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神様の不良品  作者: 橘 明
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 部屋の中に一歩足を踏み入れると、畳の青い匂いに包まれる。

 師匠は奥の壁にドミノ状に置かれた大小のキャンバスを指さして

「あれは、俺の昔の作品だ」

 と言った。

「ここを建てる前は、母屋に置いておいたんだ」

「へえ…」

 この状況下でこんな事言うのもなんだが、俺は少しワクワクした。

「見せてもらってもいいですか?」

 なにしろ、俺はこの人の弟子である以前に熱烈なファンなのだ。そんな人の作品なら見たくないわけないだろう。

「もちろんいいさ」

 と、師匠はうなずいた。そして俺の後ろにぼーっと突っ立っている弟に向かって言った。

「お前も見てみろよ。そのためにここに入ってもらったんだから」

 『そのために?』…なんだか意味ありげだ。けどまあ、そんなことどうでもいいや。俺はうきうきとキャンバスを手にとる。どのように美しい世界が展開されるんだろうと。

 ところが、そこに描かれていたのは、俺の予想もしない世界だった。


 1枚目のキャンバスには、制服を着た骸骨の群れが居た。それは今にも襲いかかりそうにこちらを見ていた。

 2枚目のキャンパスには、全身を蜘蛛の巣で覆われた男が苦悩する様が描かれていた。

 3枚目のキャンバスには、刃を持つ父の下で嘆く母子が居た。


 俺は唖然としてそれらを見つめた。…なんだ? この異様な世界は…! しかし、予想を裏切られたと感じる一方で、奇妙な事に俺はそれらを見た事があると思った。

 と、突然。背後から幽鬼のごとき声がした。

「なんだ。まともな絵も描けるんじゃん」

 振り返ると、弟が青白い顔で俺を見下ろしている。奴は俺の横に正座すると、他のキャンバスも次々に開けていった。

 そこに、展開されるのは、今の師匠の作風とは似ても似つかぬ、暗くて救いのない世界ばかりだった。世界観だけではない。色使いはもちろん、タッチも今とは真逆である。神経質にすら思えるほど繊細かつエキセントリックなそれらの作品は、同時に作者のおそろしい非凡さも感じさせた。それにしても、やっぱり、これらの作品をどこかで見たおぼえがある。気のせいではない。はっきりと覚えている。しかし、どこで見たんだろう? それが思い出せない。俺は必死で記憶の糸を辿った。やがてたどり着いたのは、騒ぎ立てるリポーターと、青ざめた若い男の姿だった。そして、俺は思い出した。


「松坂牙城…! これは、松坂牙城の絵だ!」

 俺の叫び声に弟が…それ以上に師匠が驚いた顔をする。

「お前、知ってるのか?」

「知ってますよ。俺だって絵書きの端くれだもん。これ、松坂牙城の絵でしょう? 確か20年ぐらい前に心中事件起した…」

「心中?」

 弟が俺を見た。

「そうさ。その事件をきっかけに画壇から消えちゃった天才画家だよ…」

 と、そこまで喋くって、俺は「あれ?」と首をかしげる。

「でも、これが師匠の昔の作品ってことは…」

 と、師匠の顔を見ると、師匠はこの上なくバツの悪そうな顔をして…

「そうだよ。松坂牙城は昔の俺の雅号だよ」

 と、うなずいた。

「嘘でしょ?」

 感動のあまり、体が震える。なにしろ、牙城の名はいまや若い画家の間じゃ、ちょっとした伝説になっているんだ。しかし、師匠にとっちゃそんな俺の感慨など有り難迷惑らしい。

「そんな顔するなよ。俺にとっちゃ不名誉な過去なんだから」

 と、渋い顔する。

「師匠にそうでも、俺にとっては…。それにしても、本当に今と全然作風違うな。今の師匠の作風ってもっとのびのびとしたタッチじゃないですか」

「そりゃ、お前…そこにあるのは俺が右手で描いた絵だもん」

「右手で!?」

 ちょっと驚く。確かに、師匠はいつだって左手で絵を描いているが…。

「それだけで、こうも違うもんですか? っていうか…この細かさは、俺の作風に近い気がする…ああ、もちろん、全然レベルは違うけど」

「だから、お前が売ってた絵に目を止めたんだよ」

「なるほど」

 世の中、何がどう繋がっているか分からないもんだ。しきりと感心していると、師匠は俺の隣の弟に声をかけた。

「どうだ。弟君よ。それが、俺の昔見てた世界さ。表の絵と全然違うだろう?」

 弟は「うん」とうなずいた。そして、

「これ、あんた?」

 と、キャンバスの中で母子に刃を向けている男を指さす。

「違う」

 師匠は首を振り、

「それは俺のオヤジだよ」

 と答えた。

「え?」

 俺と弟は同時に師匠を見た。

「父親?」

 弟が不思議そうな顔をする。

「父親が刃を持ってるの?」

「そうさ」

 師匠はうなずく。すると弟はその絵を手にしたまま尋ねた。

「…この中に、あんたはいるの?」

「ああ。いるとも」

 師匠はそう言うと、母親の手の中の少年を指さした。

 弟がぎょっとする。驚いたようだ。もちろん、俺だって。

 それから、師匠はさらに別のキャンバスを指さして言った。

「そして、この蜘蛛の巣に覆われて苦しんでいるのも、俺。こっちの骸骨の群れは級友だ。いつかみんなして『俺に』襲いかかってくる」

「意外ですね。師匠にもこんなネガティブな面があったなんて」

「そりゃ…誰にだってあるだろう?」

「いや、なんとなく師匠にはない気がした」

「気がしてるだけさ。人間なんて色んな面を持ってて当たり前だろう」

「そっか」

 分かっているのに、ついつい相手を何かの型にカテゴライズしたがるのは悪しき現代病だな。

 と、弟が言う。

「あんた、実の父親に殺されかけたって事?」

「いいや」

 師匠は首を振った。

「俺は実の父親を知らない。それは義理の父親だ」

「殺されかけたの?」

「いや、それはタだの比喩だよ。けどまあ、精神的にはまさにその絵のままだった」

「それって、まさか…」

 言いかけて言いよどむ俺の言葉を後を弟が引き受ける。

「虐待されてたの?」

 師匠はうなずいた。

 俺も弟も、返す言葉を失った。


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