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神様の不良品  作者: 橘 明
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 翌日、宣言通り、弟は会社を休んだ。

 両親は、弟の「体調が悪い」という言葉にコロっと騙され、俺も敢えて本当の事は語らず(弟もいい大人なのだから、両親にチクリを入れてまで行動を強制する必要もあるまい)不安を抱えつつ、…同時にこの状況の成りゆきを楽しむ悪趣味な野次馬根性も抱きつつ…工場に向かった。。

 フロアにたどり着くと、弟の言った通りBグループは前田君を除いて誰もいなかった。さぞかしみんな騒いでいるだろうと思いきや、誰も…前田君ですら…顔色一つ変えずに自分の持ち場にいた。それで俺も、何くわぬ顔で自分の作業台に向かった。そして、他の者と同じく無言で…時おり不可思議な視線をBグループの方へ向けながら…始業時間を待った。

 しかし、水面のおだやかさはどうであれ、困った状況である事には変わりない。Bグループの仕事を全て止めるわけにもいかないので、俺や、川岸さんなどの元Bグループのメンツと、他、3名ほどの人員がBグループに割かれる事になった。人数が足りないのだから、当然、その分の残業はすることになる。定時を過ぎ、7時を回っても帰れぬ状況に、フロア内のいら立ちは募り、8時を過ぎた辺りでついにほころびが大きく割けた。


「ったく。他部所に迷惑かけるなよ! Bグループ!」


 前田君に向けてどこからか罵声がとんだ。フロア内に緊張が走る。


「管理者の責任じゃないのか? これは?」


 もう一度、そんな声が聞こえて来る。誰の声かは分からなかったが、おそらく、アンチ前田派の人間の嫌がらせだろう。今では、この騒ぎはフロア中、いや、工場中を巻き込む程に広まっているのだ。

 前田君の真後ろで仕事していた俺は、気が気でなかった。前田君が怒り出すんではないのか、もしくは、泣き出すんではないかと。

 しかし、前田君は、顔色一つ変えず、なすべき仕事を淡々とこなしていた。淡々というより、むしろ、投げやりに思えた。痩せた背中が今にもポキンと折れそうで心配になる。だからといって、何一つ慰めの言葉をかけられるでもなかった。自分の弟がこのくだらない企みに参加している以上、どんな慰めの言葉をかけたところで、しらじらしくしか感じられないと思ったからだ。


 家に帰ると、居間でテレビを見ていた弟が、待ってましたとばかりに俺を質問攻めにした。

「みんな、約束通り休んだのか?」「フロアの様子はどうだった?」「小金井さんはなんて言っていた?」「前田は落ち込んでいたか?」などなど…。

 その質問一つ一つに真面目に答えるのも馬鹿馬鹿しいので、

「安心しろ、みんな休んでいたが、前田君はいつも通り、普通に仕事をしていたよ」

 とだけ答えて、カバンを投げ付けてやった。

 そして、とっとと飯をかきこむと、風呂にも入らずベッドにもぐり込む。今日は疲れた。そりゃそうだ。もう12時過ぎているのだもの。そういえば、会社を出たのが10時過だったもんな。最悪だよ。でも、俺らが帰る時も、前田君はまだ仕事をしていたっけ。彼、明日出て来れるんだろうか? 心配だな。そんな事を考えているうちに眠りに落ちていく。


 その夜、見た夢は最悪だった。

 前田君の痩せた背中がさらにどんどん痩せ細り、最後は針金みたいになってポキンと折れてしまうんだ。

 それを見て弟が笑っていた。俺も一緒に笑っていた。それで良いのかと思いつつ、笑うしかねーなと、ゲラゲラ笑っていた。


 次の日は、弟を含めたBグループのメンバー全員は普通に出勤していた。前田君も、前の日にあんなに遅くまでいたにも関わらず、普通に出勤していた。そして、いつもと変わりのない午前中が過ぎ、昼飯は食堂でみーさんと一緒に食う。

 弟は得意げに昨日の一件をみーさんに話した。身ぶり手ぶりつきで、熱のこもった話し方だ。みーさんは、時おりあいづちを打ちながら弟の話を聞いていた。そして、「それくらいやってやりゃ、前田もきっと分かるよ」と言った。俺はそんな二人の会話を黙って聞いていた。

 正直言って、複雑な気分だった。弟の馬鹿はともかく、みーさんの態度がさ。本音を言うと、少し失望していた。俺はみーさんに止めて欲しかったんだ。弟の愚行を止めて欲しかったんだ。いや、きっと、みーさんにしてみれば、これも優しさのつもりなんだろう。彼女は、弟に心から同情しているのだから。そうだ、彼女は、弟の事を思いやってくれているだけなんだ。彼女にとっては、これも思いやりのつもりなんだ。

 その時、俺は、突然、弟がホームページに書き綴った詩を思い出した。「内戦」て名付けられた、あの詩の中の一節だ。



 強いやつは、弱いやつを責める。

 責める理由は、どれだけだってつくりだせる。

 弱い奴は永久に責め続けられる。

 そして、いつか醜悪な化け物に仕立て上げられる。

 気付かぬうちに悪者にされるんだ。

 それもしかたのない事だ。

 誰だって自分は正しいと信じたいから

 大義名分は必要だもんな



 そのフレーズを思い出して、俺は笑い出しそうになった。


 …確かにその通りだよ、弟よ。

 でも、分かっているのかな? 今、お前がやっている事が、まさにあの詩のそのままじゃないか。


 まったく、人間なんて勝手なもんさ。人の欠点はやたらと目につく癖に、自分のこととなると、とたんに目が曇る。しかし、まあ、世の中そんなもんだよ。そんなもんさ。俺だってきっと、そうなんだから。

 それにしても、2人の会話にはついていけなかった。人の悪口なんか聞いていて楽しいもんでもないし。俺にとって、前田君はそこまでの存在でもないし。それで、「俺、事務所に用事があるから」とかなんとか理由をつけて立ち上がる。

 そして、後ろを向いて俺はぎょっとした。なぜなら、すぐそこに、前田君がいたからだ。彼は、俺らのちょうど後ろに、背中を向けて座っていた。本来、死角だが、立ち上がった俺の位置からは彼の顔がはっきり見えた。しかし、俺の横に座っている弟は、当然ながら気がつかない。みーさんも話に夢中になっているため、気付かない。しかし、この至近距離だ二人の会話は全て前田君につつぬけているんだろう。前田君はいつになく青ざめた顔をしていた。こんな表情はかつて見せた事がない。よほどショックだったんだろう。

 ぼやっと立っている俺に、違和感を覚えたのか、前田君が顔をあげる。目があった瞬間、思わず、俺は「大丈夫ですか?」と口を開きかけた。しかし、そんな俺に気が付くと、彼はさも軽蔑したような視線をこちらに向け、立ち上がって行ってしまった。

 後には間抜け面の俺だけが残される。その背後で弟が得意げに喋り続けている。その後頭部を、思いきり殴りつけてやりたくなった。

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