならなかったようだし、仕事が終わっても自縛霊のごとく作業台の前にうずくまって、いつまでたっても動こうとしないので、心配になった俺がみーさんの力を借りて、ようやくこの『さくら』まで連れて来ってわけだ。

「…それに」

 と、みーさんが言葉を続ける。

「確かに、前田は、ケガをして大変だし、かわいそうだけど、ある意味自業自得だと思うよ」

「自業自得って、どういう意味?」

 俺はみーさんに尋ねる。

「正ちゃんを虐めた天罰よ」

「それは…」

 違うでしょう? と言いかける言葉を、弟が遮った。

「そうかな」

「そうよ」

「でもさ、俺、妙にひっかかるんだよ」

「なにがひっかかるの?」

「…あいつに言われた事だよ」

「前田が正ちゃんになんか言ったの?」

「うん。『俺だって、できないなりに頑張ってるんだ』って言ったら『誰だって必死で頑張ってるんだ。やり方が分からなきゃ、自分で考える努力をしろ』ってさ。俺なりに頑張ってるっていってるのに…」

「そりゃ、頑張る方向が間違ってるって事じゃないのか?」

 俺は口を挟む。

「もしくは、もっとやるべき事があるのに、見えてないって事か」

「でも、俺、精一杯やってるつもりなんだ。でも、ダメなんだから仕方ないだろう?」

「…前田君は、自分で自分をダメと決めつけるなって言ってるんじゃないかな?」

「そうなのかな?」

 弟はそう言うと、黙りこくってしまう。すると、みーさんが、また慰めにはいる。

「どっちにしても、あの子もたいしたケガじゃないし、3日もすれば戻って来れるってコガちゃんも言ったじゃない。だから、そんなに気に病む事ないよ」

「うん。みーさんの言う通りだ。終わった事をくよくよしても仕方がない。肝心なのは、これからどうするかさ」

「これから?」

「そうだよ。もし、お前が前田君に対して責任感じるなら、この先彼が納得してくれるまで頑張るしかないよ」

「どうやって? 俺は精一杯やってるつもりだって言ってるのに」

「だから…彼の言った事にヒントがあると思うよ、俺は」

 そう言うと、俺は目の前のグラスを一気に飲み干した。

 この時…前田君には気の毒だが…俺は弟のために少し喜んでいた。なぜなら、こうして自分を振り返るきっかけを彼は弟に与えてくれたからだ。もし、弟が彼の言った事を心か理解して、そして前田君と和解できれば、弟はワンステップ前に進める事になる。その一歩が、奴に生きるための真の自信を与えてくれるだろう。そう、期待したからだ。


 けれど、その夢が叶う事はなかった。

 なぜなら、それきり前田君が会社に来なくなったからだ…。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ