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すいません。先ほど間違って最新話を削除してしまったのでもう一度あげ直します。ご迷惑をおかけします;
生きていると思いもよらない方向に事態が進む事がある。それは、思わぬ幸福をもたらしたり、不幸をもたらしたり、あるいは新しい道筋へと人を導いたりもする。
その時、弟の身の上に起きた事といえば、少しの不幸 のち ラッキー。そして、前田君にとっては100%の大きな不幸であった。
徴候はあったのだ。ただし、それは、その後に起きる事とは一見まったく無関係のように思われた。しかし、もし、この世界で起きる出来事の全てが干渉しあい、絡み合っているのだとしたら、やはりその出来事はその後の彼の運命を予告していたといえよう。
とりあえず、前田君は糸をひいた。それは、弟に対する、理不尽な態度というネガティブな形で。
公平に見れば、どちらにも非はある。しかし、この際そんな事は問題ではない。この際問題なのは、どちらがより多くの味方を持っているかということだ。本来であれば、弟に勝ち目は無かったかもしれない。なにしろ、あの性格だ。ただ、この場合前田君にとって不幸だったのは、弟とみーさんの仲がとてつもなくよかったという事だ。みーさんは冗談抜きで、この会社の隠れた主である。
彼の非道な振る舞いは、弟の口からみーさんに伝わり、みーさんの口から全女子社員に伝わり、やがて会社の主だった人間全部に知られる事になった。そして、なにより前田君が不幸だったのは、全ての出来事が弟側の視点で語られた事である。同情はすべて弟に集まった。
そして、前田君は一部の女子従業員からは口もきいてもらえなくなったらしい。理由は『厳しすぎる』『思いやりが無い』ということだった。しかし、前田君の凄いところは、女子従業員に陰口を叩かれようが、無視されようが、平気な顔をして仕事をし続けていられたところである。この辺りが、やはり弟とは根性が違う。これならば、プチいじめも直に収まるだろうと眺めていた矢先、こんどは、もっと大事件が起こった。ネガティヴに引かれた糸が、ネガティブな雪崩になって、糸を引いた本人に襲いかかったのである。
「近いうちに、大幅な組織変更があるらしい」
隣の原口さんからそんな話を聞いたのは、7月半ばのことだった。
「Aグループの連中がごっそり抜けるって」
「Aグループって事は、となりのラインじゃないですか? また、どうして?」
「なんか、会社側と揉めたらしいよ。ノルマが厳しすぎるとかなんとかいって」
「全員が?」
「ああ。全員が。自分達が抜ければ会社が困るという腹いせのつもりだろう」
「でも、生活は、大丈夫なんですか?」
「元々、ずっとここにいる気もなさそうな連中だし、こんな仕事ならどこにでもあるしって事じゃ無いか?」
「それって、考えが甘く無いのかな?」
「知らないよ。当人達の問題だし。それより、抜けられれば、ここからも人員削られるからな。大変になるぞ」
「…キツイっすね」
そんな話をして、一週間もしないうちにAグループ全員辞めてしまった。これには、フロアの人間全員が困惑した。そのしわ寄せはすべて俺らにくるのだ。この先の残業の日々を思うと、気が重くなる。しかし、その中でただ一人ラッキーだった奴がいた。それは、他でも無い弟だ。何がラッキーって、これで奴の首が繋がったからだ。忘れもしない。一度首になりかけた弟の、とりあえずの契約期間は3ヵ月だった。3ヵ月たっても使い物にならなければ、今度こそ首になる筈だった。そして、その期限は7月25日の筈だった。しかし、こう一挙に人に辞められては、たとえ弟とはいえ貴重な人材だ。こうして、奴の首は、とりあえず、もうしばらく繋がる事となった。もし、この事件が無ければどうなっていたか分からない。
しかし、胸をなでおろしているひまは無かった。早速グループ変更が発表され、各グループからAグループの穴を埋めるために2名ずつ移動する事になった。その中に、なんと俺の名前も含まれていた。何で俺が? とも思ったが、ラッキーな事に一緒に引き抜かれたのが超ベテランの川岸さんという人だったので、少しホッとした。
弟はといえば、引き抜かれた俺の事をしきりと羨ましがっていた。理由は簡単だ。前田君と離れられたから。(まあ、俺にとってはたいして意味のない出来事ではあるが)。しかし、前田君にとっても、それは同じ事だろう。引き抜かれた人員の中に、一番ベテランの川岸さんがいた上に、残った人員の中に一番役立たずの弟がいたのだから。
しかも、人が減ったというのに、1日あたりのノルマ自体はほどんど変わらず、達成できない分は、以前やったように残業でまかなわれる事となった。ただし、今回は、ちゃんと残業した分は払うという事だ。
しかし、さっきも書いたとおり、俺の配属された先にはベテランの人ばかり集められたので、俺自身はさほどの残業をせずにすんだ。一方、前田君と弟のチームは、連日9時までの残業をしていた。グループが変わってもフロアは同じなので、その様子がはっきり見てとれる。帰り際、いつも弟達が残されているのを見るたび、なんとも申し訳ない気分になってきた。
「いつまで、こんな事が続くんだ?」
ある、休日弟が言った。
「熱いし、足は痛いし、前田はウザイし、いつも帰ると9時過ぎてるし、最悪だよ。ねえ。なんで、あそこ、冷房入れないの?」
「入れてるけど、広すぎて効きが悪いだけだろ? かわりに扇風機置いてるじゃないか」
「扇風機なんてきくかよ。ねえ、いつになったら人入れるの?」
「入ったじゃないか、3人」
「3人って…。少なすぎるし、しかも、全員学生の短期バイトだろう? あいつら、台車運ぶぐらいしかしないじゃないか」
「そのうち解体も教えるだろうけど、今は教えてるヒマがないんじゃないか?」
「そんな事いってるうちに辞めちゃうんじゃないのか? あいつら、あくまで短期だし。ちゃんと、長期勤められる社会人を入れろよ。バイトでも派遣でもいいからさ」
「募集かけても来ないんじゃないのか? 同じラインの仕事をするなら、みんなソニアに行くんじゃなか? あっちのが待遇良いし」
ソニアとはうちの会社の近くにある、世界的に有名な電化製品の会社である。
「そうかよ。あ−! 嫌になる!」
弟は、そういうとばたっと床に寝転がった。
「いいじゃないか。 とりあえず、残業代はついているんだから」
「でも、いいかげん限界だよ。体力的にも、精神的にも」
「ぶつぶついうな。働ける場所があるだけでも、幸せなんだから」
そういうと、俺は弟の足を軽くけった。
それにしても、おかしな話である。
会社側の『この度のグループ変更は暫定的な措置です。すぐに、人員を増やします』という言葉の割に、少しも人が入って来る気配がない。タウンワークなどのバイト情報誌を見てみても、募集をかけている気配がない。もしかすると、業績不振のおり、人件費削減で乗り切ろうとしているのかもしれない。だとすれば、この生活がいつまでも続くという事になる。そんな不吉な予感が誰の胸にもよぎり、次第に皆の表情にも、疲労といら立ちの色が見えはじめてきた。特に弟のグループで、それは顕著になり、前田君の怒号も日を追うごとに増えて行った。思うにまかせない現実に苛立っているんだろうが、その声を聞かされる方も、陰鬱になって来る。
「たまらないよ。アイツ」
連日のように弟はぼやいていた。
「仕事が思うように行かないからって、俺に当り散らして」
どうやら、相変わらず怒りの主な鉾先は弟らしい。
それでも、感心な事に弟は、歯を食いしばって頑張っていた。それというのも、みーさんの励ましがあったからである。心底、みーさんには感謝している。誰か一人分かってくれる人間がいるだけで、人はこんなに強くなれるものなのだということを知った。
そんなある日の事だった。ついに事件がぼっ発した。